働きすぎという感覚は、我々の常識の中に「私生活」という観念がもぐりこんで以来生じた違和感だと思います。「私生活」という考え方のなかった時代、それがどのようなものであるか想像することは予想外に難しいでしょうが、人々は自分が働きすぎだと思うことはなかった。日曜日もなければ休日もなかった。疲れたり休息したりはあったろうが、働いている、という感覚すら、現代の我々のものとは異なっていた。働くことが、すなわちそのまま過不足なく、生きることに重なっていた時代のことです。
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