徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

部活選びのお話

2018-08-13 09:09:08 | テニス
ここのところ不安定な天気が続いていますが、昨日も、雷が鳴っていました。稲妻の光るタイミングと雷鳴の轟の時間差が、雷雲との距離を測る目安と言われていますが、昨日は2度ほど、ほとんど時間差なく、雷が近所に落ちたのでは?と言うことがありました。落ちる場面は残念ながら見ることが出来ませんでしたが、やたらなところに落ちていれば、それなりに被害も出るでしょうから、避雷針かなんかに落ちていることを祈るばかりです。



今日は、私の部活のお話を少し。
小学校高学年の時は、
東京と文京区の千駄木小学校に通っていて卒業。
その後、地元の文林中学へ。
そこで、部活を選択しなくてはいけなかったが、
グランドが狭く、
1周100メートルなんてとても取れない狭い校庭。
だから、野球部、テニス部、なんてなく、
仕方なく、陸上部へ。

1972年のことである。
このころの出来事としては、
「アポロ16号」が月面に着陸。
中華人民共和国との国交恢復を記念して、
ジャイアントパンダ「カンカン」「ランラン」が、
上野動物園に到着。
そんな時代でした。

まあ、それはそれとして、
陸上競技を初めてはいいけれど、
どの種目を専門にするか決めていなかった私は、
先輩の練習に付き合う形で、
走り幅跳びに挑戦。
いきなり4メートルを超えることが出来て、
跳躍競技が結構面白いかも!って思い始める。
その後、走り高跳びも遊びでやってみる。
4年前のメキシコオリンピックで、
フォスベリー選手が初めて跳んだ背面跳びを、
見よう見まねで跳んでみたら、
何故かしっくり跳べて、
それまでははさみ跳びで、
1メートル25センチが自己記録だったのに、
いきなり1メートル40センチをクリア。
この時期、陸上の大会でも、
背面跳びは少数派というかほとんどいません。
ベリーロールが主流だった時期でした。

1年生の夏休み中に沼津4中に転校。
そこで野球部か、テニス部に入ればよかったのに、
陸上部に入ってしまいました。
走り高跳びの背面跳びのカッコ良さに酔っていた私でした。

もし、最初から沼津4中に通うことになっていたら、
多分陸上部には入らなかったと思います。
やり直すことは出来ないので、それが運命?
大げさに言えばそういうことになるのでしょうか。

今、縁あってソフトテニス部にいる部員たちも、
女テニを選ぶにあたっては、
無意識かもしれませんが、
何かに引き寄せられて選んでくれたのでは?
勝手に思っています
だからこそ、3年間部活をやっていて良かった!
そう思ってもらえるようにしたいと思っています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中体連終了後の初めての部活 | トップ | U-20女子W杯 対パラグ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿