健康のためと言う名目で、カット野菜を買って来て食べる時があるのですが、こう言う野菜ってどれくらい持つのか?少し色が変わってきたりしたとき、ここまでなら大丈夫と言う基準が、今一つわかりません。味音痴ですし、鼻、嗅覚も対したことないので、今日はエイヤアとサンドイッチに挟みましたがどうなんでしょう?
今年は年間150冊を目標に、ずっと読書を続けてきていますが、
ちょっと前から嵌っている時代小説の場合、
そもそもの1冊1冊の分量がそれほどなく、
更に時代小説を読む世代は年齢層が高いからか、
文字のサイズも大きい上、行間も広い?
すると1冊を読み終える時間が短くなり、
必然的に読んできた冊数が増える傾向にあります。
前置きはこれくらいにして、
ずっと時代小説ばかり読んでいたので、
久し振りに普通のミステリーを読みたくなり、
何の予備知識もないまま、図書館の書棚を見て歩くと、
好きな作家の一人である中山七里さんの棚で、
「護られなかった者たち」と言う本が目に入り、
中山さんのミステリーなら面白いかも?
程度の期待感で借りてきました。
中山さんの作品では、なんと言っても御子柴礼司シリーズが大好きです。
このシリーズ第1作の「贖罪の奏鳴曲」は突っ込みどころもあり、
読んだ当時、勝手に評価10点満点中6点でしたが、
他の作品は、
追憶の夜想曲は勝手に評価10点満点中9点。
恩讐の鎮魂曲は勝手に評価10点満点中7点。
悪徳の輪舞曲は勝手に評価10点満点中8点。
復讐の協奏曲は勝手に評価10点満点中8点。
とかなり面白かったシリーズです。
さて、私が借りてくると、奥様からどうしてこの本借りたの?
と言う謎の質問があり、「何となく」と答えると、
この本は映画化され、結構評判の高い小説だよと言われ、
調べてみれば、
静岡市には13?(含む移動図書館)の図書館がありますが、
12の図書館に15冊の所蔵があることを初めて知った次第です。
ところで、映画化されていることについてですが、
いつも思うのですが、
何かの小説やら漫画やら、映画化する際に、
映画監督は必ず?原作と何かを変えます。
「アンフェア」の様に個人的に許せない結末と言うか、
重要な役どころを変えたり、
「3丁目の夕日」の様に登場人物の性別を変えたり、
この作品もそういう類の変更が何ヶ所もあります。
恐らく監督さんのプライド?では、原作をただ忠実になぞることは、
許されないと思うのでしょうか?
私にとっては、原作の映像化を見たいと思うのですが、
何らかの変化があると、ある意味違う作品になってしまうのが残念です。
モチロン、映画の場合には上映時間と言う制限が加わるので、
全く同じ内容のまま映画を作ることは難しいのは判ります。
でも、何とかならないのでしょうか?
話を戻します。
この小説、そこまで期待せずに読んでいました。
終盤に差し掛かるまで、
取り上げられるテーマは重い内容ではあり、
社会的正義感が満載で、読み応えもありますが、
ミステリーとしての話の展開には、
スリリングさや謎解き等のワクワク感が感じられず、
どうなんだろう?と思って読み進みましたが、
最後の最後に作者にしてやられてしまいました。
だから中山さんは好きな作家なんだと改めてそう思いました。
なるべくネタバレしないように書くと、
非常にあいまいで判り難い表現になります。
でも、この本は今年読んだ最高の作品かも知れません。
最後にいつもの読んだ小説のことを書いています。
勝手に評価は10点をつけたいくらいですが、
途中までの必然的な内容がどうしても引っ掛かって8点にしてあります。
まあ、それこそどうでも良い評価なので、
皆様なりの評価をして下されば結構です。
こういう作品との出会いがあるから読書は辞められません。
さて、今年の目標である年間読書150冊。
239冊目です(今年314日目)
「護られなかった者たち」中山七里
勝手に評価10点満点中8点
仙台市の福祉保健事務所課長・三雲忠勝が、手足や口の自由を奪われた状態の餓死死体で発見された。三雲は公私ともに人格者として知られ怨恨が理由とは考えにくい。一方、物盗りによる犯行の可能性も低く、捜査は暗礁に乗り上げる。三雲の死体発見から遡ること数日、一人の模範囚が出所していた。男は過去に起きたある出来事の関係者を追っている。男の目的は何か?なぜ、三雲はこんな無残な殺され方をしたのか?罪と罰、正義が交錯した先に導き出されるのは、切なすぎる真実―。
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