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徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

大垣行き最終便

2006-03-25 23:56:30 | 旅行
同窓会も終わり、明日はツインNの弓道の試合もあるので、
東京駅発最終の大垣行きに乗ることにした。
しかし、世の中の流れに取り残されていた私。
この最終は全席指定席。
すでに切符は売り切れということで、その3分前に出発する、
小田原行きの鈍行で小田原まで行き、
そこで到着する大垣行き最終が小田原から自由席に変わるという、
訳の判らないシステムで乗り換えることになった。
でも、自由席といっても、
指定席状態で乗っていた人がほとんどの席で座っており、
以後小田原から静岡まで立ち通しだった。
静岡には2時半前に到着。
帰って即寝ることとなった。
疲れた一日はこれで終了。
明日も忙しそう・・・・
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大学の同窓会

2006-03-25 23:14:48 | 知人・友人・赤の他人
大学卒業後25周年ということで2次会に参加した。
青山学院大学前にある、ろくまる五元豚 青山店というお店。
ラーメン二郎が込んでいたので少し遅刻。
私より遅れてきたものも居るし、卒業後初めて会う同期も居る。
最初全くわからなかった仲間も会った。
一生懸命考えて名前は思い出すことができた。
見た目が変わったもの、変わっていないもの。
それでも気持ちは一気に25年前に戻っていく。
日ごろ忘れていた思い出が一気に甦る。
それでも会話の主体は思い出話から、
健康の話、教育の話、現在の境遇の話。
話題に年齢をにじませながら、短い間だったけど、
楽しい時間が過ぎていく。
静岡に居るとちょっと集まるって言うわけには行かないけれど、
またの機会もぜひ参加したいなあと、痛切に思った。
帰りがけに以前のブログにも書いた貴島プロヂューサーと話をした。
先日の夜王が終了し、今日は渋谷で新番組「弁護士のくず」の
撮影を行っていたとの事。
そこで番組の台本をおねだり。
しょうがないなあとと言いつつ、撮影に使った台本を譲ってくれた。
持つべきものは友。すごくうれしかった。
台本の画像は上記の通り。
貴島君。問題あったら言って、画像消すから。
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ラーメン二郎

2006-03-25 23:05:42 | グルメ
その後、会社や家へのお土産を銀座三越と鳩居堂で購入した後、
池袋のラーメン二郎へ行った。
大学のすぐ横にあった伝説のラーメン屋。
その後あちこちに継承者による支店ができ、
横浜時代には鶴見の二郎へよく食べに行った。
今日は4年ぶりにどうしても食べたくなって、
居ても立っても居られず、出かけていった。
相変わらず込んでいて、約30分並んで小ブタ野菜大目を頼んだ。
相変わらず太目のモップのような麺。
肉は全部食べ切れなかった。
昔は大盛りの「大ブタダブル」でも平気だったのに。
年には勝てないなあ。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~takumafk/jiroframe.html
http://i-jiro.hp.infoseek.co.jp/
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おら、東京さ行くだ!

2006-03-25 22:50:31 | 旅行
今日の夜は、大学の卒業後25年の記念パーティがある。
こちらはチビのサッカーの試合予定もあり、私も気が乗らないので、
パスする予定だった。
その後、チビが里学でサッカーをパスすることになったり、
大学のテニスクラブ(バロニイテニス同好会)で
2次会をやるから参加するようお誘いもあり、
夜2次会だけ参加することになった。
久しぶりの上京、久しぶりの東京。
小学校3~6年を東京都文京区で、大学時代は横浜市港北区で、
入社~3年間東京都大田区で、
そして平成10年から14年まで横浜市緑区で過ごしたのに、
今やすっかりおのぼりさん。
東京の街は随分変わっていた。
懐かしかったので、もう廃店になってしまった銀座支店の場所に行ってみた。
すると、入っていたビルは建て替えるために取り壊されてしまっていた。
少し淋しかったけど、これが都市再生の先端にある東京のパワーなんだろう。
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不協和音

2006-03-25 22:45:45 | テニス
さて、チビの病院騒ぎで若干遅刻していった部活。
ここでも1波乱あった。
先日のブログに書いた通り、
最新の試合ではいい成績を上げた第1ペアの後衛が、
部活をやめたいと言い出している。
「本当にやめたいのであったら、無理して留めることはしない。」
顧問の先生ともう一人のコーチとはそう話し合ったが、
私としては、どうしてもよくわからない。
原因はもちろん色々あるだろうし、
本人にとっては重大な問題なんだろう。
でもスポーツを愛する人間(私)にとって、ある程度結果を残した人間が、
その舞台から降りると言う気持ちまでなぜ追い詰められてしまうのか?
そこまでひどい状態には思えないから。
こういう問題は、どちらか一方が100%悪いと言うことは普通ない。
それぞれがそれぞれの立場で話し合い、譲歩しあえば、
たいていのことは解決?妥協?できるはずなんだけどなあ。
大会でいい成績を上げ、次はさらに頑張ろう!と思って欲しいのだけど。
さらに新2年生の一人はすでに退部したらしい。
表向きは勉強に専念と言うことらしいが・・・・
また新2年生の中ではリーダー格の子が、
先日の1年生大会で1番下手な子と組んで出場。
1回は勝ったものの2回戦で敗退。
それで若干やる気をなくしていた。
大切なことは結果だけではないと言うことを言い聞かせたけれど、
判ってくれたかどうか・・・・
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救急病院

2006-03-25 22:35:04 | 病気・健康・ダイエット
今日は久しぶりに激動の一日だった。
普段は仕事と家の往復のみ。
そこに休みはせいぜい部活とチビのサッカーが入るくらい。
そんな日常が今日は違っていた。

まず、午前中はR中の部活でスタートするはずだった。
その前にチビと奥様は、里の学校のキャンプ。
7時過ぎに出発する予定。
で、チビを起こしたところ、気持ち悪い発言が飛び出した。
実は昨日夕方6時頃、チビとツインAは、
直径1m程度の大きなボールで遊んでいて、
チビが乗り上げてしまい頭から着地。
頭をぶつけた訳ではないけれど、首に全体重が掛かる状態となった。
本人曰く「首がぐきっ」となったとの事。
その後、普通に過ごしていたが、夜寝る前に風呂に入ったところ、
気持ち悪いといって、すぐ寝たのだった。
朝起きても気持ち悪さが直っていない。
奥様は脳出血か、頚椎捻挫?損傷?を心配し救急病院へ行くことに。
CTスキャンとレントゲン写真を撮ってもらい、
とりあえず問題なしと診断されたものの、
その後待合室でチビは吐いてしまい、奥様は心配を募らせる。
見てくださった先生も専門医ではないため、
そのままもう一度外来の脳外科で診察を受ける。
結論から言えばけがから来る吐き気ではなく、
脱水症状によるものだったらしい。
先生のアドバイスを受け、その後アクエリアスを飲み、
午前中は少し休み、午後からキャンプに出かけたのでした。
それにしても我が家はCTスキャンをよく撮っている。
私が、パセドー氏病の件で入院したときに1回。(以前ブログに書いたとおり)
奥様が転んで1回。チビは3回目、ツインNが多分3回。
家族で8回も撮っている。
不安は尽きない。

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川和保育園の思い出

2006-03-25 05:10:52 | 私・家族・我が家・親戚
川和保育園の話題が出たのでちょっと思い出話を。
川和保育園は、横浜にあり、横浜で知り合った人が通っていたことから、
チビを通わせたいと思った。
チビが4歳のとき、面接を受けたが、
4歳のときは募集の数より応募の数のほうがずっと多く、
面接で合否が決まる。
(この保育園はもちろん親が働いている人が基本的に通うのだけど、
そうでない子どもも若干募集しているのです。詳細はカット)
そして、園長の方針は入園する必要がある子どもを優先すると言うことで、
我が家のチビはこの時は面接で落とされてしまい、
1年間は「りんごの木」(ココも素晴らしいところだった)に通った。http://www.lares.dti.ne.jp/~ringo/index.html
そして翌年、川和に入れてもらったのでした。
園長の方針は簡単に言うと、子どもはとにかく遊ぶこと。
怪我することは当たり前。
骨折くらいならたいしたことは無い。
色々な体験を重視。
親と子どものふれあいを大切に。等々、
ココでは書ききれないくらいとんでもない保育園だった。
でも私は、それが気に入っていた。
特に小さい事故(怪我)が大きな事故(怪我)を防ぐ、と言う考えに賛成。
結構、遊具から落ちて骨折する子も多かったけど、
そんなことで、やれ賠償だ責任問題だと言うようなつまらない親は、
一人もいなかった。
だいたい、木の上に秘密基地のような小屋を作り、
そこに上るのに、はしごを使ってはいけない。
その柳の木を上るか上り棒を上っていかなくてはいけないという、
危険な保育園だったし。
保育園だから、働いている親が多い中、親の参加の行事が本当に多かった。
そもそも、親の参加する懇談会が夜の8時から始まって、
時には12時過ぎまで行われ、終了後希望者は明け方まで
幼稚園の園庭で飲み明かすような保育園がいったいいくつあるだろう。
先生も大変だけど、(それに付き合うのだから)親も大変。
毎年夏を迎える前に、園庭に特設プール(ジャブジャブ池)を作ってしまう。
この設置作業と解体作業は親のボランティア。
プールは学校にあるようなプールではなく、
文字通り池と呼ぶのがふさわしい、泥んこプール。
秋には園庭でキャンプ(父親も参加)それぞれが違う子どもの面倒を見る。
みんなで班ごとに食事を作ったり、夜探検に行ったり、
チビのときは、ピザ釜を作り、手作りピザを焼いて、その後、
手作りバウムクーヘンを焼いたり、
結構そういうことが好きな父親がそろっていたなあ。
わたしはピザ焼・バウムクーヘン焼係でした。
文章にするとわずらわしいだけの大変な偏屈保育園のようにしか
感じられない保育園だけど、ものすごいパワーのある保育園だった。
またいつか機会があったら、思い出話をこのブログに綴ってみたい。
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春キャンプ

2006-03-25 04:39:04 | 私・家族・我が家・親戚
今日、チビと奥様はせと川・里の学校の春キャンプに参加。
そのため、新4年生としてのサッカーの練習試合はパスするのだが、
昨日、新5年生のサッカー大会に出て欲しいとの要請があり、
これも当然のことながらパスすることになった。
でもちょっと、残念。上級生の試合に参加する事は、
チビにとってはすごく刺激になるし、勉強にもなる。
キャンプが無ければ出たかったなあ。
特に公式戦はやはり練習試合では味わえない真剣勝負、
緊張感が味わえるから。
でもチビにはサッカーしか知らない
サッカーバカにはなって欲しくないと言う奥様の希望もあり、
これには私も賛成であり、色々な体験をさせるために、
サッカーもやり、里の学校(通称さとがく)やみずがきクラブ、
親子劇場、川和保育園の卒業生による色々な行事等、
可能な限り参加させている。
先日、チビの友達二人が我が家に泊まって行った。
話を聞くと、親戚のうちや旅行以外で、外泊は初めてとの事。
チビは川和保育園時代から、泊まったり泊まらせてもらったり、
それはある意味日常茶飯事だった。
これは川和保育園自体がそういう保育園だったからかもしれないけれど、
でも最近の家庭と言うか、個人の感性がわずらわしいことを嫌がることが
交流の妨げになっているのではないだろうか?
友達の家に泊まる。たったそれだけのことが、
子どもには新鮮で、大げさに言えば冒険のようなドキドキ感があると思う。
そういう異文化と触れ合う体験(ちょっと大袈裟だけど)は、
すごく大切だと思うのだけど。
チビがたった1年間だけど、川和保育園に通えたことは幸せだったと思う。
百町森の柿田さん曰く、日本の素晴らしい保育園・幼稚園の
3本指に入ると褒めていただいた川和保育園。
その理由が時々こういうところに
現れてくるんだなあ、これが。
http://www.kawawa-hoikuen.ed.jp/
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