NPO法人小樽AJCのブログ

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40周年記念祝賀会のまとめです

2019-11-04 22:15:00 | ノンジャンル
皆さまこんにちわ。
3回にわたりました40周年記念祝賀会のアップですが、
最後の今回は記念誌作成と祝賀会全体を振り返っての
感想をお伝えしようと思います。

今から3年前の第30回リレーカーニバル大会の打ち上げの席上
堤監督と何となく「そろそろ40年だね。何かやるんですか?」と
何気なく聞いたのがすべての始まりでした。
わたくしは「何か祝賀会や記念誌なんか出せればいいですよねー」
言ったところ堤監督は「いいなぁ~。よし全部お前やれ!」と言う話になり
以降3年間記念誌編集と祝賀会準備に時間を費やすことになったわけです。

打ち上げの翌日市立図書館に行き10周年記念誌を借り、
創部間もないころのクラブの状況を知りました。
(詳しくはhttps://red.ap.teacup.com/oajc/303.htmlをご覧を!)
以降、会社の往復を利用して編集作業を行ったわけですが
正直、当時の状況がわからず編集が止まる事多々ありました。
そんな中、非常な力になれたのは周りの方々の温かい激励でした。
お部屋の底に眠っている資料を持ってきてくれたり、
関係各位にご連絡を取ってくれたり
貴重な体験談をきかせてくれたりと
止まっていた作業が息を吹き返すように進むことが出来ました。

こうして昨年の冬にはほぼ過去の部分の作業は終わり、
残るはその後の経過を記入するところまで来ました。

実際の編集が終わったのは9月24日(リレーカーニバルの翌日です)でして
そこから印刷工程へ回ったわけですが、データを印刷屋さん
(株式会社アベルネットさん いろいろご無理聞いてありがとうございます!)へ渡す時は
卒団生を送り出す心境に似て、寂しい半分・期待半分でした。
今こうした出来上がった記念誌を手に取りますと
立派だなぁという自慢したい気持ちがあったり、
誤字脱字が無いか不安な部分もあり
まだ読めない状況でございます…

こうして記念誌が進んだ一方、祝賀会が本格的に指導したのは
2年前の春、後援会総会も2次会の席で石川さんのお父さんより
「場所は決めたの?」「いつやるか決まったの?」という質問があり
「決まってないですよねぇ~」と答えると
「早く決めないと場所が無くなるから会場を決めた方がよい」
という貴重なアドバイスを頂き急遽
今回お世話になりましたニュー三幸さんへ予約、
実行委員会(会田コーチ・呉さん・幅口会長)が開かれることになりました。
なにぶん20年と30年の祝賀会をしていないのもあり
予算や集客活動、式次第など難題がいっぱいありました。
今回の反省としてはご案内のはがきを早めに
発送すればよかったことなどがあります。
一方、直接手渡しをさせて頂いた場合だとご来場いただいた方々が
多かったのもあるので50周年には生かしていきたいと思いました。

また式次第に関しては堤監督や呉さんなどアイディアを基に
VTRの公開とスライドショーの準備を行うことにいたしました。
早めに準備したかったのですが、時間的な制約もあり
動画に関しては実際に取り掛かったのは10月に入ってからでした。
動画のある時期と全くない時期などもあったので
スライドを組み込んだのですが、
15分以内の尺で作成という条件もあったので
すべての年代を網羅できなかったのは反省点でございます。

しかしうれしかったのは、会場では皆さんが本当に
楽しんでくださったのもあり本当うれしかったです。
当時の模様を笑顔で見ている姿をみて胸が熱くなりました。
時期は決めておりませんが、今回の動画を
再編集して皆さんにご提供できればと思います。

こうして祝賀会をむかえ、色々な方とお話いたしましたが、
クラブ員も後援会の方々も全力ですべての事柄を取り組んだためか
しばらくぶりにあった面々にも関わらず、つい最近にあったような
様子でお話されていることに感動をいたしました。
2次会でOBの立花さんや早川さんから伺いましたが
当時一生懸命やっていた事をフラッシュバックのように思い出したと
言って下さりこの事業に関われて本当に良かったなぁと思いました。

本日、使用した資料などをそれぞれの場所へ
返却しに行きましたが、燃え尽き症候群な気持ちと
祭りの後の一抹の寂しさもあり、
ややセンチメンタルな気持ちになっております。
(実際は記念誌の発送や収支決算などがありますが…)
しかし、明日から仕事。現実が待ち受けております。
がんばって50周年へと歩みをすすめてまいりましょう!


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