大島恵真(おおしま・えま)の日記

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私が音楽を好きになったのは(長文失礼します)

2021年01月20日 | 個人的なエッセイ
みなさま こんにちは!
自分が音楽を好きになったきっかけのひとつが発見できたので、今日は書きとめておきたいと思います。長文になりますが、おつきあいください。

父の趣味で、生まれたときからクラシック音楽(いわゆる子どものための名曲)を聴いていたらしい自分。家に何枚かレコードがあり、それをかけてもらっては、ごみ箱の底をたいこがわりに叩いて喜んでいたそうです。
でも、自分では喜んでいた記憶はありません。保育園までは、音楽を「好き!」と思った記憶がないのです。
幼少期の記憶って、そもそもないものかもしれませんが、お遊戯会の合奏で「リエちゃんは何をやらせてもだめ。人とあわせられないから鈴ね」と鈴を持たされて端に並ばされ、そしてそのことを不満にも思わず、目立たないように立っていた、そんな記憶はあるのです。

保育園時代に、保育園に出張していたヤマハのオルガン教室に通っていましたが、やはり楽しかった記憶はありません。あったのかもしれなくて、覚えていないだけかもしれませんが、小学校にあがる前に「次はピアノに行きましょう」と先生から言われ、親が「ピアノは買えませんから」と教室をやめさせて、それを不満にも思いませんでした。

ですが、小学校時代は「オーケストラに入りたい!」「そのためにはピアノを習いたい!」と毎日のように訴えていました。それなのに、幼少期の音楽への執着がなかったのが我ながら謎でした。

オーケストラに入りたいと思った日は、ぼんやりと過ぎていく人生が、はっきりとした色に変わったような日でした。よく記憶しています。
小学校2年のとき、学校の体育館に東京都交響楽団(たぶん)が来て、演奏してくれたのです。私は背が低かったので最前列に体育座りして、演奏する団員の人たちを見ていました。
曲目は、いつも聴いていたビゼー作の「アルルの女」。フルートのやさしいメヌエットや、ゴージャスなファランドールを、夢中で聴いていました。オーボエの人が、真っ赤な顔をして一心不乱に吹いていたのを覚えています。

その日の夜から、雷に打たれたようにぼんやりしてしまい、自分で自分に何が起きたかを知りました。
初めて、音楽をやりたい、と思ったのです。
あの人たちのようにクラシック音楽を演奏したい。そのためにはオーケストラに入らなくては。そのためにはピアノを習わなくてはならないのではないか。こんなことを思ったと思います。
それまでもクラシック音楽は聞いていたものの、そこまで「好き」とは思っていなかったのかもしれません。今となってはわかりませんが。

とにかく、「(オーケストラに入るために)ピアノやりたい」と親に訴えましたが、却下。ずっと疲れるくらい、毎日、小出しに言い続け、中学になって「もうピアノを習うには遅い」と諦めた頃に、吹奏楽部に入りました。

オーケストラでやるような交響曲はできませんでしたが、吹奏楽のための交響曲というのがいくつかあり、夢中でした。高校は吹奏楽部のためだけに入ったようなものでした。ここでは、ワーグナーやリムスキーコルサコフの序曲、交響曲を編曲した楽譜で、熱中して練習しました。

成人してからは、音楽から離れました。やる機会も場所もなかったし、やっても仕事にならないし、そもそもそんなスキルもないからと、あえて離れた気がします。
いくらなんでもそれはさびしいので、ある日、仕事にさしつかえないで流せるピアノのCDをさがしに、CDショップに行きました。ベートーベンの三大ソナタ集があったので、買いました。聞き覚えもあったメロディなので気分良く聴いていましたが、とりたてて興奮もしませんでした。オーケストラじゃなかったからかもしれません。

ところが、テレビで、そのCDのピアニストの映像が流れたとき、びびっと、久しぶりに雷に打たれたのです。
演者は、グレングールドでした。個性的な演奏で、広く愛されていますよね。
グールドは、背中を丸めて、しかも歌いながら、夢中でバッハを弾いていました。それからグールドのピアノをもっと聴きたくなり、バッハやモーツァルトのCDを買いました。グールドのおかげで、バッハとモーツァルトを好きになり、自分でも弾いてみたいと思うようになりました。
グールドの映像を見なかったら、ピアノ自体にもそれほど興味はわかなかったと思います。

こう考えると、演奏している人の姿を見ること、そしてその演者が「一心不乱に演奏していること」が、私が音楽を好きになるきっかけなのでは、と思えてきます。

先日は、オルガニストの鈴木雅明さんの演奏をテレビで見ました。やはり、それまで、高名なお名前は知っていたものの、とりたてて聴いてみようとは思いませんでした(ピアノ曲だったら自分でもいつかは演奏できるかもと思うのですが、パイプオルガンには縁がないと思ったこともあり)。
ところが、鈴木さんが教会のパイプオルガンを弾いている姿を見て、また雷に打たれ……。
鈴木さんは、ときに天上にいるような楽しい顔で、ときにものすごく真剣に、オルガンに向かっていました。オルガニストの演奏中の顔なんて、ふつうは観客からは見えないものですが、カメラが演者の前から撮ってくれたので、見ることができました。感謝です。

プロの大人が夢中になって、それこそ魂を響かせて何かをする姿に出会うこと。
それが、子どものときから現在まで、私を駆り立てているのかもしれません。音楽は、その一例だと思えました。
そうすると、子どもが何を好きになるかのきっかけのひとつは、「熱中しているおとなに出会うこと」(実際にその姿を見ることも)なのではないか。勝手にそんなことを考えて、満足しています。





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