一進一退
西川攻(さいかわおさむ)の小説
☆孤高 23
--闘うは、われ、ひとりなり--
一進一退
翌朝裕樹は、東京駅から新幹線に飛び乗り地元に戻ると、ただちに主治医の待つ病院へと向かった。
肝癌摘出から1ヶ月経過したら、抗がん剤治療再開する旨が主治医から告げられた。
治療開始までの2週間、短期乍ら毎週月曜日に上京してどうしても為さなければならない仕事があった。
再起した場合を考え、次期衆院出馬よりも、秘中の秘の戦略との一環として、逆に、先ず、真の新党結成に備えての綱領と公約の草案作成に余念が無かった。
其のことに伴って直接会うべき3人の人物・実態を把握するため自らの目で直接確認する必要な事、などがいくつかあった。
純子もその辺の事情は充分すぎるほど理解し、承知してた。
新党結成の公約の目玉、
「北方四島一括返還」実現を、実は密かに、裕樹にとっての人生最後の大勝負
"一気に天下を執る"構想のステップとすべく画策していた。
敗戦後、歴代総理を始め、既成の政治家政党が解決すべき政治的根本問題を、難しいとの理由で如何に之を回避、先送りしてきたことか。
其の事がわが国と愛すべき日本国民を悪戯に萎縮させて、より一歩前進すべき本来の逞しい国民たる行動力、冒険心、活力を剥奪してきたか。
結果、世界を主導する上に於いて不可欠な、国としての大義・起爆力・躍進力と言った最も大切なものをことごとぐ削いできた事になる。
このように、戦後から今日の政治家・政党は計り知れない甚大な損害をわが国家国民に齎して来た事実を正しく認識すべきである。
当然、へっぴ腰外交がことごとく相手国に見透かされ、勇気と信念なき足元を見られ、すべて相手ぺ-スに嵌ってしまっている・・・。哀れな戦後政治家政党の実情が茲にある。
其の典型が、敗戦から68年間強奪されたまま未だに返還できない、まさに遅々として、おざなりに追いやられている未解決の北方領土問題。
之が全ての端を発している。
今日、近隣の核保有国から日本の主権である領土(北方領土・竹島)、領海(尖閣)、国民の人権(拉致)がとめどなく蹂躙されている。
その契機となった原因は、この上なき理不尽な北方領土強奪に対し依然として、なにもできない、やられっぱなしの日本の歴代総理、議員、政党の使命感と信念の欠落に由来している。
言い替えれば、無能、小粒化した既成の政治家による不作為責任は、万死に値するものと断言すべきことである。
裕樹は、いち早く
<<北方領土返還こそ、戦後政治の総決算!>>と考えておりブログにも既に投稿し、之が深く静かに確実に浸透し始め見識層に話題にまでなっていた。
女性外科医滝川遼子もロシアで開催された肝癌医学会の特別講師として招かれた際、この問題の解決が如何に重要なことかを講演のむすびで訴え大反響であった様子は純子が千賀子に話した通りである。
”先般、肝癌摘出した大切な、その人でなければ、又、その人が総理にならない限り、この難問題、大事は、とても解決できないと思います。
実を申し上げますと、秘してはいますが、ご本人の病状は、いつまた癌が転移・再発するか予断を許せない状況にあります”の
会場での遼子の、この発言が純子の脳裏から離れることは一日として無かった。
「もう時間が無い・・・、急がなければ!」は、今の裕樹と純子の間では、謂わば暗黙の覚悟・決意となっていた。
裕樹は純子に対し、死期が迫る危険があること、年齢の差、自分が身体的に健常人でなくなってしまった、などの理由故、これ以上、彼女と深く付き合うことに躊躇があった。
「挫折のどん底から這いずり上がり、今日まで自分が希望と勇気の力を支えて来れたのは、彼女の存在あってこそである、悲しませたたくない、不幸にしたくない」と心に決めていた。
然しこれから事を成就させる為には,どうしても純子の才覚と存在は、今の裕樹にとって余人を以っては変え難いものであった。
一方、純子は裕樹に対し、自分の名前が裕樹の野望達成が動機に於いて一点の曇りなき純粋すぎる一途な美しさがあり、ゆえに純子と命名されたことを、先日の千賀子の話ではじめて知ってしまったのである。
余りにも強い絆で結びついた宿命であったことに驚きこうなる必然性に感動の高まりを抑えることができなかった。
そして裕樹に向けた熱きメッセ-ジを心で伝える純子であった。
「世間からも本物視されていた、故菊川準之助・大谷会長、そして世界的名医として一線でご活躍の滝川剛造先生そして遼子先生ら途轍もない力と素晴らしさを持つ方々が西園寺さんを誰よりも高く評価し注目しております。
ようやく国民も事の本質に気付き始めつつあります。
西園寺さんの考えに追いついてきた感がします。
新党結成は時機に叶ってきました、今こそ出番です。
西園寺さん、・・。だから・・、だから、絶対死なないで・・・。」
間もなく裕樹に対する抗がん剤治療は開始された。
其の三日後に早くも抗がん剤副作用が凄まじい勢いで裕樹の心身を襲った。
下痢、吐き気、頭痛、だるさが混在一体となって侵襲。
立っている事さえままならない中、額に脂汗をタラタラ流しつつ必死の思いでやっと病院にたどり着くことができた。
明らかに肝機能が低下の肝癌摘出後の抗がん剤治療に体力も弱っている体が拒絶反応を示し悲鳴をあげたに他ならなかった。
体が持たないとの理由で抗がん剤治療は暫らく、体力が回復するまで見合わせることとなった。
「然し其れによって癌転移、再発の確率、蓋然性が高くなることは否定できない。」
裕樹がめざす、自らの身体を蝕み続ける癌、政界を廃頽堕落させてるガン、この二つがんの克服成敗が、なかなか一筋縄ではいかない、厄介な代物であることを今更ながら改めて痛感せざるを得なかった。
同時に、「もう時間が無い・・・、急がなければ。」
緊迫した自らの運命に、鬼気迫る覇気を以ってこの難局を突破せんとする裕樹は、
努めて平静さを保ちつつ呟いた。
”必ず生き抜いてみせる、
僕にはどうしても
やらなければならないこと
が・・・。”
次回は、「万事休す!」です。
平成25年9月14日
西川攻(さいかわおさむ)でした。
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