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☆小説 「孤高」25-闘うは、われ、ひとりなり--  西川攻著

2014-01-13 11:44:06 | ☆ 小説「孤高」

真剣勝負に挑む心組み

 

 

西川攻(さいかわおさむ)の小説

   ☆孤高25

  --闘うは、われ、ひとりなり--

 

 

 真剣勝負に挑む心組み

 

 裕樹は、自分の死期が遂に時々刻々、待ったなしの局面に差し迫ってきたことを感じ始めていた。  

 このままでは、何もかも時間切れになってしまう”

  癌摘出手術後の当初から今日まで3年間余、生死を彷徨(さまよ)う過酷な闘病の狭間に遭っても、抱き続けてきた使命的野心

 これだけは、なんとしても果たさなければ・・と、身動きできない体とは逆に脳裏を駆け巡り、時々刻、強まる一方であった。

 「一気に天下を執る!」今だからこそ課す。

 それこそが自身の生涯を全うし、己を納得させる顛末である”と自らに誓っていた

  先日、肝・大腸両癌再発を主治医から告げられ「狭まる時間制約の渦中にいたってしまった」と

 改めて強く死を自覚せざるを得なかった故の退路無き決断であった。

 「之を為さずして、苦節30年、生きてきた意味も、証もなかったに等しくなる」と悲壮な決意と覚悟を主治医からの告知後、心に日々刻み士気を高めんとしていた。

 「やり残している困難を、如何にして解決すべきか」の前提条件、一気に天下を執るとの明日に賭けんとする野心は今まで片時も萎(な)えることは無かった。

 それは、単に持ち前の大望に留まらず、闘病に打ち勝ち生き抜く上で,唯一のエネルギ-となって、裕樹の活力を育み支えてきた訳である。

 一見、現実からの逃避の単なる心理学上のバランスをとる為の突拍子なき戯言(ざれごと)、無謀の極みと揶揄(やゆ)する輩(やから)がいても、そんなことは全く問題ではなかった。

 

 こと茲(ここ)に至ってしまった以上

やるか、やれないか!

 我が人生の真価は只、この、一点に懸かっている”

 

 自己の信念を貫き、決して、群れない、媚(こ)びない、怯(ひる)むことなく、今日まで如何なることがあっても決して、事に於いて、其の根本は、微動だにしなかった。

 加えて、自らの生き様を後悔することは彼の人生途上、一度として無かった。

 要は、常に、「主体性を堅持しつつ自分自身を貫いているか否か」を自問自答しながら闘ってきた。

 結果、ともすれば協調性が無い、ナルシストだ、生意気だ、不遜だ、などとの謗りを受け、誤解され多くの一般から不評を買うことになった。

 之が永き苦節の年月にわたる不遇を余儀なくされてしまった事は否定できない冷厳な事実でもあった。

 しかし、たとえ四面楚歌の中にあっても、彼は、志を高く以って信念を貫く事それ自体、人間として最も大切と考えていた。

 それこそが将に、謂わば万物の霊長故の人間としての本来の責務であると確信していた。

 従って、俗に言う小市民的な自己と家族の幸福のみを求めて我利我欲に奔走する、それとは全く無縁な、寧(むし)ろ”大義親を滅す”生き方に徹し、歩んできた。

 だが、彼も人の子である、平穏な生活をときには、一面これこそ大切だったのかも・・と思いも過(よ)ぎる昨今であった。

 事ほど左様に今、決着の刻限が確実にひた走りだしてしまったことの焦燥・不安・武者震いの三つが交錯し脳裏と心を、いきつ、もどりつ、していた。

 しかし「従来とは異なり、事茲に至ってしまった以上、最早、闘病中であるとの泣き言も言い訳も理屈も不要!

 肝心なのは、

 如何にして間違いなく己が果たすべき積年の課題であるこの大事を確実に、現実に、成就せしむべきかだ!」

「之を果たすための期間は、なんとしても生き抜かなければない!」

「しかし、もう時間が無い、急がなければ・・・!」

 

  裕樹が画くも大望実現に向けて全てを燃焼せんと従来に倍して必ずの決意を一層駆り立てていた、

  其の決定的原因は、源流は、やはり、

 既述の3年余前に再び遡る。

 

 2009年8月12日体調悪化に抗し切れずに受診したCT検査の結果が出たとき

   「今日、直ちに入院して下さい」

「いや、それはできません」

   「何故ですか?」

実は、今回の衆院選には、でない訳には参りません。先回も断念しており、今回不出馬した場合将来に亘って政治生命が絶たれる危険があるのです。

 選挙運動が終わり次第、開票当日の午前10時迄には病院に駆けつけます、必ず。

 あとわずかですのでそれまで入院はどうかご勘弁ください」

   「そんな場合ではないんです!

 大腸が癌に極度に侵襲され破れ、穴が開いてしまっているのです。

 一刻の猶予もありません、それにしてもよくもまあ茲まで我慢していましたね、すぐ対応しないと死んじゃいますよ!」

 態度と体格のいかにも大きすぎると思われる其の医師はあたかも恫喝するように語気を強め尊大に裕樹に詰め寄った。更に

   「選挙を取るか命を取るかの段階なんです。」と言われ出馬断念のやむなきに至った裕樹。

 ”今後、負ける戦いは一切しない!”と広く各方面に対し明言して向かえた満を持しての衆院選となる筈であった。

 当選のみを考え、従来とは一変した戦略を練り上げ、殊更、秘密裏に駒を進め遂に”勝算あり”と得心の域にまでに到達するに至っていた。

 ”正義と信念を貫く為、徒手空拳でも戦うべし”と考えていた嘗(かつ)ての裕樹自身の美学を封印し続けてでも勝たなければならない衆院選挙は、既に公示を目前にしていた。

 其の效あって、茲に来て、漸く内(一枚岩となって決起)・外(切り崩し)に向けての軍資金を始めとする段取りと準備態勢は万全に整い確立していた。

 後は、意表を突く戦術の実行に一気に着手するだけの構えにあった。

 自分を殺し勝利の鬼となって艱難辛苦、黙々と深く静かに堪えて勝算ある体制確立まで我を制御し得た潜行策に徹した結果の所産であった。

 退路を断って死ぬ気で戦う覚悟で実践してきた成果に対し裕樹自身も自分のいざとなれば何でもやれる力に驚愕していた。「よくぞこ茲までこれた,自分を信じ切る事が出来た」

 其の達成感が初出馬を決意した30年前当時の揺るぎなき自信と気概を甦らせていた。

 早くから体調悪化の兆候はあったが、それが原因で入院する破目に陥ったら堪ったものではない、折角の今までの努力も水泡に帰すとの読みから体力の耐えうるギリギリまで検査を避けてきた。

 結果、記述した言語を絶する無念、慟哭の出馬断念の憂き目に遭ったのが将に、3年余前の悪しき出来事であった。

 

 爾来、逸(はや)る、裕樹にとって生きるも地獄、死ぬも地獄のもどかしい癌闘病生活は四年目に入ろうとしていた。

 その間、一向に留まることなき中央政界の廃頽堕落の加速振りは、裕樹をして目を覆う酷さに映っていた。 

 「このままでは、無能政治家国家に堕した日本丸は早晩、沈没する、之をなんとしてもくい止めなければ」との危機感を益々募らせていた。

 其の使命感の強さが、最期のカウントダウン"僕には、もう時間が無い、急がなければ!”との切迫の思いと共に、

  --新党結成,一気に天下執る!--

 に火を点け、最初で最後となる大勝負に向けて命を賭ける決断を下した。

 そして勝算ある戦略とは、の一点に集中し余念は全く無かった。

 ”負ける戦いは今後一切しない"と公言して憚らなかったが決戦直前に不発となった3年余前の事柄の数々が裕樹の脳裏をよぎっていた。

 ”決して同じ轍は踏むつもりは無いが、あの時よく勝算の読みができたあそこまで漕ぎ着けたものだ!”と

 腹を括(くく)って切り拓いたときの自分の底力をあらためて鼓舞していた。

 

「もう、之しか無い、

   必ず・・・!」

 

 心に固く誓う裕樹であった。

 

 

 次回は、

  「真の新党づくりを急げ!」です。   

 

 

   

 平成26年正月13日

   西川攻(さいかわおさむ)でした。

 

  


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