土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

盲目的主権者

2012年06月21日 23時48分41秒 | Weblog
原子力「軍事転用考えず」=藤村官房長官(時事通信) - goo ニュース



原子力基本法
第二条  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

と「原子力の憲法」とも呼ばれるこの法律。
その基本方針として、

平和の目的に限る。
と明言した。

しかし、先日国会、それに参議院を通過し成立した改正法には、

「我が国の安全保障に資することを目的として行う」と
末尾にある付則の12条に追加されている。

詳しくは、
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012062190070419.html

広島や長崎に修学旅行に行く小中高生は多い、
きっと、
願わくは、その原爆の現実を見た人は、
原爆を製造し、それを使うことが、
どういう結末をまねくのか、
しっかりと理解でき、
そして、
非核三原則を堅持する。
ニホンをと、思えるだろう。
と、、思う。

いろいろなアメリカ映画でも、
原爆や水爆の爆破は、
シーンとして登場する。

このミクシの書き込みに、
原爆を持つことを大賛成する人がいる。

相手が、武器を持てば、それ以上の武器を持つべきだという。
そういう主張だろう。

戦争とは、正義と正義の闘いであって、
どっちの正義が上位だとは、
絶対に言えない。

それぞれが、『正義』を盾にして、武力をふるう。
勝者が、
勝てば官軍のごとく、裁く。
それが、歴史の教科書の中心になる。

水爆や原爆を所持し、それを使う。
被爆した国の人間として、
簡単に、賛成できることそのものが、
広島と長崎が風化した証拠だろう。

ただ、この法律の成立で、
何よりも問題なのは、

主権者に知らせる事もなく、
メディアが報道することもなく、
まるで、だまし討ちのように、
国会の中で、
それも、主文ではなく、
付則として、
あらゆる法律が成立しているという事実。

今まで、
何度も、何度も、このミクシでも訴えてきた。

主権者としての誇りと責任。
そう、
主権者教育の最重要性を。

学校では、
勝者をひたすらに製造し、
そして、
数字で勝つことだけを、最上位の喜びと教える。
いかに、
道徳やその他で「こころ」が大事だと言っても、
結局は、
文科の学テでどれだけの平均を勝ち取るか。
それにのみ、
必死になっている校長、地教委、

まさしく、毎日が勝負、勝負と、
まるで、
「釣りバカ日誌」のように、
異常な状況を作り出している。

勝負、勝負も、釣りバカなら、、まだ笑えるが、

勝つことだけに翻弄される人生の中で、
官僚が、政治家が、勝手に、知らせもせずに、

原爆を所持できる。
そういう法的お墨付きを与える

それが、どれだけの危険性を持つ物なのか。

そして、
いつまで、
盲目的主権者として、

官僚に、政治家にバカにされたら気が済むのか。

ほんとうに、、
いい加減で見るべき目を持たないと、

「亡国を創り出す民」になってしまう。

ニーメラーの教訓が、
また、、活かされる事がないのかと、、
つくづく思う。

ニーメラーの教訓とは、こうだ。

ナチスドイツの中で、マルチン・ニーメラーは牧師だった。

「ナチスが共産主義者を襲ったとき、
自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、
何も行動に出なかった。

次にナチスは社会主義者を攻撃した。
自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。

それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、
そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。

それからナチスは教会を攻撃した。
自分は牧師であった。
そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった」。

そして、実は、教科書裁判でも有名な家永三郎さんも、
あの法廷の中で、
こんなことを話したと言われます。

「私は戦争中に、わずかに個人的両親を守ることにのみ専念して
祖国の破滅を傍観するあやまちを犯した。
私は力の弱い一市民ですが、戦争に抵抗できなかった罪の万分の一でも
償いたいという心情から、あえてこうした訴訟に踏み切った次第であります」


盲目的主権者とは、

最悪は、投票行為を行わない人だろう。

そして、
その次は、
投票行為を行うが、その後の政治や社会の動きを観察しない人。

そして、
実は、もっとも、盲目的主権者とは、

『投票行為をおこない、そして、社会や政治に疑問を感じても、
なんの行動も起こさない人』

ではないだろうか。

ツイッターでも、フェイスブックでも、ミクシでもいい。
何でもで、自分の意見を表明する。

そうしないと、
確実に、この国は、とんでもない国になる。
それは、間違いの無いことだ。

札束で叩かれ慣れた主権者

2012年06月17日 14時17分47秒 | Weblog
大飯再稼働決定 各国メディア反応(産経新聞) - goo ニュース



札束で頬を叩く。

もう、言い古された言葉だろうが、
行政や企業が、得意とする方法でもある。

沖縄の知人が言う。
「結局、ニホン最大の扶助県だから。」と、、
米軍基地が国内最大に有する。
だから、莫大な補助金が流れ込む。
そこに、群がる人たち。

その風景は、ニッポン全国の市町村レベルまでで、
大なり小なり、
当たり前に行われている。

公共事業に群がる。
補助金に群がる。


その背後にあるのが、
小泉純一郎の構造改革から、
大きく発生した、
安かろう悪かろう、、、でも、
格差の拡大と固定化。
そして、
労働条件の悪化と、労働法の無視や誇大解釈など

それにより、雇用者の権限が増大し、
労働者の条件は激烈に悪化した。

そう、
デフレの進行と、低賃金。
そして、就労条件の悪化と格差。
少しでも、幸福で豊かな暮らしを望むと時、
原発であれ、米軍基地であれ、
札束で頬を叩かれても、
それを、受け入れるしかない。

そんな状態を、
政府と企業が、徹底的につくりだしてきた。

資本主義社会において、
格差の発生は当然の事だと言う経済学者は多い。
しかし、
民主主義社会においては、
その経済活動に制限を加えることができる。。

だからこそ、主権者が、
投票行為において、何を考え何を選ぶのか。
と言う、主権者としての誇りと選択だと思う。
いや、
それしか無いと確信する。

ただ、
それでも、簡単に裏切る民主党もあるのだが、
しかし、選んだ責任としての主権者の責務。
それは、極めて明確に存在する。

メディアの報道を鵜呑みにせず、
自己の意見を、思いを、
あらゆる方法で表明する。
デモや表現活動に参加する。
など、主権者として、
選んだ、選ばれた政権に圧力を加える。
それこそが、重要だろう。

結局は、原発再開は、
主権者の了承ということになる。


だからこそ、主権者教育が
学校でも、家庭でも、あらゆる場所で必要だろう。

6月11日(月)のつぶやき

2012年06月12日 01時21分16秒 | Weblog
13:19 from Twitter for iPhone
首都の中枢エリアのマクドでネットをする。リーマンであろう人達が多い。パソを叩きつつ毒のような油のポテトにかぶり付く。ニッポンの経済の中枢はあまりに慌しい。ボーっとする人が居ない。「ゆとり」を否定し攻撃し過ぎて何が心地よいのか麻痺してしまったか。こころと、身体を大切に!と言いたい。

by kantate0210 on Twitter

6月4日(月)のつぶやき

2012年06月05日 01時24分27秒 | Weblog
11:26 from Twitter for iPad (Re: @kazuhisa_ogawa
@kazuhisa_ogawa 森本敏氏より、数百倍小川さんが相応しいと感じるのに、まともな人が大臣にはなかなか・・・。でも小川さんが固辞するか!!田中氏よりは防衛省が熱烈歓迎はそうだとしても、対外的にはどうでしょう?

20:12 from gooBlog production
辻本清美  はどうです? blog.goo.ne.jp/orgel/e/cd3cb8…

by kantate0210 on Twitter

辻本清美  はどうです?

2012年06月04日 20時12分17秒 | Weblog
防衛相に森本氏起用へ…再改造内閣の陣容決まる(読売新聞) - goo ニュース





政府であれ、都道府県であれ、市町村であれ、
行政を担う人たちが、最大に最上に、
誰の利益を尊重するべきか。

それは、
誰もが、普通に考えれば、あたりまえに出てくる答えだろう。

国、、都道府県、市町村。

そういう答えがあるとするなら、
まさしく、

辺見庸さんが、言う。

「鵺(ヌエ)」になってしまう。

思考無く、大勢の中にいる安心だけを求めるという。
そして、
そういう大勢の選択が、
過去の歴史の中では、かなりの不幸を生み出してもいる。


ある中学校の三年生の社会科。
公民の授業をのぞき見た校長が、
その授業者を呼んで、叱責したらしい。

授業の内容はこうだ。

憲法の学習の中で、「平和主義」がテーマだった。
日本国憲法前文と9条をしっかりと読む。
そして、
そこから、4人グループで自由にその条文から連想させたり、
感想を言わしたり、いろいろな思考を発表させる。

その中で、多くのグループが、自衛隊を取り上げた。
そこで、その授業者は、自衛隊の規模、予算、装備のレベル
などを、簡単に説明。

そこを、校長がのぞき見る。

その後、あるグループから出た、
国民主権と基本的人権の関係。

それぞれの意見の発表の中で、
多くが納得したのが、

結局、主権者の選択。その時、基本的人権の尊重があるのか???
そうだとすれば、平和は何でどうすればいいのか。
という、大きな疑問。

たしかに、授業としての「答え」ってのは存在しなかっただろうが、
実は、問題の( )に入れる言葉の答えよりは、
遙かに、思考が充実し意見の交換でいろいろな考えや思いがあることを知り、
「答え」を求めるよりも、はるかに高度な授業であったと思うのだが、

どうも、校長は、そうでなかったらしい。

要約すると、
その校長の最大の叱責は、
プリントを配布し、そして、
「平和」が大事だと覚えさせる。
これに、尽きるようだ。

その、平和がなぜ必要なのか。
そこは、完全に無視らしい。


新しい防衛大臣。
田中さんは、たしかに、、たしかに。。。。だ。

しかし、
自民党のあの「オタク」氏だったらいいのか。
プラモを集め、武器や用語に卓越していれば。
防衛省は、操りやすいのだろう。

高知出身の防衛大卒の彼がいいのか。
防衛大を出る。自衛隊員の心が理解できる。
だったら、防衛省が歓迎し、大切にしてくれる。

文民統制という言葉がなぜ発生したのか。
このニホンでは、軍人が時の政府の要員を暗殺している。
そして、確実に暗黒の歴史。戦争に突き進んでいる。

制服経験者や、軍事評論家や、戦略研究家。
そういう人が、防衛大臣にふさわしいというのは、
非常に、危険極まりないと思う。

もしも、そういう人を専門家だというのなら、
大臣にしてはダメだろう。
せいぜい、顧問か、知識人メンバーだろう(菅直人には居なかったが)

最大最上に、主権者の命をまもる。
最大最上に、主権者の基本的人権を最優先する。
最大最上に、無武力外交を尊重し、自衛官の暴走や凶行を徹底的に制御する。

要は、軍事には素人でいい。
ただ、誰の利害を尊重するのかさえ、確実に、間違いなく、把握、理解できていれば。

まあ、、民主党で言えば、
辻本清美なんてのが、
きっと、最もふさわしいのではないだろうか。

と、思う。

主権者の責任 (学校給食編)

2012年06月03日 21時09分23秒 | Weblog
信じられないくらい不味かった給食

という、アンケートがウエブ上で。

実は、
大嫌いだったのは、1970年頃まであった、
あの、スキムミルク。

あれだけは・・・・・・・・・・・・・・・





戦後の混乱期に、
米国の有り余った小麦と脱脂粉乳で、
飢え死に寸前の子どもを救った。
これが、まあ、、美しい説明。

学校給食において、
今でも、ほとんどの市町村で、牛乳代金には、補助金がついている。

もちろん、その他の給食費にも当然。
不払いだとか、いろいろな騒動があるが、

どうにもこうにも不可思議なのが、
多くの、不払いの保護者を責める人たち。
いろいろな事情がある。
もちろん、パチンコに行くカネがあるのに、子ども給食費を未払いってのも
そういう不埒ものが居るのも事実。

しかし、
不払いのほとんどが、極めて生活に困窮した人たち。
学校に関する扶助には、

要保護と呼ばれる生活扶助
準保護と呼ばれる教育、子育て関連の扶助。
そして、
教育扶助ト呼ばれるもの。
ここまでが、給食費は完全に免除となる。

それぞれ、普通は、保護者にその扶助費は支払われるが、
扶助費から給食費や、教材関連費用などを差し引いて、
残金を保護者に渡すという方法もある。

ただ、最大の問題なのは、
学校給食だけが、その子どもにとっての、1日の栄養補給源になる
そんな場合が、けっこう多いという実態。

多くの人が、
給食のまずさを言う。
たしかに、まあ、、美味しいものではない。
しかし、
その給食だけで、1日の食事をとっている。
そんな児童生徒が存在するのも、
真実だ。

まずい、、美味しくない、、
かもしれない。
が、

そのまずい給食でしか、食事が1日にとれない。
そんな、社会。
それを、異常だと感じれないとしたら、
やっぱり、
この国は、亡国に突き進んでいるとしか思えない。

そう。
親が、パチンコだけ、飲酒だけ。
仕事もしない。
しかし、
じゃあ、、だからとしって、
これ程までに
小泉純一郎の構造改革で拍車がかかった
格差の拡大と固定化の中で、
こどもが、植えて死んでもいいと言うのだろうか。

ご立派な人たちは、必ず言う。
『子どもは社会の宝』だと。

もしも、本当に、そうだと思うのであれば、

世界に誇れる日本国憲法の
 
第26条 
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、
ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を
受けさせる義務を負ふ。
義務教育は、これを無償とする。

これは、保護者だけの責任と義務ではなく、
社会全体。大人の全てに課せられた責任でもある。
「義務教育はこれを無償とする」
だから、要は、
教科書だけではなく、
授業料などだけではなく、

すべての国民がその能力に応じてひとしく教育を受ける権利があるのなら、
少なくとも、
中学校までのあらゆる学校に関する費用。
これを、完全に無料にするしかない。

家庭がどんなに崩壊していても、
学校に来れば、
学習の権利と、給食はある。

そして、さらには、
衣食住も、学校に来れば、なんとかするという、
そんな制度にすればいい。

ろくでもない親だったとしても、
こどもは、社会が全面的に責任を持って育てる。
そんなシステムがあってもいいはずだ。

日曜日だからか、
給食のまずさに、
日記のランキングでトップになっているが、

おもしろおかしく、楽しむのも、
それは、それでいいだろうが、

給食というシステムの中で、
主権者として、
社会の一員として、
じゃあ、、
どうすれば、
誰もが幸福で豊かな人生をおくれるか、

そこに、こころが動いても、いいんじゃないかと
つくづく思う。

そして、
学校の管理栄養士さんと、給食をつくる人たち。
この人達は、マズイとわかって造っているわけじゃあない。
精一杯、できるだけ、美味しいものをと、
つくっている。

ただ、
愚かしい行政の亡者が、
センター給食などという、

あるエリアのすべての学校の給食を、
工場みたいな場所で、大量生産する。
それを、トラックで、運び出す。
だから、
つくりたてから子どもの口に入るまで、
最悪、3時間程度かかったりもする。

食缶の中で、煮詰まったもの。
それを食べさせている。
それは、誰でもない。
行政の責任であり、
何よりも、その行政を選んでいる。

そう。
ワレワレ主権者の最大の責任でもある。

個々の学校でつくる方式だと、
その日の時間割に合わせて調整もできよう。
こどもの、意見や希望もきけるだろう。
そして、つくりたてを食べる事もできるだろう。

しかし、コストは、センターに比較すれば、
格段に必要となる。

結局は、主権者の選択と言う事にもなる。

主権者は、
投票行為で、議員を選ぶだけじゃあない。
その議員が何をするのか。
そして、行政がどういう事をしているのか。
その全てに責任がある。

給食という、、
ある種の思い出的なものかもしれないが、

それにも、主権者の責任が存在しているという、、
そこに、目を向けてほしい。