土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

「おんしゃら、なめちゃあせんか、わやにすな」橋本知事の演説

2007年04月17日 23時57分10秒 | Weblog
2007年4月3日、
県政運営にあたっての講話を橋本大二郎県知事が150人の部課長を前に行いました。以下が、その抜粋。

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橋本知事 昨年度を振り返り、漢字一字であらわすと「憤」。騙されたほうも悪いといえばそうだが、国のツケをまわすだけの「三位一体改革」で地方交付税は大幅に削られたままだ。このままで国が大手企業の収益を伸ばすための誘導策に力を入れれば、収益を地方に再配分するパイプは壊れているので、格差が開いていくのは当たり前だ。

それを承知で、再チャレンジだ、頑張る地方を応援プログラムだと言って、地方の財源のばらつきを調整する交付税を、あたかも奨励補助金かのようにエサとしてばらまいていく、こんな無神経なことがあるか。「おんしゃら、なめちゃあせんか、わやにすな」。憤りがこみ上げてくる。

こうした仕打ちに耐えかねて、文献調査をするだけで、多額の交付金を受けられる高レベル放射性廃棄物最終処分場調査に、手を挙げた町が県内にある。いわれのない地方交付税の減額によって、財政的に窮地に追い込んだ上、今度は多額の交付金をエサに札束で頬をたたく、こんな品のない、恥知らずの国の、どこが「美しい国なのか」。「おんしゃら、なめちゃあせんか、わやにすな」。憤りがさらに広がる。

ボンバルディアという飛行機のトラブルの制御も充分にできない人間の科学技術で、人類全体を死滅させる危険のある毒物を1万年も2万年も安全に閉じこめておくことができるなどと、誰が自信を持って言えるのか。せめてボンバルディア機の安全性くらい確立してからにしてほしい。「おんしゃらあ、なめちゃあせんか、わやにすな」という八つ当たりにも似たような憤りがこみあげてくる。

憤りはパッションの源になる。この1年、様々な不合理なことへの憤りを自分のパッションに灯をともす一つの原動力にしていきたい。

県職員は田舎の小役人になるな。発想を変えないままの田舎の小役人では、高知県は埋没し、国との闘いに負ける。攻撃は最大の防御だ。イマジネーションを発揮して全国に情報は発信していこう。とても美しい国とはいえない国の今のやり方、様々な不合理なことに対して、「おんしゃら、なめちゃあせんか、わやにすな」という気概を持ってこの一年一緒に頑張ろう。

伊藤長崎市長の回復を祈る

2007年04月17日 22時19分29秒 | Weblog
昨年、2006年の平和祈念集会で、
伊藤長崎市長が冒頭に言った言葉。

自民党の議員が、
核武装化の必要性を訴え、、
あれこれしだした時だ。

世界には、もう地球を壊滅させる、
65億の人間を殺し尽くせる、、
それだけの核兵器がある。

人間こそが、自然を破壊し、
人間こそが、人間を殺し、

人間こそが、平和をつくりだし、
人間こそが、愛に満ちた世の中をつくりだせる。

だからこそ、、
何をしているのか、、、と、
訴えたのだろう。

その彼が、心肺停止状態だという。

暴力でなんらかを解決できないのは、
すでに歴史が証明しつくしている。

彼は、憲法の平和主義を尊重しても、し過ぎないと言う。
しかし、、
この国の人間は、、
その平和主義こそ、
武力によってのみ、、まもれると言う。

権力を維持するには、暴力が必要だという論理がある。
軍隊などは、その最たるものだろう。
威圧するための、暴力。
反撃するための、暴力。
仕返しするための、暴力。

権力を私利私欲に使いたい為政者は、必ず、、
暴力を裏表で持とうとする。

原爆を落とされた国の政府は、
武力増強を、、推進しようとし、
政権党の議員が、核武装を、、と言う。

彼を、、撃たしめたのは、、、
だれでもない、
この国の主権者ではないだろうか、、。

暴力を許さない。
いかなる暴力も許さない。

そういう意識が、この国の主権者にない限り、、、
まだまだ、、どんどん、、

本島、伊藤、、市長のような、、卑劣極まりない出来事が、続く、、と、危惧するしかない。

武器と生きる権利 (乱射事件と憲法9条)

2007年04月17日 18時31分53秒 | Weblog
生きる権利を守るために、、武器がある。

世の中には、アメリカで起こったような、
乱射事件があるからこそ、、
そういう事をする人間がいるからこそ、、
武器で対応するしかないんだ。

世界には、
他国の侵略をする国があるから、、
だから、
武力が必要だ。
憲法9条などは、、
夢想すぎる、、。

という、、意見が、必ずある。
それは、
「復讐」を、前提とした人間の営みを基礎にしている。

中国の民が、ニホンパッシッングをする。
なんで、奴らは、いつまでもあの事を、、と、
ニホンのまともらしいニッポン人がよく言う。

彼らの恨みや怒り、
いや、それ以上に、、、
このニッポンへの、、悲しみ。
それゆえじゃあないのだろうか、、。

武器で生きる権利をまもる、、
それが、
あたりまえになり、
その論理で、、平和を語るとしたら、

それこそ、
戦争は絶対になくならないだろうし、、
益々、広がるだけだろう。

暴力で暴力を解決しようとすることほど、、
愚かで、、バカバカしいという証明を、、
この人間の歴史が、いつも、、語っている。