釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

連日の梅雨のような日

2014-08-30 19:55:44 | 自然
昨日に続いて今日も曇天の一日で、時々小雨も降り、わずかに日射しが出ることもあった。最高気温は23度でやはり長袖でちょうどいいくらいの気温だった。そんな天気の中でも甲子川では鮎を釣る人たちがいた。一時日射しが出るとミンミンゼミやアブラゼミの声が聞こえて来た。しかし、それも束の間で、また小雨が降って来た。釜石は甲子川に沿って東西に市街地が展開するので、海岸よりと内陸側でも天候が少し違う。今日は内陸側の方が良くない。一日、愛染山はまったく見えない。低く雲が覆ってしまっていた。庭の黄蓮華升麻も蕾が一向に膨らんで来ない。日射しがあまりにも少ないからだろう。ほんとうに梅雨のような天候が続く。車で市街地を走ると、相変わらず、他府県ナンバーの乗用車が目に入る。午後の3時頃には今日も花巻方向からやって来たSL銀河の汽笛が聴こえて来た。
小雨が続く

紀元前の日本の古代

2014-08-29 19:54:36 | 歴史
日本の考古学は土器編年と言う土器の特徴に基づく時代区分と言うとても常識では考えられない方法で遺跡の年代を決めて来た。ごく最近になり若い研究者を中心に欧米なみの放射性炭素を使った科学的な年代測定が取り入れられようになって来た。AMS(Accelerator Mass Spectrometry = 加速器質量分析計)を利用することでごく微量の試料でも測定が可能になった。それにより2003年、国立歴史民俗博物館の研究グループは弥生時代の区分が大きく変わることを発表した。早期のはじまりが約600年遡り紀元前1000年頃から、前期のはじまりが約500年遡り紀元前800年頃から、中期のはじまりが約200年遡り紀元前400年頃から、後期のはじまりが紀元50年頃からとなり、古墳時代への移行は3世紀中葉となった。当然、縄文時代もこれにより時代が遡ることになった。6500年前に青森県の三内丸山遺跡が北方よりの渡来民である津保化族により形成される。この津保化族以前にすでにやはり北方から狩猟民である阿蘇部族が渡来していた。3000年前になるとシルクロードを経由して中国にやって来たシュメール系の人々と中国の苗族の混血である阿毎族の人々が朝鮮半島から日本海を経て白山の麓へやって来て、三輪山信仰を行なう。その阿毎氏の末裔である安日彦、長髄彦兄弟が2660年前頃に、中国春秋時代の晋の内紛により難を逃れて津軽に漂着した晋の群公子らとともに阿蘇部族や津保化族を含めて荒覇吐王国を建国した。3000年前の津軽には遮光器土偶で知られる亀ヶ岡遺跡が成立しており、三内丸山遺跡と同じく津保化族を主体とする人々の集落であった。狩猟民として山裾に生活していた阿蘇部族は岩木山や八甲田山の噴火で大半を失っていた。八甲田山の噴火が三内丸山の津保化族を亀ヶ岡へ移動させた。この亀ケ岡土器文化は北陸や長野だけでなく、広く近畿にまで広がり、九州へも影響していた。各地で発掘された遺跡からそれは明らかとなっている。三内丸山遺跡の「環状配石墓」はその後の東北、北陸、長野に広がる環状列石、環状列木に繋がるものと思われる。白山、高志(越)、出雲、信濃にはそれぞれ王国が存在していた。これらの王国が後に荒覇吐王国として連合していくことになる。天照(あまてらす)らが中国浙江省の寧波(にんぽう)から対馬にやって来たのは2700年前頃だと思われる。
銭葵(ぜにあおい) 花が一文銭の大きさだったことに由来する

進行する大量絶滅

2014-08-28 19:19:29 | 自然
今日も一日小雨がちの日であった。最高気温は20度で、職場では風邪を引いた人もいた。夜間は春先のような気温になる。まだ8月だと言うのにやはり予想通りの冷夏にふさわしい感じだ。職場の裏山の百日紅の木も花が次々に開いては来ているが、例年に比べるとかなり花に勢いが感じられない。庭の山野草もしばらく蕾が膨らんで来ないままでいる。日照時間が極めて少ない。恐らく農作物には間違いなく影響が出るだろう。 地球上に初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種ホモ・ハビリスHomo habilisが登場した200万年前から人類は「道具」を使いながら現代まで進化して来た。その道具は現代に入って急速な発達をみせ、地球環境を激変させた。ビッグファイブと言われる地球上での5回の大量絶滅は、6550万年前が最後であった。しかし、現在地球上では6度目の大量絶滅が起きている。地球上には科学者の推定では最高1000万種の生物種がいると言われているが、現在の絶滅率平均は、過去6000万年間の平均より1000倍から10000倍も高い。過去5回の大量絶滅の原因はて、火山の爆発や地球への隕石の衝突、気候の変化などであったが、現在進行中の大量絶滅はまさに人類そのもが引き起こしている。生息環境の劣化と破壊で、絶滅に瀕している種の9割がこの影響を被っていると言われる。英国のリーズ大学のクリス・トーマスChris Thomas教授らの研究では2050年までに生物種の4分の1が絶滅するとしている。また同じ英国のデューク大学のスチュアート・ピムStuart Pimm教授はやはり2050年にはすべての種の25%から50%が滅びるか、または生き残るために必要なだけの個体数を維持できなくなると見ている。世界の森林は毎年1600万ヘクタールずつ縮小し、中南米、中央および西アフリカ、東南アジアという、種の多様性を誇る熱帯林のある地域が最も急速に植物が消えて行っている。人類は大草原や森林を切り開いて農地に変え、河川をせき止め、湿地帯を干拓し、地面を舗装し、都市や道路を築いて来た。種の絶滅は生物の多様性を失うことである。人間は動物なのであり、動物は植物と違ってエネルギーを自ら体内で作り出すことが出来ない。人間を含めたすべての動物は植物が作り出した有機物を消費することで生きている。そして、その植物は動物の排泄物などで微生物を介して支えられている。人間の生命は直接、間接に他の動物種の多様な存在で維持されている。過去の5回の大量絶滅ではいずれも再び生物種の多様性を回復するのに毎回1000万年以上を要している。人間は他の生物種や植物の多様性によって初めてこの地球上に命を与えられている。しかし、我々はその事実をすっかり忘れてしまっている。1992年に締結された生物多様性条約は168カ国が調印しているが、二酸化炭素削減の京都議定書と同じく、世界最大の大国である米国は調印していない。それもあって、実際にはこの条約も効力が見られない。現在の地球上には71億人もの人が住んでいる。1万1000年前に農業が出現した時の地球上の人口は600万人であったと推定されている。従って、それ以来1000倍以上に膨れ上がっているわけである。しかもその大部分は自然から離れた町や都市に住む。しかし、人々が離れた自然の中の多様性こそが唯一人間を生かしてくれているのだ。多様性こそが動植物が地球上に出現して以来、環境の変化の中で生物や植物が生き残って来た最大の要因なのだ。今月20日に発生した広島市の土砂災害もあれほどの犠牲者や被害をもたらしたのは明らかに人災である。15年前にも同じことが起きている地域で、研究者からも警告されていたにもかかわらず、それを無視して宅地造成が行なわれた。自然の破壊を進めることで自ら被害をもたらしてしまった。地球規模で同じことが今進んでいる。しかもそれが止められないままにいるのだ。
椿を覆い尽くす葛(くず)の葉 この根が漢方の葛根湯(かっこんとう)となる

肌寒くなった日

2014-08-27 19:54:00 | 文化
朝から一日曇天が続いた。今朝の気温は17度で半袖だとやや肌寒く感じた。日中の最高気温は21度であった。もう長袖に変えた人も多く見かけた。震災前は観光客の素通りする釜石では宿泊設備も多くはなく、いずれも苦労せず予約が出来ていた。しかし、震災時の津波はそれらの設備をも襲って、いずれも被災した。再開された後は現在まで復興関係の利用者が多いためか予約も難しくなった。そのためか今年は1軒新たなホテルが開業し、来年にはJR釜石駅にもJRがホテルを開業する。今は復興のために多くの人が他府県から来ている。これで復興が終われば、一度に多くの人が去って行くだろう。その後はこうした宿泊設備の利用者は激減するだろう。釜石市は遠野ほど観光には力を入れていない。実際観光するほどのものもない。増えた宿泊設備を含めて、そうした設備が維持して行けるのだろうか。
黄花コスモス

失われた20年の要因は賃金にある

2014-08-26 19:36:13 | 経済
今日は朝からほぼ一日雨が続いた。気温も夜半からに中もほぼずっと20度のまま経過した。8月もまるで梅雨かと思うほど雨や曇りの日が多い。これほどになって来ると、作物への影響が心配になる。釜石は一部の地域を除いて大部分が農業とは無縁だが、お隣の遠野は農業が主産業だ。米やビート、煙草などの作物が多く、いずれも天候に左右される。遠野に限らず、岩手や東北自体が農業を主とする地域だ。農業が主力だから昔ながらの伝統や自然が多く残されて来たのだろう。その農業は天候により不作になると農家は大きな打撃を受ける。それがまた関連業にも影響して来る。晴れればまだ気温は高めだろうが、もう少し日照時間が欲しいものだ。 国の重要な経済活動の指標の一つが国内総生産(GDP)だが、その6割は民間消費支出、つまり個人消費が占めている。日本経済新聞は企業よりの日刊紙だが、その日本経済新聞は消費税増税に積極的であった。しかし、政府が発表した本年4-6月のGDPが2011年の東日本大震災以来の落ち込みとなったことにより、8月15日付けの英国経済紙フィナンシャル・タイムズ(The Financial Times)の社説を載せざるを得なくなっている。『アベノミクスに試練 GDP失速で』と題して。「GDPがこれほど大幅に減少した最大の理由は、政府が消費税の引き上げを決めたことだ。」として、4月の消費税増税が原因だと論じている。日本の経済が活性化するためには、何としても個人消費が増えなければならないのは経済の初歩である。しかし、過去20年、日本ではそのことを企業も政府も軽んじて来た。企業業績が回復した時期にも企業は賃金に収益を分配せず、社内留保として収益を溜め込むばかりで、消費が見込めないため、設備投資へも十分投資出来ないで来た。設備投資もやはり重要なGDPの構成要素である。今や企業の内部留保は300兆円となり、毎年のように増え続けている。需要がなければ、供給意欲も失せるため設備投資もされない。要するに日本は需要の源である実質賃金が低下しているために経済が活性化されないのだ。政府がやろうとしている法人税の減税にしても単に企業負担を軽減するだけであり、個人消費の拡大には繋がらない。むしろ、以前にも書いたように、消費税増税分がのその法人税減税に当てられるだけで、政府としても税収が増えることにはならない。高度経済成長期に何故経済があれほど活性化していたのか。答えは簡単だ。賃金が上昇したからだ。賃金が上昇すれば消費は当然増える。この頃の企業は収益を賃金に分配していた。しかし、バブル崩壊やリーマンショックなどで景気が落ち込むと、雇用調整に苦労し、雇用調整の楽な非正規雇用の拡大に地道を上げ、極端に萎縮するようになった。政府もその企業を支援することしかやらず、株価を維持することで企業を支えようとするばかりで、現政権はさらに円安で輸出産業を支える方針をとった。しかし、いくら国費を投じて企業を保護しても、賃金が上がらなければ、経済は活性化しない。しかも、国費を公共事業などで支出することで国の債務はさらに増えるだけである。個人が豊かな状態こそが国の税収も増え、企業も積極的になれる。世界第3位の経済大国と言われながら、2013年の一人当たりGDPは日本は世界の24位でしかない。欧米先進国は軒並み日本より上位だ。決して日本は豊かな国ではない。国全体としての経済規模が大きくとも国民が豊かでなければ、真の経済大国などとは言えないだろう。財務省法人企業統計調査によれば、本年4四半期の従業員当たり経常利益額は大企業・中堅企業で過去最高水準にあり、中小企業でも80年代後半のバブル期ピークに次ぐ水準になっている。しかし、それが賃金に反映されない状態が相変わらず続いている。
早くも咲いていた秋明菊 中国原産

宗教

2014-08-25 19:23:53 | 文化
今日は朝から雲が多く、一日曇天が続いた。気温は予想通り午前中に26度まで上がり、その後は徐々に下がって来たが、夕方も湿度が高いのか、やはり身体を動かすと汗が出て来た。今朝、出勤時に職場近くの甲子川に4頭の鹿が入っているのを見かけた。中州の草を川の水に入って食べていた。帰宅時にまさかとは思ったが、注意して川を見ていると、その鹿たちがまだ川にいた。しかし、小さい1頭の姿が見えなかった。中州の草むらに入っていたのだろうか。そこから少し上流ではヤマメを釣る人の姿があった。鮎釣りとは違って、岸辺から糸を垂れていた。竿も鮎釣りに比べてずっと短い。曇天だと日が暮れるのも一層早くなる。 1885年に発表された、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りきAlso sprach Zarathustra』でツァラトゥストラは「神は死んだ」と述べている。前世紀から始まった産業革命や市民革命の中で、科学的思考の発展とともに神の存在そのものを疑う人々が現れた。しかし、それでも現代の世界の33%はキリスト教であり、イスラム教がそれに次ぐ19.6%である。仏教は5.9%で、無宗教は12.7%だと言われる。従って、現在はその世界の2大宗教間での争いが続いているわけだ。宗教的にはキリスト教もイスラム教、ユダヤ教は同じ根から出ているにもかかわらずだ。それらは何れも一神教である。欧州にもかっては多神教が存在したが、15世紀から18世紀にかけて行なわれた「魔女狩り」や「異端審問」により多神教は駆逐されて行った。日本は太古から多神教であり、仏教が伝来されてからも、仏教自体が多くの宗派に分かれた。欧米は人間や自然を超えた存在としての神の概念を持つが、日本は縄文時代に自然の中に神を見出すことから始まり、仏教が伝来してからも超越した存在としての仏の概念よりも現世の利益を重んじる傾向が強く、欧米的な超越者の存在と言う概念自体が日本には根付かなかった。岩手県の花巻に太平洋戦中に疎開していた宗教学者の山折哲雄氏は西欧は超越者に対峙する人間として、人間社会では「個の自立」を重視し、他者を疑うべき存在と看做し、「神と人間」との契約を「人間と人間」の関係に置き換えて契約を結ぶことを基本にすると見ている。それに対して、日本は、人は信ずべき存在とする見方を安定させるために集団の在り方を大切にする方法をとったとする。西欧的な「個の自立」ではなく、「ひとりで立つ」ことを日本は打ち立てるべきだとされる。日本語の「ひとり」は文献上は万葉集の柿本人麻呂の歌「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」が初出だと言い、鴨長明や吉田兼好、西行、芭蕉、良寛などの隠者の選んだ「宗教と芸術」の両立に学ぶべきものがあるとされる。西欧の「個」と氏の言われる「ひとり」がどのように異なっているのか。今一つ定かではないが、氏が隠者の生活に通じる氏自身の戦後の貧乏暮らしを楽しむための3つの心構えとして上げた、「自ら出向く」「自分の手足を使って作る」「身銭を切る」などは確かにこれから間違いなく訪れるであろう日本の経済的衰退の中では参考になると思われる。そしてまさしくその在り方は縄文の世界にも通じるだろう。そして氏の言う隠者の「宗教と芸術」は隠者ではない我々には「モラルと文化」として見ることも出来るかも知れない。ツァラトゥストラは「神は死んだ」としたが、そもそも日本では一部の例外を除いて超越者の概念がないため、死すべき神や仏自体が存在しなかったとも見ることが出来るのかも知れない。
山百合の種のサヤにとまった赤トンボ

日没が早くなった

2014-08-24 19:38:42 | 自然
今朝はかなり広く青空が広がり、涼しい秋の朝を思わせた。しかし、午後には33度まで気温が上がり、雲が空を覆うようになった。釜石は日本列島でも東に位置するため、最近は日が沈むのがずっと早くなった。夕方の6時半にはもう暗くなってしまっている。夕方の犬の散歩時はいつも風が凪いでしまうので、さすがにまだ汗が出てしまう。日中はミンミンゼミがまだ鳴いているが、ヒグラシはもう聴かなくなってしまった。暗くなって来ると、庭の草むらのあちこちでコオロギが鳴き始め、それにウマオイの音が混じる。明日からの1週間の予報を見ると、天気は崩れて、明後日からは気温も25度を割った日が続くようだ。今年は冷夏が予想されていたが、確かに30度を超える日が例年より少なく、ともかく曇天や雨の多い夏であった。
庭で咲いている鹿の子百合 日本の原種の一つで絶滅危惧種の百合

秋の気配

2014-08-23 19:14:29 | 自然
今朝は雲が多かったが、次第に青空が広がり晴れの日となった。高い空にはもう筋雲が出ており、空は夏がさって秋になっている。昨夜は一時雷を伴った激しい雨が降って、その後は涼しい風が吹いた。今日の日中の最高気温は30度であったが、風が比較的暑くなく、30度の暑さを感じなかった。夕方には涼しい風も吹き、風ももう秋の風に変わって来ている。結局、今年の夏は30度を超える夏日がわずかなまま夏が去って行くようだ。日中は晴れたのでミンミンゼミが最後の夏を謳歌していた。今日は夕方になってもヒグラシの声は聴こえて来なかった。時間が経つのが早く、もう8月も終わりに近づいた。夜には虫たちの音があちこちから聴こえて来るようになった。これからは秋の東北の紅葉に向かって一日一日が過ぎて行くのだろう。庭の花たちも秋の花に変わって行く。自然だけは何事もなかったかのように毎年同じ花を咲かせてくれる。
白い木槿(むくげ)の花

翼竜

2014-08-22 19:24:43 | 歴史
8月13日付科学誌『PLOS ONE』にカイウアヤラ・ドブルスキイCaiuajara dobruskiiと名付けられた新種の翼竜の化石についての論文が載せられた。ブラジル南部の1億~6600万年前の白亜紀後期には砂漠の湖だったと考えられる地域で、成育段階の異なる47体の化石がまとまって発見された。翼を広げた状態で大きな個体では2.35mにもなる。他の翼竜とは頭部の形状が異なり、両眼の間に骨張った突起が見られると言う。今回の発見は翼竜が群れを作って生活していた可能性を示し、翼竜の成長の過程についても知ることが出来る。これまでも多くの翼竜の化石が発見されているが、今回の化石はとても保存状態がいいと言う。今回発見された幼い個体は、成体をそのままミニチュア化したような外見をしており、幼いうちから親に依存せず、産まれてすぐにも飛べたのではないか、と考えられている。2億5000万年前、地球では最後の超大陸パンゲア大陸が形成された。すべての陸地が一つにまとまっていた。恐竜や翼竜はそのパンゲア大陸で誕生した。恐竜は2億3140万年前に生まれ、翼竜は2億2000万年前に生まれた。やがて2億年前に超大陸パンゲア大陸は再び分裂を始め、1億4000万年前にはアフリカ大陸と南アメリカ大陸が、インド亜大陸及びマダガスカル島と、南極大陸及びオーストラリア大陸がそれぞれ分裂により形成されて行った。6千数百万年前に膨大なマグマが噴出してインド半島の大部分を占めるデカン高原が形成される頃に恐竜や翼竜は絶滅する。翼竜の大きさは小鳥ぐらいの大きさから翼開長12mを超えるものまで様々で、翼を広げて最大のものは12mにもなるケツァルコアトルスQuetzalcoatlusで、地上では体高はキリンほどの高さがあった。翼竜の翼は鳥類とは異なり、コウモリのような薄い膜を広げて飛行していた。コウモリは親指以外の全ての指が膜を支えているのに対して、翼竜は第4指(第5指は退化)と脚の間だけに膜が張られていた。初期には小型だった翼竜は、後期には巨大化し、地上を歩くことも出来た。ピッツバーグにあるチャタム大学の古生物学者マイケル・ハビブMichael Habib氏によれば、ケツァルコアトルスのような巨大翼竜は最長1万6000Kmもの距離を一気に飛行出来た可能性があると言う。長距離の渡りで体重の50%を失うと言われる渡り鳥と同じく、巨大翼竜も72Kgの蓄積脂肪を1回の飛行で燃焼する必要があったと考えられている。飛行する生物としては史上最大であった翼竜のケツァルコアトルス・ノルトロピQuetzalcoatlus Northropiは体重が200Kgを超えており、4本の脚をすべて使って空中に飛び上がり、それから羽ばたいていたと考えられようだ。巨大翼竜は大陸や大陸間を自由に飛行して、地球全域に住んでいた可能性がある。
夏水仙

菊の花

2014-08-21 19:19:52 | 文化
今朝は小雨が降って、その後も降ったり止んだりで、曇天の一日であった。この夏は冷夏が予想されていたが、冷夏と言うよりも雨や曇りの日の多い夏になった。その意味では作物への影響はかなりあるだろう。日照時間が少ないので、花も開きが良くない。庭の黄蓮華升麻(きれんげしょうま)など蕾はずいぶん前から認めたが、膨らみが悪く、一向に花が開いて来ない。30度を超える夏日も例年より少ないように思う。その分身体は楽だが。近所の盆踊りも昨夜はさすがに囃子の音が聞こえて来なかった。もう終わったのだろう。 世界には菊の花は21000種もあると言われ、日本へは平安時代に中国からもたらされたとされる。ヨーロッパへは18世紀に中国から入ったが、あまり普及せず、19世紀に日本からヨーロッパへ持ち込まれたものが注目され、普及するようになった。日本で自生する菊だけでも350種もある。しかし、春の桜と秋の菊が日本の国花とされにもかかわらず、157種の植物が詠われている万葉集には菊は登場しないと言われる。ただ、万葉集の防人(さきもり)の歌に「 父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで」(父母の住む館の裏のももよ草のように、いつまでも元気でいて下さい、私が戻るときまで)と詠まれた「草百代(ももよくさ)」が菊ではないかとも言われる。中国では竹、梅、蘭とともに四君子とされる。「菊」の字は菊の花弁を米に見立てて、散らばった米を1ヶ所に集める意味を持つ。文献上、菊の字が初めて登場するのは『日本書紀』の中の「一書」に書かれたものとして、黄泉の国のイザナミを連れ戻しに行ったイザナギが二人の間で言い争った際、菊理媛神が何かを言って、仲を取り持つ形で登場する。どのような神であるかの説明はない。しかし、この字は『日本書紀』本文にはないので、『日本書紀』が引用した「一書」はおそらく九州王朝の史書だろうと思われる。すでに7世紀までに菊の字は日本へ入っていたのだろう。菊は中国では不老長寿の薬効があるとされて来た。平安末期の後鳥羽天皇が刀を作ることを好み、その刀に刃紋として十六弁の菊紋を入れたことにはじまり、天皇家の菊紋となったと言われる。全国には菊の花を愛好して育てている人が300万人以上いると言われる。秋には各地でその菊の展覧会が毎年開かれている。菊は仏花や献花としても使われるが、中国や韓国は無論、フランスやポーランド、クロアチアなどでも白菊が葬儀や墓参に使われているようだ。
たくさん咲いていた小菊