釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

それでも近づく秋の音

2010-08-11 12:38:51 | 文化
東北の異常な暑さは依然として続いているが風に変化が出てきたように思える。平安時代の三十六歌仙の一人である藤原敏行は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今和歌集169)と詠った。以後藤原定家をはじめ、多くの宮廷歌人がこれから派生した歌を詠った。この歌は確かにそれほどのインパクトを人々に与えるだけのものを持っていると感じられる歌である。今、釜石に吹く風の音に秋を聞くことが出来る。今週末にはお盆で釜石へ帰省して来る人たちのことも考えて、毎年恒例の、花火大会がある。釜石の花火大会は釜石港で行われ、花火が海に映えてまた違った趣を感じることが出来る。今年で釜石で迎える夏は三度目だが、過去の二度の花火大会は暑過ぎずちょうどいい気温の中で観覧することが出来た。北海道にいた時、女満別湖(網走湖)畔で行われた8月のお盆の花火大会は長袖であったにもかかわらず、寒さで震えた記憶がある。内陸の横手で行われる花火大会は全国的な規模のもので、すばらしい花火が見られるそうだが、何分にも交通の混雑で当日は近づくこともママならないと言う。東北にいる間に一度は見ておきたいと思っているが。



朝顔 中国が原産で平安時代に日本に伝わったそうだ 花言葉は「愛情、平静」

秘される瀬織津姫

2010-08-10 12:53:55 | 歴史
今年の夏はほうとうに異常な暑さだ。地元の人でもこの時期に30度を超える経験は初めてだと言う。夜は虫が鳴くせいか多少涼しさが出てきたかと思うが。匠の方に今朝、職場で小川の奥にある人に知られていない滝の写真を見せていただいた。若手の匠の方が携帯で撮った写真だと言う。岩手の山は基本的に岩石の山なので水が流れるところに滝が見られやすいのだと思う。しかも岩手の場合は、この滝の神様として瀬織津姫(せおりつひめ)が祀られていることが多い。釜石へ引っ越す前は愛知県の岡崎市にいたが、この愛知県のかって豊の国と呼ばれた東三河でもやはり瀬織津姫が祀られているところが多い。瀬織津姫は北海道から九州まで全国で祀られているが、岩手県が最も多く、愛知県がそれに次ぐようだ。しかし、「瀬織津姫」の名は不思議なことに古事記、日本書紀には登場しない。『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」の中に瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神、祓戸四神(はらえどよんしん)と記されており、これらの神々を祓戸大神とも言う。瀬織津姫は穢を川や海に流す神とされ、宮中でかって行われていた「六月晦大祓」では祝詞として瀬織津姫の名が出ているにもかかわらず、何故か、記紀はこの神を無視する。天照大神よりさらに古い縄文の神のようなのだが。


野萱草(のかんぞう) 先日のはもう少し赤味が強かった。薮萱草が八重に対しこちらは一重

今夕は「釜石よいさ」

2010-08-07 08:48:07 | 文化
毎週土曜日は個人的にゴミ出しの日と決めている。犬たちの面倒を見た後、このゴミ出しをやると今朝はもう汗びっしょりである。今日の予想最高気温は32度となっている。この暑いのに今夕は「釜石よいさ」がある。職場が参加するので動員されてしまった。今回で3度目だが前の2回はこれほど暑くなかった。「釜石よいさ」は形を変えた街ぐるみの盆踊りということなのだろう。昔から地方では地域毎に盆踊りが行われていたが、徐々に参加者が少なくなり、維持できなくなり、札幌の「よさこい祭り」のような若者による祭典に触発されて、全国で街を上げての祭典が広がっていった。子供たちが小学校の頃、家人と子供たちが札幌のよさこいに参加した。チーム毎に踊りと衣装を毎年創作し、そのお披露目がよさこいに当たる。各チームは取り組みも真剣で若者も積極的に参加する。どのチームも見せ所を持っていて、観客も十分楽しむことが出来る。しかし、これはあくまで伝統のない地方都市の再生をかけた取り組みのように思えた。釜石のよいさはその点では遠野祭りほどの伝統様式はなく、札幌のよさこいほどの個人の活力を見出せない。釜石は自然がすばらしいが、文化は製鉄の亡霊がさまよい、すべてが中途半端に見える。


金糸梅(きんしばい) 黄色い雄しべが金糸、花弁が梅の花に似ていることから付いた名

今年の夏は暑い

2010-08-05 12:39:52 | 自然
やはり今年の東北の夏は異常のようだ。連日30度を超える。とうとう我が家の犬も音を上げてしまった。仕方がないので日中家にいる時には、庭の水道につないだホースで直接犬に水をかけてやった。気持ちが落ち着いたのか吠えるのを止めた。愛知県にいたころは夏になるとしょっちゅうこうして犬に水をかけてやっていたが、岩手では初めてだ。今朝も外で少し身体を動かすだけで汗が溢れて来る。お盆前に帰って来る予定だった家人が、8月30日の奈良、東大寺で行われるゴスペルコンサートに是非行きたいからと、結局9月初めに帰って来ることになった。それで、朝は犬たちの世話だけでなく、庭の花や木への水やりも今や日課になってしまった。この水やりを当初忘れて1種類の花を駄目にしてしまった。息子が植えたスイカも一時水やりを怠って、危なかったが何とか持ち直してくれた。ここのところの暑さが東北にしては並ではないので水やりも不注意で致命的になる。外の犬たちのためにはホームセンターで買ってきた天津すだれを利用して強い日射しを遮ってやるようにしている。それでも長い舌を出して暑そうにしてはいるが。


黄花コスモス メキシコが原産国のようだ。6~10月まで長く咲いている。

合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)

2010-08-03 12:44:45 | 文化
今年の釜石の夏は地元の人たちから見ても異常な気温のようだ。連日暑い日が続き、今週末近くには34度の予想が出ている。それでも昨日あたりから朝は空気がひんやりするようになった。やはり8月に入ったせいだろうか。朝の3時頃にふと目が覚めるとカジカガエルの大合唱が聞こえ、夕方にはヒグラシの合唱が聞こえる。それにウグイスまで加わることもある。釜石はそれだけで避暑地になっている。経済学に合成の誤謬という概念がある。個々の行動としては正しくとも全体として見ると悪い結果を生み出すような場合を指す。先日職場の方と話していて職員の姿勢について考えた時、この合成の誤謬が頭に浮かんだ。岩手に来て、感じたことがこの合成の誤謬のような気がしてきた。岩手の人たちは一人一人見るといい人たちでやっていることに間違いはない。しかし、全体として見ると、間違った方向に向かっているように思える。まず、以前にも何度か書いたように、車の運転だ。一人一人は安全な運転に心がけているが、周囲の流れを十分に見ないで、余計な渋滞を作ったりしている。道路が限られ、広い地域だけに無駄を生じている。職場でも一人一人は正しいあり方をしているが、相手の立場に立った思考が見られないところがある。そのために不要な問題を引き起こしていたりする。地方になればなるほどどうしても個々の人はいい人なのだが、他者への配慮というか、公共性のようなものが薄くなる傾向があるようだ。見方によれば厳しさがないとも言えるのかも知れないが。


桔梗(ききょう) 万葉集で詠われる「あさがお」と言うのは桔梗のことらしい