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炎の佛師☆松本明慶

2006-07-24 20:20:14 | 神社・お寺の話
土曜の朝お経を読みに行っているお寺さんに、新しい佛像が納められた。「童不動」という25cmあまりのお像で、子供ながら衆生をどうやって救おうか?と懸命に思案している姿がなんともほほえましく印象に残る。これは、ここの副住職さまとご縁のある松本明慶という佛師の方の手によるもので、手元に来るまで10年あまりの年月がかかったとうかがった。

この方の佛像を撮った『慈(いつくしみ)』という写真集を見せていただいたが、どれもふくよかで包み込むような優しさを感じる。先日読んだ「ひっ飛べのこころ」を書いた鹿児島にある烏帽子山・最福寺にこの方の手による大弁財天さまがあり、それがこの写真集の冒頭を飾っていた。総高18.5mという木造佛で、実際にその前に身を置くとその大きさに圧倒されるという。魅力的なそのお姿…いつかこの弁財天さまに逢える機会がめぐって来るだろうか?先日泊まった信貴山・千手院にも、この方の千手観音さまが納められていたのを知った。そういえば、護摩堂にいらしたような気がする。何となくそんなことからも、勝手にご縁を感じてしまう。

松本氏の工房は京都にあり、特に紹介などなくても拝見できるとうかがった。この方、とても熱い人らしい。時間の感覚なく彫り続け、日本全国に多くの作品が存在する。お弟子さんも来るもの拒まずで、「見て盗め」的な教え方ではなく何でも丁寧に教えていらっしゃるという。こんなに大御所になっても、その製作意欲はとどまるところを知らない。写真集の扉に、
『 私は、みほとけを謹刻することによってのみ生かされている 』
というお言葉があった。半端に大成した気になっている人は勿体つけるし他者に対しても威圧的で否定的だが、この方のように本当に超越している方は、難しいところがなく優しくおおらかでしかも謙虚だ。これは、今に満足せず走り続けていれば他者に追い越されるという雑念もわかないし、自己の技にゆるぎない自信があればそれを出し惜しみする必要もないせいだと思う。まさに佛師が天職なのだろう。こういうお話を聞くと、今まで漫然と対峙していた佛像にも親近感や興味がわいてきた。今度はどこで、松本氏の佛像と出逢うことができるだろうか?今、特に心惹かれているのが、前出の鹿児島・最福寺の大弁財天さまと、本当に千の手を持つ滋賀・観音正寺の十一面千手観音菩薩さまだ。

松本明慶「慈」→http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/021c97d8.d938ea6a/?url=http://item.rakuten.co.jp/book/1731091/
烏帽子山・最福寺「大弁財天」→http://www.saifukuji.or.jp/benzaiten.html
炎の佛師・松本明慶→http://www.lares.dti.ne.jp/~ymksan/feature_02.html



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2 コメント

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Unknown (みりあむ)
2006-07-25 18:19:07
自らの信条にあう創作活動に、時を忘れて打ち込み
その作品で人々に感動を与えられる人生って
なんてすてきなのでしょうね。
‘私はスペインに渡り、サグダラ・ファミリアに彫刻家として拾われました・・・’
と記すある彫刻家が、彼もまた同じように
職人としてのひたむきさ、謙虚さ、感謝、誇りにあふれて石を削り続けていて
そんな作り手の思いが、佛像や聖堂には込められているんだなーと思い、
私もたまたまそんな本を読んでいて
にゃんこさまのお話に、感応してしまいました。



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Unknown (温泉にゃんこ)
2006-07-25 21:11:57
>みりあむさん

サグラダファミリアの彫刻家の方のお話、私も読んだことがあります。
まさに天職と出逢ったというか、それをするために存在してきたのでしょうね。
自分自身そのことを知るのには、漫然と生きていてはきっとわからない…。
「思い」を「形」にするという作業は「祈り」でもあるのかと思います。
ぜひぜひ、その祈りの形の前に自分自身を置いてみたいのです。
そこで何を感じられるかは、見る人の力量によるような気がしています。
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