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東日本橋のオフィスに資料を取りに行ったら
薬研堀不動院で歳末恒例のなんとか市が開催されてた。
その後、両国にある旧吉良邸跡地に…
ここは、赤穂浪士が仇討ちを果たした場所で
吉良上野介のみしるしを洗ったとされる井戸が残ってます。
そして、忘れてはいけないというか
もっと人々に知って欲しいのが、吉良邸に仕え
この討ち入りで命を賭して主君を守ろうとした
二十一人の忠義の士の存在。
立場、見方を変えれば、吉良上野介は地元の名君であり
殿様を守ろうと二十一人の侍は、忠義の士ということ。
事実、吉良家の領地であった愛知県吉良町では
吉良上野介は情に厚い名君とされているわけだしね。
ここには、そうした二十一士の碑が建っている。
1つの立場からの意見のみをぶつけることが如何に愚かなことか
ここに来ると、いつも改めて教えていただける気がします。