人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

植物のイメージ:『恋せぬふたり』感想

2022-03-31 00:14:05 | その他レヴュー
 アロマンティック・アセクシュアルを扱ったドラマだということで、ずっと見なきゃ、見なきゃと思っていた『恋せぬふたり』(吉田恵里香、NHK、2022年1月10日~3月21日、全8回)、やっと見ました。

 よかったですね。最初アロマンティック・アセクシュアルの男性を、庭いじりが好きだったり、野菜が好きだったりという、植物的なイメージで語ることがステレオタイプかな、と思って少し引っかかったんですが(キャベツはキャベツ畑で子供を拾ってくるとかそういう俗信から?)、最後まで見ると、植物って基本的には動かないものですから、ずっと自分の育った家から動かずに、仕事も家のすぐ近くを選んで、家から出ないようにしていた主人公が、最後動く、という物語なんだということで納得ができます。咲子は結構ずっとアクティブで、視点人物もほぼ咲子なのですが、全体の物語としては、高橋さんの物語として筋を通しているのかな、という印象です。

 『恋せぬふたり』は、他者に恋愛感情を抱かず、性的にも惹かれないアロマンティック・アセクシュアルの男女二人が同居し、家族のかたちを模索する物語です。
 みんな恋愛するはず、という世間の風潮に何となくモヤモヤを感じ、それまでの恋愛にも違和感のあった兒玉咲子(岸井ゆきの)は、アロマンティック・アセクシュアルについて書かれたブログを読み、自分もアロマンティック・アセクシュアルだと気づきます。でもこれは別に自分のセクシュアリティを自覚していなかった人間が、セクシュアル・アイデンティティを形成する物語ではない。偶然そのブログを書いているのが自分の勤めている会社の系列スーパーの店員高橋羽(さとる)(高橋一生)であることに気づいた咲子は、高橋に話を聞いてもらい、他人に恋をしないからと言って、性的に惹かれないからと言って、一人はさみしい、誰かと一緒に生きていきたいと思うことはわがままではない、と言われたことをきっかけに、恋愛抜きの同居生活を提案します。

 これは私自身にとってもかなり切実な問題で、私は結構孤独が好きな人間ではありますが、このままずっと一人で生きていくのかなと考えると、まあ不安しかないですよね。わんこと一緒に暮らせないし。

 最後高橋さんは、同居していなくても家族でいられるんじゃないかという咲子の提案を受けて、自分がずっとやりたかった、野菜を育てる仕事をするために家を出ることになります。
 倒れているときに気づいてもらえるとか、わんこと一緒に暮らせるとかのために同居人の欲しい私としては、うぅむそれじゃあやっぱりちょっと不安、と思ってしまうんですが、それまでずっと家を守って、そこから出ないように生きてきた高橋さんの物語としては、動く、ということは必要なことだったんだろうと思います。
 考えてみれば、ヒロインの咲子のほうが名前からいうと花のイメージで、高橋さんのほうが「羽」なので、飛んでいくイメージです。でも女性に花や園芸のイメージを重ねるのはそれはそれでステレオタイプ。名前では咲子という花のイメージながら、そこからずらしているのかもしれません。

 回想シーン(第7話)での、高橋さんとかつての恋人との、
(何か種を植えたらしい植木鉢に水をやりながら高橋)「人間は進化の仕方を間違えたな。こういう風に子孫を残す方法もあったのに」
(元恋人の猪塚)「さとる、パパ願望とかあったの?」
(高橋)「今の…、そういうことになるんですか…?」
というやり取りは、花や実や種に生殖が重ねられるとか、性愛にアクティブでない男性が草食とか植物に結びつけられるとか、いろんなイメージを全部ひっくり返していて面白い。この植木鉢は、たぶん第6話で手入れしたり雨の日に家の中に入れたりしている南天だと思うのだけど。

 

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