時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家と世俗の世界

2010年02月16日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

George de La Tour. The Payment of Dues. Lvov(Lemberg) Museum, oil on canvas, 99 x 152cm, Signed.
Source: Web Gallery of Arts
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『金の支払い』

Q:この作品で、金の請求者そして支払う者はどう区別できるでしょう?


  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品について、思い浮かぶことは多いのだが、この画家をどれだけ理解しえたのかは定かではない。いつになっても謎が残る画家である。とりわけ、この画家の作品と人間性の間に横たわる距離については、容易には理解しがたい大きな謎として残されてきた。作品の深い闇に沈んだ人物像から伝わってくる精神の高みと、他方で断片的に残る史料記録などから想像される画家の直情径行、強欲さ、特権への執着などにみられる乖離が、画家の実像、とりわけ精神世界についての理解を複雑なものとしてきた。
作品は画家の手になるものとしても、史料記録は本人以外の利害関係者の残したものであり、それぞれの立場を反映し客観的判断は難しい。

 興味の赴くままにこの時代に関わる資料を読んでいる時に、1642年、画家の家へ家畜保有にかかわる税を徴収に来た徴税吏(執達吏)を足で蹴るなど、たいへん厳しい対応で接している出来事を思い出した。この場合も1620年に妻の生地リュネヴィルへ移住するに際して、ロレーヌ公アンリII世から認められた権利を主張し、譲ることがなかった。この時にみられる徴税吏への憎悪ともいえる画家の態度が注目される。記録は徴税吏側の証言であるから、相手側に厳しいのは当然ではあるが、画家の激しい気性の表れが注目された。

 17世紀のこの時代、特に1630年代から60年代にかけて、戦争、飢饉、悪疫などの影響で、フランスそしてロレーヌ公国は、国土荒廃の極致にあった。戦費調達のための増税に次ぐ増税で、領民は疲弊のどん底にあった。不満は農民ばかりでなく、職人、貴族などを含めて、広い社会層に鬱積していた。 そのひとつの現れは、この時代、フランス全土に蔓延していた社会不安にかかわる現象である。そのいくつかはさまざまな暴動、一揆という形で爆発した(この暴動の発生因についても、諸説あるが、ここでは立ち入らない)。

 暴動の多くは、現在のフランスでいえば、西部および西南部で多く発生したことがその後の研究で明らかになっている。アルザス・ロレーヌに近い北東部は比較的少なかった。それでもトロワでは 1630年, 1641年, 1642年にかなりの暴動が勃発している。アミアン、ディジョンなどでも発生した。フランスとは政治的には一線を画していたロレーヌ公国にも、それらの不穏なうわさは当然伝わっていたことは疑いない。

 重税への不満は、長い経済停滞の間に社会のさまざまな分野へ広く深く浸透していた。とりわけ現在の納税方式とはまったく異なり、直接に、各種の税の取り立てに当たる徴税吏への反発は、憎しみの水準まで高まっていたといってよいだろう。今日と異なり、税の徴収は執達吏が直接出向いた。当然、厳しい緊迫感が漂った状況が多かったに違いない。こうした中で、ラ・トゥールはロレーヌ公から得た特権を最大限に行使する傍ら、作品は高値で売れる有名画家として生活に貧窮するようなことはなかったと思われる。しかし、この特権の持ち主にも納税・課税の要求は執拗に行われていたことは間違いない。時代も移り、画家とも親しく、いまだ若かった画家に特権を付与したアンリ二世もすでに世を去っていた。わずかに残る一枚の認可状を盾にしての特権の行使も一筋縄ではいかなかったのだろう。


 こうした背景で鬱積した感情が、画家生来の直情的性行と重なり、徴税吏などからの要求に爆発することもあったと思われる
。 画家の作品『金の支払い』は、こうした状況において金を請求する者と支払わされる者との緊迫した光景を描いていると思われる。かつては『税の支払い』という表題もつけられていた。徴税は当時の社会の大きな注目点だった。フランス王国においても、ロレーヌ公国においても、さまざまな名目で税の徴収が行われ、そのひとつひとつは大きな額でなくとも、総計すると重税となって領民を苦しめていた。

 画家ラ・トゥールは社交的な人物であったとは思いがたい。むしろ、かなり内向的で偏屈あるいは時に剛直に近い性格であったと思われる。それでも世俗の世界におけるさまざまな鬱屈をなんとか自制の力で押さえ込み、制作の世界での深い精神的沈潜に当てていたのだろう。その精神世界は、作品と同様に依然深い闇の中にある。


Reference
Robin Briggs. Early Modern France 1560-1715. second ed. OUP, 1998.
 

欄外の謎:この『金の支払い』の原画は、左右が逆になっています。

 

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