時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

さまざまな春

2007年04月10日 | ロレーヌ探訪

   
   
    ロレーヌ再訪の旅は、期待していた以上に充実感を与えてくれた
。 いつものせわしない旅とは違って、時間の束縛からできるだけ抜け出て、行きたい所、見たいものを優先し、余裕を持たせた旅だったからかもしれない。これまではよく見えなかったことが、かなり見えてきたのは予想外の驚きでもあった。記してみたいことはあまりに多いが、ここで一休みすることにしたい。

  インターネット時代、かなりの情報はネット上で得られるようになったとはいえ、現地、いわばオンサイトで体験するメリットは多い。自分をその場に置き、実物に肌で接している間に、さまざまな連鎖反応が生まれて、新たな可能性に気づいたりする。旅のひとつの目的であった17世紀の画家の世界に、現代の目でできるだけ近づいてみたいと思う願いはそれほど突飛なものではなかった。400年前の世界と現代とは離れすぎていると思われる方もいるかもしれない。しかし、その距離は思いのほか近かった。

  ロレーヌという地域がかつて経験したことを、現在でも経験している国々がある。外国の軍隊の自国への侵入と惨憺たる国土の荒廃など、人類は進歩しているとは考えがたい。その中でさまざまに生きる人々の生き様を推し量ってみたいと思った。

  ロレーヌの野には春の光が射し始めていたが、日本へ戻ったらこちらも春爛漫であった。春は心身に新たな生気を吹き込んでくれる。東京には、「イタリアの春」 PRIMAVELA ITALIANA も来ていた。レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の傑作「受胎告知」(ウフィツィ美術館蔵)が、イタリア政府の好意によって国立美術館で展示されている。この「受胎告知」は何度見ても素晴らしいが、一寸距離感がある。さまざまな取り決めをある程度理解していないと、作品の真意は伝わってこない。作品を読み解くための蓄積が見る側に要求されている。しかし、17世紀になると、そうした縛りが次第に解けてくる。別に知識がなくても、作品に無心で対するだけで自然と伝わってくるものがある。現代に通じる人の温かみのようなものが感じられる。「印象派の時代」とも少し違った「人間」がそこにはいた。


Photo Y.Kuwahara

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