時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

国境の中の国境:拡大EUの今後

2005年05月08日 | 移民政策を追って


シェンゲン協定(Shengen Agreement)の加盟国は1985年6月14日に成立した当時のベルギー、フランス、ルクセンブルグ、オランダ、西ドイツ(当時)のヨーロッパの5カ国から2023年1月現在、27カ国となった。(時系列上の記事は、時の経過とともに内容に変化が生じるので、ご注意ください)。

こうした動きは、極東の島国である日本からみると、大変素晴らしい展開のように映る。たとえば、域内では人の移動も自由化され、パスポートなしでどこへも行ける。なぜ、日本は制限をしているのかという短絡した議論が生まれる。


しかし、加盟国が次々と増加するEUの実態は、必ずしも正確に理解されていない。人の移動にしても、EU拡大によって国境がなくなったわけではない。むしろ障壁が強化された面もある。実態を客観的に見る必要がある。

加盟国が増加するにつれて、EU共通の移民・難民政策の整備が早急に必要とされるが、現実には各国がそれぞれの政策に固執しており、統一化は難航している。僅かに、1985年に成立したシェンゲン協定で協定加盟域内の人の移動は自由化され、イギリス、デンマーク、アイルランドを除き、EU域内のパスポート管理は廃止された。その結果、従来、各国が担っていた国境管理の焦点は、東および南へと拡大し、EUの前線へと移行した。こうしたフロンティアでは、EUに入り込もうとする人々と国境パトロールとの激しいせめぎ合いが見られる。

シェンゲン協定の成立

EUの国境管理を理解するについては、シェンゲン協定の重要性を理解しておく必要があるフランス、ドイツ、ルクセンブルグ、オランダ)の間で締結された国境管理の廃止にかかわる条約である。シェンゲンはフランスとドイツ国境に近いルクセンブルグに属する小さな町である。この町に近いモーゼル河の船上で、協定の署名が行われたため、この名がつけられた。当初、EUとは独立の形で進められたが、後にEUの権限内に統合された。

協定の目指すところは2点あり、シェンゲン協定を結んだ国家の域内(シェンゲン地域)で、国境管理を廃止するとともに、域外に対する国境管理に関して加盟国間で調和をはかることにある。とりわけ後者は、域内へ入ろうとする者が最も管理が緩やかな国境から入り、シェンゲン域内のより管理が厳しい国へ移動することを防ぐ意味で重要である。

 協定の目的
シェンゲン協定は、シェンゲン情報システムを通して、人の移動に関する情報を共有することを含んでいる。情報を共有することを通して、潜在的に好ましくない人間がある加盟国から別の加盟国へ移動して‘消えてしまう’ことがないようにできる。以前は、ある国で警察に追われている刑事犯でも別の国へ逃げ込むことで追求を免れた。しかし、シェンゲン協定によってある国の警察は他の国まで犯人を追うことができるようになった。

シェンゲン協定は国家的保障のために必要ならば、国境管理を協定以前の状況に戻すことが許される。ひとつの例はポルトガルで開催された、2004年のヨーロッパ・サッカー選手権の場合である。

 シェンゲン協定とEU
協定に署名した国はノルウエー、アイスランド、スイスを除くと、EUのメンバーである。また、EUの中で、イギリスとアイルランドは、協定に署名しない道を選んだ。イギリスは自らの国境を維持したいと考えている。周囲を海で囲まれているという条件を考えると、イギリスがこうした選択をすることは、理解できる。アイルランドはイギリスとの間にシェンゲン協定に類似した取り決めを行っている。2000年には両国はシェンゲン情報システムに参加し始めた。

シェンゲン協定は、EU加盟国の間に合意が成立しなかったこともあって、EUとは独立に生まれた。その後、1997年に成立したアムステルダム協定はシェンゲン協定によって生まれた展開をEU法の枠組みに取り込んだことになった。たとえば、新しいEU加盟国は域外非加盟国への国境管理について、EUの統一的な対応を充足することが求められる。とはいっても、シェンゲン協定の法的説明責任などについて、疑問も提示されてはいる。

困難な一元化
EUの最前線の国境管理、域内各国における移民・難民政策には、各国の歴史や文化事情なども反映し、かなりの差異があり、現実には簡単に一元化ができない。当面の政策としては、次の二点が検討されている。1)EUの国境警察で、国ごとの国境コントロールを代替する、2)難民申請が却下された難民を母国が引き取るために政府援助を使う。前者については、特に反対はないが、実現に時間がかかっている。前者については、イギリスなどが中央集権的な組織は必要ないとして反対し、フランスを中心とするグループと対立している。後者のプランはイギリスのアイディアだが、イタリアも同様なアイディアを提示している。しかし、援助を不法移民のために使うことには、意欲的でない国が多い。

難しい移民・難民政策の一体化
移民・難民政策の一体化には、国ごとの制度の差異や強弱に加えて、難民や労働者の側にも家族、文化的結びつき、労働の機会、言語などの点で短期的に一元化することを困難にさせる点が多い。多くの国で政治家は、自国の政策が、EUの統一政策に包含されることを望まない。不法移民にEUが協調した対応をとるべきだと指導者は述べてきたが、実際にその方向での対策は緩慢である。そのためもあって、国ごとに特別の施策を導入してきた。


たとえば、デンマークは難民申請者への給付をカットする法律を導入し、配偶者や高齢の血縁者をつれてくることを難しくした。イタリアは、国内に居住することを希望する非EU国民には、指紋押捺を条件とすることにした。イギリスは、難民申請者の子供は、同国民の正規の教育システム外で教育を行うことを提案している。また、オーストリアは、2003年に「外国人同化政策関連法」を施行し、外国出身者にドイツ語の学習を義務づけ、移民流入に歯止めをかけようとしている。家族の結合についても違いが見られ、ドイツは一二歳以上の子供が親と一緒になることを望んでいないが、他国は厳しすぎるとしている。難民申請後、決定までの時間についても差異がある。不法滞在者は難民認可のためのショッピングをしているともいわれる。これらの対応からうかがえるように、加盟各国が同意するEU統一移民・難民政策の導入までは、かなりの地ならしが必要だろう。

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