Johannes Vermeer, Allegory of Faith, ca.1672-4(oil on canvas, 114.3x88.9 cm)m New York, The Metropolitan Museum of Art, The Friedsman Collection, Bequest of Michael Friedsam, 1931.
フェルメール・フリークではないのだが、17世紀の画家の一人としてかなり以前から関心を抱いて作品は見てきた。といって、この画家について格別好みの一枚があるわけでもない。それでも気になる作品はいくつかある。その一枚は、『宗教の含意』The Allegory of Faith と題する作品だ。フェルメールの作品の中では、きわめて不人気な作品といえるだろう。今はニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵している。以前にブログにも記したことのある富豪フリードサム氏が1931年に寄贈したものである。
メトロポリタンで最初に見た時、不思議な印象を受けた。フェルメールの手になるものということは、すぐに分かったのだが。この画家は一瞬の光景を切り取り、美しく精緻に描くことに長けている。その点はこの作品でも変わりはないが、何をテーマとしたものか、しばらく考えさせられた。
寓意のオンパレード
画題の『宗教の含意』は後世に付されたものである。17世紀、カルヴィニズムが国教とされていたネーデルラントに生きたフェルメールだが、この作品は明らかにカトリック信仰を前提としている。制作を依頼したパトロンは誰だったのか。恐らく個人の信者の依頼ではなかったかと推定されている。もしかすると、小さな「隠れ」教会の祭壇を飾っていたのかもしれない。現存するフェルメールの作品歴の中では、晩年に近い年次(画家が死亡する前2-3年、1672-4年頃)に位置づけられている。
この作品についての美術史家の評価は、概してあまり高くない。それどころか「寓意だけが並んだ悲惨な」作品という酷評すらある。見ようによってはイコノグラフィの知識をテストするための作品のようですらある。確かに細部にわたり精緻に描きこまれているが、パトロンの要望に応えようとしたのか、一見して描き込みすぎという印象が強い。作品としては凡作だろう。
しかし、他方で、フェルメールの精神世界をうかがい知るには、最重要な作品になるのではないかという思いがしていた。作品のイコノグラフィカルな詳細については専門家にゆだねるとして、この画家を取り巻いていた宗教的背景について少し考えてみた。
17世紀の宗教世界
17世紀前半のオランダは黄金時代を迎えていた。スペインとの戦いに勝利を収め、独立の意欲に燃えていたが、国民の精神世界は緊張をはらんでいた。事実上国教となったカルヴィニズムに対して、カトリックを含む他の宗教・宗派は公式には信仰を禁じられ、カトリック司祭など聖職者は国外退去を迫られた。自由な宗教上の選択というよりは強制によるプロテスタント化が進んだ。
さらに、教会資産の世俗化(接収)、信徒の公的地位からの追放、違反者に対する罰金、収監などが行われた。カルヴィニズムは聖像崇拝などを禁じたため、彫刻家、画家などもパトロンを失い、大きな打撃を受けた。
カトリック側は、布教に携わる司祭が不足する事態も生まれた。厳しい迫害によって、信徒は教会の秘蹟にあずかれず、魂の救済への道が閉ざされるという危機にさらされていた。これはカトリック信徒にとっては、事実上信仰の否定、禁止に等しかった。
しかし、最近の研究で、かなり当時の実態が明らかになってきた。それによると、ネーデルラント全体がカルヴィニズム一色で塗りつぶされたわけではなかった。地域によってもかなりの差異があったようだ。公的な地位でも、カトリック信徒が許されている地域もあった。概して都市部では、人々は異なった宗教の信者に寛容だったが、農村部では因習も残り、迫害も厳しかった。もっとも都市部でも場所や時期によっては、カトリックに対する迫害、差別が厳しかったことも指摘されている。たとえば、1639年のアムステルダムでは、カトリックへの憎悪に満ちた迫害の事実が多数指摘され、同時に悪疫も流行したため精神的支柱も揺らぎ、かなり悲惨な状況もあったようだ。しかし、そうした苦難を超えて、アムステルダムの隠れ教会では、300人近い信徒がミサや夕べの祈りに参加していたという事実もあった(Parker 237)。
フェルメールはカトリックへ改宗したか
カルヴィニストとして幼児洗礼を受けた画家フェルメールが、成人してカトリックへ改宗したか否かは、美術史家の間ではひとつの論点となってきた。美術史家の大勢は、カトリックの妻と結婚した時に改宗したのではないかと考えているようだ。しかし、教会の記録や画家自身の記録などは一切残っていないため、あくまで推定にすぎない。
当時、国教となっていたカルヴァン派から、公的には禁じられていたカトリックへ改宗することは、選択の可能性として少ないのではないかとの議論もあるようだ。しかし、宗教史などの最近の研究成果を見ると、北ネーデルラントにおいては、宗教選択の流動性はかなり確保されていたとみられる。
危機はエネルギーをかきたてる
カトリックに限っても多くの信徒を失った反面で、逆に危機感に迫られた教会などが布教活動に力を入れ、カルヴァン派からカトリックへかなりの数が戻った事実も指摘されている。たとえば、1628年アウグスティノ修道会の知牧perfect の報告によると、北ネーデルラントでは多数のカルヴィニストがカトリックへ改宗したともいわれている。
また、ローマン・カトリックの旧来の教育を受けてきた司祭などが国外退去させられたことなどで、教区のヒエラルキーが解体され、古い慣行や因習にとらわれない清新な宗教風土が生まれたこともあげられている。オランダにおけるカトリックの再生は、ヨーロッパの他地域におけるカトリック宗教改革の強みともなった。
数が少なくなったローマからの聖職者に代わり、地域の平信徒エリートなどが危機感に目覚め、信教基盤の維持に向けて活動するようになった。彼らは信徒の教育などに熱心でカトリック改革のエネルギーとなった。古いパトロンから離れ、自由な布教の風土も生まれた。
改宗の可能性と契機
フェルメールが改宗したと仮定するならば、その契機としてはいくつか考えられる。最有力なのは結婚の時であった。しかし、すでに記したように決定的な文書記録などがなく、証拠に欠ける。
第二の可能性としては、義母マーリア・ティンスの家へ移住した時期が考えられる。1641年以降、マーリアはゴーダを離れて、デルフトへ移った。フェルメールは1660年までに妻、3-4人の子供と、義母の家に移り住んだことが分かっている。
今日では世界的に名の知れた画家だが、フェルメールの生活は楽なものではなかったようだ。レンブラントほどの大きな浮沈ではないが、晩年はほとんど自立できない困窮状態だった。結婚後の初めと終わりの時期がとりわけ収入が少なく、安定していたのは1660年代のわずかな期間だけだった。
経済的にはほとんど常に困窮していたらしく、1657年にはパトロンと思われるピーテル・クラスゾーン・ファン・ライフェンから200ギルダーの借金をしている。義母の家に住むようになったのは、フェルメールの家計の困窮度がさらに高まったことが大きな要因だろう。当時のネーデルラントでも、結婚しても独立しなかったり、大家族として生活を共にする例は決して多くなかったようだ。
最初は娘がフェルメールと結婚することに反対していたマーリアだが、同じ家に住むようになってからフェルメールへの信頼度が高まっている証拠が次第に増えてくる。フェルメールも蓄財、家計などの才はなかったが、誠実だったのかもしれない。
大変だった子供の養育
フェルメールは実際の生計を立てる上で、この義母と親戚などに助けられるところがきわめて大きかった。熱心なカトリック教徒であった義母とその親族の影響を受けて、カルヴィニストであったフェルメールの心は大きく揺れ動いていたに違いない。フェルメールと妻の間には15人の子供が生まれ、当時のオランダでも珍しい大家族だった。この子供たちを育てるだけでも、かなり大変であったことは容易に推測できる。
子供の数の多さという点では、ラ・トゥールの場合に似ているが、ラ・トゥールの子供たちは大半が乳幼児の時に死亡している。オランダとロレーヌの環境風土の差異は、この点でも歴然としていた。
フェルメールの子供たちは、判明している限り、いずれもカトリックとなった。カトリックへの迫害はかえって信仰心をかき立てたといわれるが、熱心なカトリック教徒のマーリアや親族の影響を受けて、カトリック教育もしっかりと行われたのだろう。この時までフェルメールが改宗していなかったとしたら、大変居心地は悪かったはずだ。周囲はすべてカトリックであり、日々の生活の有りようにもその影響は深く浸透していたに違いない。
実際、マーリアやフェルメール一家が共に住んだ家は、デルフトの「隠れ教会」にほとんど隣接するカトリック教徒が集まって住む地区だった。周辺のプロテスタントはこうした動きに抗議もしたが、集住の動きは強まっていった。カトリック信徒は、シェリフ(治安官)に多額の付け届けをして、お目こぼしを依頼していた。
こうした環境の中で、「信仰の寓意」は制作された。レンブラントの場合と同様に、フェルメールの遺産目録には、この作品に描かれている物のほとんどが記されているようだ。人気のない作品だが、なかなか興味深い謎を解く鍵を秘めているように思われる。幸いというか、不思議なことに、ゴーダに住む長年の友人で17世紀オランダ美術の研究者と久しぶりに再会する機会が生まれた。最近の研究成果などを聞くのが楽しみになってきた。(続く)
References
Charles Parker. Faith on the Margin. 2008
Valerie Hedquist. ‘Religion in the Art and Life of Vermeer.’ The Cambridge Companion to Vermeer. Cambridge: Cambridge University Press, 2001.