時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

心の赴くままに:コロナの嵐の中に響くピアノ

2021年01月13日 | 午後のティールーム

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新型コロナ・ウイルスの感染拡大で、生活スタイルは明らかに変わった。とりわけ緊急事態宣言が発出されてから在宅時間が長くなり、その過ごし方もいつの間にか変化している。

あまり自覚していなかったが、筆者にとって最も変わったのは、音楽が流れている時間が長くなったことである。調べ物や断捨離などの仕事をしている時間が多くなり、単調な環境を少しでも改善しようと、BGMとしても何かを聴いている時間が多くなった。

聴いている曲で最近増えているのはピアノ曲、ピアノ協奏曲が多い。古くはディヌ・リパッティ Dinu Lipatti (1917-1950)、ウラディミール・アシュケナージ Vladimir Davidovich Ashkenazy(1937年ー) 、マウリツィオ・ポリーニ Maurizio Pollini(1942ー)、マルタ・アルゲリッチ Maria Martha Argerich(1941年ー)など、そして最近ではでは辻井信行さんなどが多くなった。

ディヌ・リパッティ Dinu Lipatti 1917-1950 は長いお付き合いだった。しかし、今ではリパッティのことを知る世代も少なくなり、出番も少なくなった。リパッティはルーマニアのピアニストだが、33歳の若さで亡くなっている。病気はホジキンリンパ腫と言われる。このピアニストに魅せられるようになったのは、未だLP全盛の時であった。クリスタル・クリアと言おうか、清麗で透明感のある音色のピアノである。一回聴いただけで魅せられてしまった。純粋に徹し、この人だけが持つ洗練された演奏と思った。ショパンやモーツアルトなどを得意としたピアニストだが、ショパンのワルツ集は現在でも絶品とされている。ブザンソンの最後のリサイタルでは、演奏途中で体力が尽きたといわれているが、音楽に生命を賭けたピアニストには壮絶な感がある。

アシュケナージはかなり長く聴いている。活動範囲が広く、息の長いピアニスト、指揮者だ。元来ソ連のピアニスト、指揮者と思っていたが、今はアイスランド国籍でスイスに住んでいるようだ。父方はユダヤ系だが母方は非ユダヤ、ロシア人と言われる。確かH.G.ウエルズがユダヤ系はオクターブ感覚に優れ、音楽家として世界で活躍するトップ10人のうち7人はユダヤ系と記していた記憶がある。

アシュケナージは、ショパン・コンクールをきっかけに国際的な名声を確立した経緯もあってショパンの作品には精力的に取り組んでおり、その評価も高い。さらに、ラフマニアの作品に積極的に取り組んできた。このピアニストは派手なジェスチュアや演奏態度で聴き手を圧倒するというより、安定して美しい音楽的魅力を十二分に発揮してきたと思う。音楽史上、指折りのマエストロの名にふさわしい。さらに、指揮者としての貢献も大きい。辻井伸行さんの師とも言えるのだろう。引退を決意されたようで、大きな時代の終わりと思った。音楽史上も壮大な貢献と言えるだろう。

辻井伸行さんといえば、2009年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したこの若きピアニストのCD、DVDも最近はかなり聴くようになった。Youtubeもかなり開くことが多くなった。アシュケナージが心がきれいだからと評するように、辻井さんの演奏は最初のタッチからこの人にしかない、音楽そのものが伝わってくる。ベートーヴェン ピアノソナタ第14番『月光」など、一瞬背筋が緊張したような気がした。このピアニストの脳裏には、どんな月の光が射しているのだろう。

辻井さんが学生時代を過ごした東京音楽大学附属高校の近くを年数回は通ることがある。雑司ヶ谷の墓地の近くである。歩いていると、ピアノやオケの音が聞こえてくることもある。上野学園大学の近くも一時はよく歩いていたが、この頃は出かけることはほとんどなくなった。

最近よく聴いたり見たりしているのは、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23、ワレリー・ゲルギエフ指揮、ピアノ辻井伸行によるマリインスキー劇場管弦楽団の演奏だ(上掲)。

ちなみに、このブルーレイ版には、下記の演奏も含まれている。
ラフマニノフ:プレリュード嬰ト短調作品32の12
辻井伸行:それでも、生きてゆく
チャイコフスキー:トロイカ
ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 作品135
[ライヴ収録]
2012年7月8日、サンクト・ペテルブルグ
マリインスキー・コンサート・ホール

人生の終幕近く、心の奥底に響くような音楽を聴いていると、コロナの騒ぎもどこかへ消えてゆく。一時期、自分も何か楽器を演奏できればと思った時もあったが、その才能も練習する時間もなかった。いつも走っているような時期が多かった。ピアノも諦め、フルートも親友のフルート奏者K君に手ほどきを受けたが、成人気管支喘息を発症してからは、諦めてしまった。その友もはるか前に世を去ってしまった。リパッティや辻井伸行さんのピアノを聴いていると、自分が今どこにいるのかと思う時が増えてきた。


関連:
2021年1月16日NHKテレビ011
「フジコ・ヘミングさんが語るコロナ禍こそ音楽の力」
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