今年2011年は後世の歴史家にとって、いかなる年として記憶されるだろうか。これまで世界に起きた出来事をみるかぎり、「大きな災厄と政治変動の年」になりかねない。考えられないような出来事が次々と起きている。
中国の列車脱線・衝突事件と並んで発生した、ノルウエー、オスロの爆弾テロ・銃乱射事件のニュースを見ていて、ある記憶が戻ってきた。1994年のことである。フィンランドのヘルシンキでヨーロッパの学会があった。イギリスに在外研究で滞在していたので、ロンドン北部のスタンステッド空港から出かけてみた。その途上、友人の誘いでオスロに立ち寄り、ベルゲンなどへ足を運んだ。爽秋というには、かなり冷気を感じるような天候で、頭上は厚く灰色の雲で覆われていた。オスロもベルゲンも市内は人影少なく、旅の寂寞感が深まる北の町という印象だった。北欧はそれまでにも何度か訪れていたが、この時はかなり陰鬱な思いがした。続いて起きた出来事の予感だったのか。
港で見た船
ヘルシンキでの学会は無事に終わり、ロンドンへ戻る日が迫っていた。ホテルは港に近く、この時、停泊していた大きなフェリーボートが印象に残っていた。数階建てのビルのような巨大なクルーズ・フェリーだっだ。船名は、MS Estonia (エストニア号)。間もなく詳細を知ることになるのだが、1980年にノルウエーの船主がドイツの造船所へ発注し、建造された船舶だった。第一印象は、巨大で見上げると威圧感はあるが、なんとなく不安定な感じを受けた。
友人がこの船に自分の車を乗せるから、一緒にバルト3国の旅をしないかと誘ってくれた。スエーデン人で、この数年前にシドニーの友人LRの家で会い、シドニー近辺の小旅行をしたことがあった。その後、ある出版物の共著者ともなって、親交を深めていた。
不幸な出来事
バルト三国は当時はなかなか行く機会がなかったので参加したかったが、すでにロンドンでの予定が入っており、残念な思いでお断りした。イギリスへ戻って数日が経過したころ、TVのニュースを見て仰天した。バルト海上、エストニアのタリンからストックホルムへ向かう海洋上で、深夜、巨大フェリーが転覆、沈没し、多数の死傷者が出たことを報じていた。遭難した人のリストに、友人O・ハマシュトロームの名もあった。平和時の海難事件としては、1912年のタイタニック号遭難に比較される、20世紀最大規模の大惨事(日本語による別の解説)となった。こうした事情でたまたま日本にいなかったので、日本でどの程度報道されたのかよく分からない。後に聞いたかぎりでは、日本ではあまり詳細が知られていないようだが、1994年9月28日の出来事である。852人の尊い人命がバルト海の暗い海で失われた。当日は天候は荒れ模様ではあったが、航海上、支障が生まれるほどの状況ではなかったと伝えられた。そのため、後にはテロリストや国際的な陰謀が介在したのではないかとの推測も生まれた。事故調査委員会の報告書は公表されたが、真相は必ずしも明らかではない。
深い人種的偏見
このたびのオスロでの悲惨な出来事については、すでにさまざまなことが報じられている。それによると、この惨劇を起こした容疑者は、増加しつつある移民、とりわけイスラム系移民への強い嫌悪を抱いていて、それが動機になっているらしい。近年、EUの基軸国で増えつつある極右思想の持ち主と伝えられている。ノルウエー政府の移民への寛容的政策に反発し、この残虐な犯行に及んだという。いずれ、捜査が進むにつれて、真相が浮かび上がってくるだろう。
確かにノルウエーでは移民労働者は、このところ顕著な増加をみせていた。2008年には66,900人の入国が記録されていた。(出入りがあるので、純増分は43,600 人)。しかし、ノルウエーはこれまで移民受け入れで、さほど大きな話題となった国ではなかった。人口に占める外国生まれの比率は、2008年でおよそ11%で、EU諸国の間では、それほど高いとはいえない。
「ヨーロッパ社会調査」European Social Survey によると、2008年時点でノルウエーは調査対象17カ国の中で、スイスに次いで、国民が移民(労働者)の経済の影響を「積極的」positive にとらえる比率が高い国である。また、国の文化生活 cultural life への影響については、デンマーク、ポルトガル、スペインなどに並び、ほぼ中位に位置している。フィンランド、スエーデンのように、北欧諸国は総じて移民の影響をプラスに受け入れており、寛容な政策をとってきた。
遠い「ヨーロッパ市民」への道
ノルウエーへの移民労働者の3分の2は、EU諸国からの流入だ。ポーランド、ドイツ、リトアニア、スエーデンなどからの入国者が多い。その多くは、雇用を求めての労働移動である。ノルウエー企業が欲しがる高い熟練を体得している労働者は、インド、ロシア、中国、アメリカ、フィリピンから出稼ぎに来ている。
フランス、ドイツ、イギリスなどの事情と比較すれば、ノルウエーでは、イスラームの影響が伝えられるほど大きいとは感じられない。事件の容疑者は、EUの近年の変化により強く影響を受けているのかもしれない。世界は明らかに激動の時を迎えているが、真相の分からないことも数多い。十分な調査と的確な政策の提示を期待したい。
Source:
OECD. International Migration Outlook: SOPEMI 2010, Paris, OECD, 2010.
6月に、娘一家の住むブダペストをハブにして4カ国を回ってきましたが、ノートルダム寺院前で写生に来ていた小学3~4年生30人程の内、過半数の生徒がアフリカ系でした。観光地の混雑振りは大変なものでしたが、日本人より中国人と韓国人の方が目立ちました。向暑の折、ご自愛専一に。
コメント有り難うございます。
ノルウェーのように人口が460万人くらいの国ですと、移民(労働者)の増加はその絶対数が少なくても、以前からの国民には大きな衝撃になることが分かります。これまで北欧の他の国と並んで寛容度の高い政策をとってきたのが、裏目に出た感じです。日本人には実感度が薄い、宗教上の差異を背景にした異なった文化の流入への対応は、教育と対話以外にないのでしょうか。
この国の移民統計をみると、労働移民のほかに、難民庇護申請者の数が毎年1万人を越えており、旧ユーゴスラヴィア、イラク、ソマリアなど国際紛争の犠牲者が多数みられます。
ある程度の国境を越える移動は、世界の活性化のためにも必要ですが、内戦拡大の防止、雇用創出など、問題の源への政策対応の強化がどうしても必要に思われます。