時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

増えるばかりの見知らぬ隣人:遅きに失した日本の移民制度改革

2018年10月19日 | 移民政策を追って

この道の行く手に光は見えるか

 

政治家・メディアの責任
外国人労働者の受け入れ拡大に向けた出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案が、10月24日召集の臨時国会の焦点になりそうだとメディアが伝えている

しかし、一般の国民でこの問題の真の意味と重要性を理解している人がどれだけいるだろうか。前回の本ブログ記事でも指摘したが、移民(労働者)・難民問題を長年にわたり、国家の重要政策課題としてきたブログ筆者とすれば、これまで国民的議論の対象とすることを回避してきた政治家、主要メディアの責任はきわめて大きいと感じている。

過去半世紀近く、「外国人労働者」、「移民」、「難民」、などの実態、定義は微妙に変化し、その境界線は限りなく不分明になっている。移民の中には、難民や旅行者の姿をとる者もいる。他に合法的な定住への道がないことを知っているからだ。判定はきわめて困難になっている。その実態を正しく理解している政治家がどれだけいるのか、かねがね疑問に思ってきた。

政府は「移民政策はとらない」(安倍晋三首相)との表明を繰り返しているが、在留期限を限定して受け入れた外国人労働者といえども、その一部がいずれ「永住」化することは、明白に立証された事実であり、多くの欧米諸国で国民を分裂させ、国境の壁を高くする重要な争点になっている。臨時国会の議案となる入管法改正案でも外国人労働者の受け入れを単純労働まで広げ、「永住」につながる仕組みまで想定している。

欧米諸国ならば、この改正案は「移民制度改革」に該当し、大きな国民的議論の対象となる。しかし、この国で政治家レベルのやりとりをメディアで知る限り、与野党がどれだけ問題の本質を見極めているのか、一般国民にはほとんど伝わってこない。故意に問題を矮小化しているのか、問題の重要性を認識していないのか、国民にはほとんど分からない。本来ならば、各党がもっと早い時期から現状認識、将来展望、制度改革の構想と政策を開示し、国民的議論の場に提示すべきだろう。その点について政治家及び新聞、TVなど、主要メディアの責任は大きい。野党も政府案を「拙速だ」としているが、自らの問題認識と政策案を分かりやすく国民に示すべきだろう。

一人の労働者を受け入れることは、その人の家族を含め、人間としてのすべてを受け入れることである。検討課題は、出入国、労働、教育、社会保障、宗教、犯罪等々、人間の存在と活動のあらゆる領域にわたる。ブログ筆者にはすでに時遅しの感があるが、次の世代が直面する苦難を少しでも軽減すべきために政治家が果たすべき役割はきわめて大きい。


例えば、「新在留資格 批判の矛先」『朝日新聞』2018年10月18日

 

 

Reference
花見忠・桑原靖夫編『明日の隣人外国人労働者』(東洋経済新報社、1989年)
—————————『あなたの隣人外国人労働者』(東洋経済新報社、1993年)

桑原靖夫編『グローバル時代の外国人労働者 どこから来てどこへ』(東洋経済新報社、2001年)
筆者たちが移民労働者の日米比較を試みた当時、日本とアメリカを比較しても意味がないとの批判もあったが、今や先進諸国の国民を引き裂く重要共通課題となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする