エンパイアステート・ビルの建設現場で働く労働者。右下後方に見えるのは、クライスラービル。
Photo: Lewis W. Hein
3.11の地震が建設途上の東京スカイタワーを襲った時のTV映像を見た。現場におられた方は、文字通り生きた心地もなかったようだ。特に、タワー最上部におられた方々の恐怖に引きつった顔が迫真力をもって伝わってきた。幸い大きな問題はなく沈静化し、図らずもタワーの耐震テストになったと説明があったが、東京直下型の大地震(M9クラス)なども想定内なのだろうか。高所恐怖症ではないが、東京スカイタワーが完成しても、自分から上ろうというつもりはまったくない。
ところで、今年は9.11同時多発テロ勃発後10年になるが、それまでニューヨークで最高の高さを誇っていたワールド・タワー・センターが崩壊してしまったため、次の建造物が完成するまでの間、ニューヨークの最高のビルは、つかの間とはいえ、あのエンパイアステートビルがその座を取り戻している。
上に掲げた写真は、1930年、エンパイアステート・ビル建設途上のある光景を移した記録の一枚である。撮影者は、あの1930年代のアメリカのさまざまな職場の写真記録を残したルイス・ハイン (Lewis W. HIne)だ。
エンパイアステートビルは、名門ホテル、ウオールドルフ・アストリア・ホテルが移転した跡地に1930年に着工、当時としては驚異的に短い年月(公称建設期間:1929-30年)で竣工した(最高部までは443m、最上階までは373m)。その偉容は、アメリカの威信を示すシンボルとして、世界の注目を集めた。その高さを決めるに際して、ひとつの目標となったのは、すでにマンハッタンに建設されていたクライスラービル(写真背景に見える)の高さを凌駕することだった。筆者は今でもクライスラービルのアールデコ風の内外装が好きなのだが、完成してみると、エンパイアステートもさすがに独自の風格を誇示していた。
ところで、エンパイアステートビルでは、多くの労働者が地上はるか天空の職場で、さまざまな作業に従事した。この労働者をよく見てほしい。彼らの多くは行動が制限されるからと命綱もつけずに、高所の鉄骨の上をこともなげに歩き、作業していた。職場の安全基準の法的整備が不十分であった時代である。高所恐怖症でなくとも、見ているだけで、背筋が寒くなってきそうだ。
スカイボーイと呼ばれる大変危険な仕事に従事する若い労働者
Photo. Lewis W. Hein
エンパイアステートビルの建設には、多数の移民労働者とともに、あのモホーク族のインティアン労働者が働いた。彼らの一部は農業に従事していたが、ほとんどは都市部へ移住し、主に建設労働者となって、産業勃興期のアメリカを支えた。クライスラー・ビル、エンパイアステート・ビル、ワールド・トレードセンター、ジョージ・ワシントン橋、サンフランシスコのゴールデンゲート橋などの工事に際しても、モホーク族労働者の貢献は大きかった。9.11のビル崩壊後の残骸撤去、遺体収容などにも多数のモホーク族労働者が従事した。
彼らは「スカイウオーカー」と呼ばれ、高所でも恐怖を感じることがなく、普通の人ではとても歩けないような梁の上なども、地上と同様に歩けるのだと伝説的に語られてきた。しかし、その後のインタビューなどによると、彼らも高所の作業は大変怖かったと語っている。
移民で形成されたアメリカでは、早く新大陸に到着した移民ほど、概して社会的に上層部を確保・形成したといわれてきた。皮肉なことに、先住民族であるネイティブ・アメリカンが最も差別されて、最下層へ追いやられてきた。
アングロサクソン系白人優位となったアメリカで、植民地時代以前から迫害されてきた先住民族、ネイティブ・アメリカンズは、高所作業や危険な作業など、誰もやりたがらない残された仕事につかざるをえなかったのだろう。実際、建設労働者には後から新大陸へ到着したアイルランド系などの移民労働者*が多かったが、いずれも大変な苦労を重ね、アメリカ社会での地位を築いていった。
歴史を正しく理解するにはある程度の熟成期間が必要になる。世界的大恐慌期の1930年代は、現代アメリカを理解する上で、きわめて重要な意味を持っている。多くの興味深い問題が、解明されることなく潜んでいるように思われる。
Reference
Lewis W. Hine. Men at Work. New York: Dover Press, 1997.
* 下記の小説は、エンパイアステートビル建設をめぐるアイルランド系労働者などの時代環境を活写している。
Thomas Kelly. Empire Rising. New York: Picador, 2005, pp.390.