時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

現実となった「おとぎ話」

2010年05月29日 | 労働の新次元

 口蹄疫のニュースを見ているうちに、思いがけずもある光景が浮かんできた。ジョージ・オーウエルの名作『動物農場』 Animal Farm の描写だ。このたびの宮崎県の出来事は、動物までも工場生産される資本主義的経営が極度に展開した時点で起きたひとつの事件ともみえるが、なんともやりきれない思いがする。しばらく考えている間に、偶然小さな雑誌記事に出会った。これも同じ『動物農場』からの連想だ。

 ジョージ・オーウエルの『動物農場』の強力な雄馬のボクサーは、大変大きな馬体の持ち主でとても力が強い。ねばり強く、よく働き、仲間の尊敬の的だ。「俺はもっと働くぞ」I will work harder が口癖だ。朝は早く起き、夜は2時間余分に働く。ひずめを割った時でも休みをとらない。それでも彼の先行きに待っているものは、仕事場で倒れれば、膠と肥料用の骨粉にされるだけのことだ。

 『動物農場』の目的は、当時のソ連(社会主義)批判だった。しかし、その後、オーウエルの描いた世界は、資本主義にもあてはまりそうにみえてきた。オーウエルは『動物農場
』 の副題に「おとぎ話」fairy tale と付している。だが、結末で「動物農場」は「荘園農場」Manor Farm となり、豚と人間はどちらがどちらか区別がつかなくなる。

 その「おとぎ話」からの妄想?のひとつ。今日の世界を覆う失業がもたらす変化
が想起される。失業はそれ自体労働者にとって大きな苦難だが、さらにその増加、拡大にともなって、雇用されている労働者に「働き過ぎ」、過重労働という事態を生み出す。失業の恐怖がそうさせるのだ。最近のイギリスのある調査によると、対象となった 1000人の労働者の3分の2は、無給の時間外労働(「ただ働き」)をしている。これに対する報酬はといえば、賃金水準の凍結と休日の減少だ。 『動物農場』のボクサーと共通しているのは、いづれ破滅がやってくることだ。

 これまで労働者たちは、厳しい仕事でもストイックに耐えてきた。それは雇われている間は、ともかく仕事が続いていること、そして会社もなんとか存続していることだ。しかし、『動物農場』に描かれているように、専制的な経営者に反抗したり、異議を唱える勇気ある精神はめっきり衰えている。労働者はおとなしくなってしまった。ストライキもほとんどない。

 いつの頃か、経営者が労働者の自発的な努力を理解せず、単に消耗品とみなすようになっている。必要な時だけ雇えばよいという考えだ。しかし、それがもたらした惨憺たる状況を前に、企業側も「働き過ぎ」のマイナス面に気づき始めてはいる。だが、労働者の働く意欲は以前と比較すると格段に衰えている。そればかりか、企業への忠誠心も急速に薄れた。一度失った信頼は、なかなか取り戻せない。1970-80年代の日本の活気を支えた「会社人間」は、どこへ行ったのだろう。労働者は働きながらも、会社は信頼しきれないと、どこかで考えるようになった。

労働問題はどこでも同じではありませんか。 
ピルキントン氏の言葉:
「あなた方が対処すべき相手に下等動物があるならば、われわれには下層階級ありです。」

'If you have your lower animals to contend with, we have our lower classes!' (Owen Chapter 10)

 経営者側もさまざまな手は打っている。しかし、雇用の二極化はおかまいなしに進んでいる。正規労働者と非正規労働者という二種類の労働者だ。労働条件が異なれば、働き方や労働意欲も異なってくる。どうすれば、労働者のやる気を引き出せるか。潜在能力のある人たちを引き留めておくためにはどうすればよいのだろうか。年々劣化が著しいこの国の姿を見ていると、「おとぎ話」はとうに現実のものに見えてきた。

すべての動物は平等である。
しかしある動物はほかの動物よりも
もっと平等である。

ALL ANIMALS ARE EQUAL
BUT SOME
ANIMALS AEW MORE EQUALS
THAN OTHERS.


Schumpeter Overstretched. The Economist May 22nd 2010.

George Orwell. Animal Farm  a Fairy Story.London: Penguin Books, 2003.

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