さまざまな格差論がジャーナリズムなど論壇をにぎわしている。政府は「多様な可能性に挑める社会」としているが、すでに拡大してしまった格差を正当化するような感じがする。首相は、個人の自由競争の結果なら、格差が出ることは悪いとは思わないと述べているが、その前提が危うい。再チャレンジ政策を提唱し、格差は拡大していないとの政府答弁の裏側は、拡大してしまった格差を暗に是認しているような印象である。
いつの間にか、日本は世界有数のパートタイム労働者の国になっている。短時間雇用者を「平均週就業時間が35時間未満の雇用者」と定義すると、2005年で実に1,266万人、雇用者中に占める短時間雇用者の比率は24.0%になっている。1970年の時点では6.7%であった(総務省統計局「労働力調査報告」)
OECD(経済協力開発機構)の国際比較統計によると、上記の数値とわずかな差異はあるが、日本はいまや先進諸国の中では際だってパートタイム比率の高い国である。そして、OECD事務局は、国際比較でみると、日本はもはや格差の小さな平等度の高い国ではないと述べている。
パートタイム比率(雇用者全体に占めるパートタイマーの割合)をみると、オランダ、オーストラリアに次いで世界で3番目の高さである。イギリスやアメリカを上回っている。そして、パートタイマーに占める女性の比率も67.7%と高い。正社員とパートタイマーの平均賃金には大きな差があり、その差も拡大している。
OECD事務局は背景にある、1)非正規雇用の増加、2)正規雇用への保護が厚すぎることを指摘している。日本政府代表は同年代の格差は高齢者層ほど大きくなる傾向を強調、「格差拡大の主因は高齢化」と反論しているようだ。非正規雇用が増えたのは、リストラの結果でこのまま景気が上向けば正規雇用が再び増える可能性もあると指摘。その上で「非正規雇用者への保護を手厚くすることが格差縮小につながる」と主張したようだが、政策提示は後手にまわり、いまや説得力はない。
格差の評価は、さまざまな要因を考慮しなければならないことは分かるが、統計だけで判定ができるものでもない。国民の将来に対する漠たる不安感、そして急速に増加している社会のマイナスの諸現象(若者の無力感・アパシー増加、要介護者の生活窮乏など)の「体感」も、体温と同様に日本の健全度を判定するに際し、重視すべき判断基準と考えるべきだろう。
OECDの日本評価では、外国人労働者の受け入れ促進を促す意見、需要急増の「介護」を就労資格に加えるべきだとの意見が出たと伝えられる。外国人労働者を受け入れて問題が解消するわけではない。「介護」についても同様である。しかし、このブログでもしばしば取り上げているように、根本に立ち返り、いかなる選択肢が残されているか、目先の利害に引きずられることなく、将来のあり方を見据えた国民的検討が必要なテーマである。
Reference
「OECD格差問題クローズアップ」『朝日新聞』 2006年6月27日
'Part-time work', The Economist June 24th 2006.