時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

メディアの恐怖:映像から見たゲッべルス

2006年01月27日 | 雑記帳の欄外


    どういうめぐり合わせか、またゲッべルスを主役とした番組*を見ることになった。「メディア操作の天才」というゲッペルスの実像は、小柄で貧相である。軍服や戦時服を着ているから、他のナチスの将校たちと並んでもあまり目立たないだけである。痩せて病的な顔に見える。とりわけ、恰幅のいいゲーリングと並ぶと、この男がヒトラーの片腕であったかと思うほどである。

    しかし、ナチス・ドイツ宣伝文化相は、さすがに弁は立つ。恐ろしい美辞麗句が列挙されるとはいえ、当時のドイツ国民はこの一人の男に大きく揺り動かされたのだ。「モスクワやレニングラードは占領するのではなく、破壊する。敵を滅ぼすことが目的であって、褒美ではない」。この恐ろしい言辞もすさまじい熱狂で迎えられていた。
 
    だが、愛国的なプロパガンダとは裏腹に現実は厳しい様相を呈していた。映像が映し出した1941年当時、東部戦線で敗色濃いドイツ軍はすべてが不足していた。だが、「宣伝の威力」は恐ろしい。1943年2月15日、スポーツ宮殿での演説でもゲッペルスは「自分の分身を100万人つくれば・・・」と述べ、異様なまでに興奮した空気に包まれている。「君たちは総力戦を望むか」とのアジに、群衆は一斉に熱狂的な歓呼で応えている。今見ると恐ろしいばかりである。時代の狂気、異常さというのは、同時代人には分からないのだろうか。

  このゲッべルスにも尊敬する人物がいた。こともあろうに、敵国イギリスのチャーチル首相であった。東部戦線も望み薄になった時、「血と労苦と汗」というチャーチルのスローガンを利用できないかと考える。ドイツ軍の爆撃やロケットでの昼夜を問わない攻撃にも屈しないロンドン市民を前にして、ゲッべルスはなにを思ったのだろうか。国民の士気を鼓舞するために「コルブルグ」という映画も作成する。「士気の高揚という点では、ひとつの戦争に勝利するのと同じだ。」とゲッべルスは考えたのだ。

  今回のライブドア事件に限ったことではないが、メディアの報道に右往左往させられる国民の実態に、背筋が寒くなる思いがする。

Reference
「メディア操作の天才 ゲッべルス」シュピーゲルテレビ制作、2004年
BS7 2006年1月23日放映 

コメント
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