時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

中世装飾本特別展からの連想

2006年01月18日 | 書棚の片隅から

The Macclesfield Psalter の海外流出抑止を訴える募金ポスター


中世書籍の制作をめぐって


  作家の伊集院 静氏が1月13日付『日本経済新聞』の「読書をする人十選」)で、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品「聖母の教育」(「聖母の読書」)を取り上げ、その中に描かれている書籍がなにであるのか興味を持ったが、確認できなかったと記されている。
  
  実は、私もこの書籍はなにを書いたものであるのか関心を持ち、その部分を拡大してみたことがあった。しかし、なにか挿絵のようなものがあることは読み取れたが、書籍の内容についてまでは確認できなかった。このラ・トゥールの作品「聖母の教育」
については、真贋論争の渦中の一品でもあり、このブログではまだ取り上げていないが、いずれ話題としてみたい。

中世装飾本の世界
  実はラ・トゥールの作品に登場する書籍(いくつかある)は、キリストや使徒たちの時代を想定すれば、画家がイメージしたのは彩色本であったのかもしれない。この彩色本について、イギリス、ケンブリッジ大学のフィッツウイリアム美術館とケンブリッジ大学図書館の共催で、昨年末まで開催されていた『中世西欧における書籍制作の10世紀』と題する特別展**があった。

  この特別展は昨年7月から年末まで開催され、フィッツウイリアムズ博物館やケンブリッジ大学の学寮などが所蔵する、金、銀などで彩色した書籍(装飾本)を中心にヨーロッパから集められた展示物であった。 あのラ・トゥールの生涯の探索にも登場するメッスの文書なども含まれていた。現在はある意味で伝統的な印刷書籍の終焉の時を迎えつつあるのかも知れない。電子出版が着実に拡大しつつある。しかし、紙に印刷した書籍もそう簡単になくなって欲しくない。

  印刷術の発明者がグーテンベルグか否かは異論があるようだが、15世紀中頃までは、Book というとしばしば「聖書」のことを意味したといわれる。 こうしたことを考えていると、現在我々が日常手にしている印刷書籍に先行した彩色本制作について、新たな興味が湧いてきた。  

  4世紀にパピルスは現在の書籍の形態によって代替された。最初は羊皮紙だったが、その後紙が取って代わる。15世紀中頃までは羊皮紙に印刷されることもあったらしい。そして、初期ルネッサンス、ダンテ、ペトラルカ、チョーサーなどの作品を今日に伝えてきた。

   活版印刷物が出回る前に制作されていた書籍に金銀を含む顔料で彩色した作品が、今回の展示が焦点を当てたものであった。 これらの彩色本の制作は、みるからに複雑な過程を必要とするとともに制作費も高価であり、多大な時間を要したことが分かる。その背後に富裕なパトロンの富、地位、趣味などさまざまな条件が必要となる。

マクレスフィールド・サルター文書 
  この展示で最大の注目を集めたのは、The Macclesfield Psalterと呼ばれるイギリスの彩色原稿である。宗教戦争、社会的不安、放置などのために多くのフレスコ画やパネルが逸失してしまっている今日、この小さな書(170x108cm)はイギリスの中世絵画の精緻な成果を今日に伝えている。

  この書籍はイーストアングリアのシルバーン城 Shirburn Castle のマクレスフィールド伯爵の図書室の棚に何世紀も文字通りたなざらしになっていた。そして、2004年6月22日サザビーのオークションにかけられ、アメリカのポール・ゲッティ美術館が購入した。

  しかし、その後、美術品の輸出に関わる委員会などの目にとまり、フィッツウイリアム博物館などが中心になって、イギリスの国家的面子にかけて大規模なキャンペーンを展開し買い戻したものである。14世紀(1330年代)イーストアングリアにおける最も注目すべき装飾本のひとつといわれている。

興味をそそる内容
  この一部分だけを印刷したものに以前出会ったことがあり、今回の特別展を契機に新たな興味がわいてきた。以前から特に記憶に残っていたのは、兎が馬に乗っている場面とか、猿が壺に入れた飲み物を病人らしき人に運んでいる場面とか、深海の「えい」のような魚が描かれていたりして、『鳥獣人物戯画巻』の情景を思わせる部分があったからである。

  今回の特別展に展示された文書の挿絵や解説の一部を読んでいると、中世人の不思議な世界の一端が浮かび上がってきて思わず引き込まれて行く。 このマクレスター・サルター文書を展示した特別展には、彩色文書を作成した顔料、絵筆、補修材なども展示され、大変興味深いものであった。「聖母の教育」につながる「書籍」の歴史も追いかけてみたいテーマではある。


Reference

The Macclesfield Psalter. Cambridge: The Fitzwilliam Museum, 2005
**
The Cambridge Illuminations: 26 July-11 December 2005
http://www.cambridgeilluminations.org/

コメント
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