時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

真冬の夜の夢

2006年01月14日 | 会議の合間に
  2月号の『中央公論』が「大学の失墜」というテーマを巻頭に掲げている。日本の大学の権威が低迷し、多くの大学が就職予備校化しているという。このこと自体は、はるか以前から指摘されてきたことで、いまさらという感じがする。テーマ設定が、時代の進行からかなり遅れている。 

  多くの問題が指摘されてはいるが、現在の議論の延長線上に光は見えてこない。この小さな島国に1,000近い大学を設置してしまい、入学人口が減少する今後は市場の淘汰に任せるというのは、高等教育政策としてかなり無責任なあり方といわざるをえない。大学もゴルフ場も同じような次元に置かれている。「就職に強い」、「学生に来ていただく」大学作りなどのスローガンが、大学当事者によって臆面もなく掲げられている。壮大な建物が作られ、キャンパスがきれいになる裏側で、大学の知的空洞化・衰亡が急速に進んでいる。

  かなりの大学が「入りやすく、出やすい」、単なる人生の通過期間の場所になっている。優勝劣敗の風が吹く社会へ出るまでのしばしの「モラトリアム」と化している。それなら、どうして4年間も必要なのだろうとさえ考えてしまう。

形骸化する大学  
  あまり議論されていない問題だが、近年のインターネットの発達が大学に与える衝撃がある。少なくも文科系に限ってみると、世俗的な目的のために大卒の資格が必要ならば別として、真に学問に関心を抱き、知的対象を追求するのであれば、高い授業料を払ってまで大学キャンパスに来る必要も少なくなっている。   
 
  世界のどこに求める対象があり、どの図書館、研究機関が必要な文献や研究を行っているかということは、以前とは比較にならないほど容易に分かるようになった。内容は別として、少なくも最先端の情報がどこにあるかを発見することはそれほど難しくはない。あとは、その場所へのアクセスをどう確保するかということになる。   

  インターネットは知的関心の対象とそれを求める人々の関係にも革命的な変化をもたらした。これまでの大学と学生の間に存在した距離の束縛をかなり切り離した。社会が真に実力のある人材を認めようとするのならば、大学卒の資格すら必要ない。   

  外からの批判がない密室状態の教室で、知的好奇心を呼び起こされない授業を惰性で聞いているよりは、はるかに魅力的でチャレンジングな世界が広がっている。真の大学は一定の場所と空間を占める物理的な存在ではなく、われわれの心の中にあるといってもよい。  

広がった知的世界
  もちろん、大学が必要とされる部分も十分あることは百も承知の上のことだが、大学に過大な期待を寄せる必要もない。「大学」の外に真の大学があるのだと思いたい。そう考えると、名ばかりで内容のない大学が淘汰されることはむしろ望ましいことであり、無駄に資源を投入して生き残り策を講じる必要もない。  

  粗末な黒板だけの教室だが、生き生きとした目をした学生に溢れ、夜間節電のために消灯になった後、裸電球がともった電柱の下で本を読んでいる学生がいる、ある国の大学を経験してふと思った。「真冬の夜の夢」である。
コメント
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