団塊世代(1947-49年生まれ)といわれる人たちが、労働市場から少しずつ退出しようとしている。その受け取り方には個人差はあるが、周囲の人たちを見るかぎり、今後の人生にチャレンジし、積極的な生き方をしようとする人も多く、救われる感じがする。他方、医療や看護・介護などの現場を見ると、高齢者の圧倒的多さに改めて別の衝撃を受ける。「2007年問題」とまでいわれるようになった団塊世代の問題だが、日本の場合、すでに人口の20%近くが65歳以上である。
ドイツの退職者ネット
高齢化問題は先進国の中では日本が際だって厳しい状況だが、他の国々でも「ベビーブーマー」世代の労働市場からの退出は、同様に見られる現象である。こうしたことを反映してか、このところメディアが海外の高齢化問題をとりあげることも多くなった。たまたま出会ったBS1の番組でドイツ人の退職後の人生における過ごし方について、ひとつの問題を紹介していた。ドイツでは、ある推定によると、2050年には3人にひとりが65歳以上になるといわれているが、すでに高齢化社会の前兆はここでもいたるところに現れている。
番組で紹介されたのは、引退後予想しなかった孤独感に襲われた人々の悩みを、インターネットで結び解決しようというひとつの試みであった。登場した人物のひとり、ドロシア・ツルクさんは長らく医療機器を扱う仕事に従事した後、定年を迎えた。現在は、ドイツ北部の小さな町シュビーグに住んでいる。娘たちは遠く離れて生活しており、ひとり暮らしである。しかし、スポーツ好きで毎日ジョギングもするほど健康であり、経済的にも不安はない。
しかし、毎日職場に通勤していた頃は実感がなかったが、実際に小さな町で暮らし始めてみると、仕事をしていたときには想像しなかった孤独感に襲われた。これは予想外のことであった。彼女は仕事の方は引退しても、人生まで引退するつもりはなかったのだ。といって、いまさら再就職するつもりもない。
さまざまな選択
ドイツはこのたび年金受給年齢を引き上げて67歳とすることにしたが、これもかなり厳しい政策上の選択である。60歳代に入ると、精神的にも肉体的にも個人差が大きくなり、人生の過ごし方も大きく異なってくる。70歳を過ぎても仕事を続けたい人もいるが、もっと早くから別の人生を楽しみたい人もいる。仕事を続けられれば、そのまま人生を終わってもよいと思う人もいる反面、在職中は自分の時間を十分もてなかったので、退職後はそれまでできなかったことを、ぜひやってみたいと思う人も多い。
実際、ドイツに限らず、多くの国の政府は従来60歳近辺を年金支給年齢に設定し、労働市場からの退出と合わせるようにしてきた。しかし、高齢化の進行と財政難で、年金支給年齢を引き上げざるをえなくなった。60歳から65歳、そしてドイツのように67歳まで引き上げようとする国も現れた。
孤独な人々を結ぶネット: Alt und jung kommen sich im Internet näher
こうした状況の下で、ドロシア・ツルクさんが偶然に出会ったのは、ひとつのインターネット・上のサイトであった。gebraucht-werden.de(「必要とされている」の意味)と名付けられている。開設したのは、ランスブルグに住む45歳で歯科技工士のラングさんである。自分は高齢者ではないが、離婚してひとり暮らしとなり、その孤独感から脱却しようと考え、試みにサイトを立ち上げた。ところが予想外に反響があり、今では週に4000近くのアクセスがあるという。
このサイトのひとつの売り物は、サイトに自分の広告を出すことができることだ。先のツルクさんは、無料で子供たちの世話をするサービスを始め、2週間に1回9人の子供たちを自宅へ受け入れている。近隣の親たちから反響があり、大変満足感を得ているという。子供たちの家族との交流も生まれ、新たな生き甲斐を感じているようだ。この例からも明らかなように、引退した人たちの悩みのひとつは、職場などで働いていた時には感じられなかった孤独感であるようだ。
実際にこのサイトにアクセスしてみると、シンプルな作りであり、分かりやすい*。ただ、あまりに地味すぎて、もう少し色彩や飾りがあった方が良いと思うくらいである。デザインもちょっとあか抜けない。それでも、中身を見てみると結構面白い。日本でもすでに類似のサイトが開設されているのかもしれない。
グローバル化の展開に伴って、地縁、血縁などこれまで人々を結びつけていたきずなが急速に細くなっている。転職、退職など、なにかを契機に孤立感を感じる人も多いのだろう。インターネットの世界は経済や情報のグローバル化を推し進め、そうした状況を作り出してもいるが、他方で孤立化した個人を結びつける役割も果たしている。自分もその一端にかかわりながら、考えてみると不思議な世界である。
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http://gebraucht-werden.de/
2006年3月13日 BS1
日本人は絶滅?
先進諸国に高齢化の大波が押し寄せている。なかでも少子化が格段に進んでいる日本は最も厳しい状況にある。このままでは900年後に日本人は絶滅するという推測もある。
最近のNewsweekが「新高齢社会」という特集を組んでいる*。(その割には内容にとぼしいのだが。) 冒頭に1997年に日本の佐賀県に設置されたJEEBAという「高齢者の、高齢者による、高齢者のため」の会社“Of the elderly, by the elderly and for the elderly”が紹介されている。この会社に働くのは 60歳から75歳の人々である。高齢者用品を専門に作っている。これから、こうした会社が増えて行くだろうという予想である。
限られた選択肢
高齢化による労働力減少、医療コストの膨張、年金システムの崩壊は程度の差はあるが、多くの先進諸国を脅かしている。この状況への選択肢は、どの国でも以前よりずっと高齢まで働くしかないようだ。EUではフィンランドやデンマークのように戦後長く続いた退職年齢を早める動きを逆転させ、退職を遅らせる方向になっている。かつてのように、早く退職し、ゆとりあるゴールデンライフを楽しむという時代は終わりを告げつつある。
ドイツやアイルランドも、長らく早期退職を勧め、労働力の若返りをはかってきた。多くのOECD加盟国では、平均すると退職年齢は1950年の69歳から61歳へと若くなってきた。フランスでは80歳近い平均寿命の下で、労働者は平均59歳で退職し、20年以上国民年金で生きるというパターンが一般化していたが、もはや機能しなくなっている。
国民の抵抗も
しかし、流れを逆転させる提案には反対も強い。昨年、ベルギー、イタリア、フランスは、年金給付年次の引き上げなどを含む改革案を提示したが、国民からの強い反対にあった。メルケル首相のドイツも、退職年齢を2008年から2032年の間に65歳から67歳へ引き上げるについて、速度を遅らすことを余儀なくされた。現時点では2008-2032年の間に1年について1ヶ月増やすことになっている。
待ったなしの日本
日本は今後10年に15-64歳層が年74万人ずつ減少する。企業はきわめて深刻な労働力不足に見舞われる。すでにその前兆はいたるところにみられる。フリーター、ニートなどに気をとられている間に、働き手がいなくなってしまうのだ。企業としては、選択肢は限られている。
1) 定年延長
2) 定年制度廃止
3) 再雇用
のいずれかを選ぶしかない。本来、働き続けるか、引退して余暇を楽しむかの選択は、法律などで定められるのでなく、労働者が自分自身の意思で選択することが望ましいのだが、現実はそれを許さない。アメリカなどわずかな国が年齢による差別禁止の理由で定年制を廃止している。日本の企業は、ほとんどが再雇用という形を採用するのだろう。定年延長は制度が硬直的になりやすい。従業員の高齢化は生産性にも影響する。
「第3の時代」は蜃気楼か
退職は労働生活へのご褒美ではなくなった。今までよりずっと長く働き、健康に恵まれ、平均寿命より長く生きれば年金で余暇を楽しめるということになるのだろうか。1889年、最初の「福祉国家」の基礎を創った宰相ビスマルクの時代へ逆戻りするような感じがする。
ちなみに、ビスマルクの時代に初めて国家として高齢市民に対する扶助責任が明らかにされ、「高齢者」の範囲が確定された。この時に65歳が基準として採用されたが、取り立てて明確な理由は存在しなかった。1880年代の平均余命は40-45歳で、ビスマルクの保険数理士が進言したように、為政者の財源にとってきわめて「安全な」設定であった。なお1889年時点で、ビスマルクは74歳、きわめて壮健であった**。
その後、イギリス、アメリカなどの諸国は、ビスマルクの前例にならい、65歳という年齢が次第に給付適格年齢として採用され、また退職の年齢としても使われるようになった。
社会保障制度もその後大きな変遷を遂げたが、厳しい労働生活に耐えて生き長らえた人々だけが年金生活を享受できる。年金保険料の「元を取る」のも厳しくなった。一時は人生に「労働」の時期の後に、自分のやりたいことが楽しめる「第3の時期」が生まれそうに見えたが、蜃気楼だったのだろうか。
Reference
*
“The New Old Age”, Newsweek , January 30, 2006
**
U.S. Congress. Senate. Special Committee on aging. The Next Steps in Combating Age Discrimination in employment Policy. Washington, D.C., GPO, 1977.