大倉草紙

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【京都】 中右コレクション 四大浮世絵師展 ~写楽・歌麿・北斎・広重~ (美術館「えき」KYOTO)

2009年01月21日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
1月18日(日)
当日の行程:(阪急・河原町駅) → 【浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展(京都高島屋グランドホール)】 → (京都市バス・四条河原町~京都駅前) → 【中右コレクション 四大浮世絵師展 ~写楽・歌麿・北斎・広重~(美術館「えき」KYOTO)】



「浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展」を観たその足で、「中右コレクション 四大浮世絵師展 ~写楽・歌麿・北斎・広重~」の会場へ向かう。
ベルギーロイヤルコレクションの保存状態の良さを実感する。

北斎の「江戸見坂夜雨」や「風流江戸百日の出」など、珍しい作品を目にすることができたのは収穫だ。


葛飾北斎「凱風快晴(青刷り)」
「凱風快晴」の色変わり品。

葛飾北斎「凱風快晴」
赤富士と青富士、全く印象が違う。

歌川広重「即興かげぼし尽し」は楽しめた。
幇間が座敷芸で披露する影絵の隣りに、種明かしのように裏側での幇間の格好が描かれている。
思わず同じ格好をして試してみたくなった。

【京都】 浮世絵 ベルギーロイヤルコレクション展 (京都高島屋グランドホール)

2009年01月20日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
1月18日(日)
当日の行程:(阪急・河原町駅) → 【浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展(京都高島屋グランドホール)】 → (京都市バス・四条河原町~京都駅前) → 【中右コレクション 四大浮世絵師展 ~写楽・歌麿・北斎・広重~(美術館「えき」KYOTO)】



「浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展」を観に行った。
展覧会は、すでに昨日終了している。
関西を離れていて観に行けないと思っていたが、予定より早く大阪に戻ってくることができたので、空港から直行した。
空港からのモノレールから見る「太陽の塔」は、なんだかいつもとは違う様子。
この日、「太陽の塔」は映画のPRのために「ともだちの塔」に変身したのだと後で知る。
面白いものを見ることができた。
でも、展覧会はそれよりもっと面白い。


鈴木春信「(風流五色墨)素丸」


喜多川歌麿「針仕事」

いずれも発色が美しい。
夫は、浮世絵太田記念美術館で同展覧会(展示作品の入替えあり)を観たときから、しきりに国芳の話をする。
私も、すっかり夢中になって国芳を観る。


歌川国芳「年が寄ても若い人だ」
なるほど、十二支が寄ってできあがった若い人だ。
ほかに、人が集まってできた顔もある。


アンチンボルド「四季・夏」(1563年)
国芳は、しばしばアンチンボルドと比較される。
アンチンボルドはちょっと気持ち悪いけれど、嵌め絵(寄せ絵)は見ていて楽しい。


歌川国芳「猫の当字(たこ)」
これはたまらない。
「金魚づくし」もいい。

 
左:歌川国芳「金魚づくし 百ものがたり」
右:歌川国芳「金魚づくし 玉や玉や」

ほかに、歌川豊春「浮絵鼠嫁入図」も可愛らしかった。
鼠がまじめな顔をして紋付袴を身に着けたり、輿を担いでいたりする姿を見ると、自然と笑みがこぼれる。

【大阪】 第53回 現代書道二十人展 (高島屋大阪店グランドホール)

2009年01月19日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館


「第53回現代書道二十人展」を最終日に観に行く。
会派を超えて、漢字・かな・篆刻といった様ざまな作品が並ぶこのような展覧会は、書に通じていない私のような者でも楽しめる。
とはいえ、やはり、訪れるのは書の心得のある人が多いのだろう。
出口では、高価な筆や硯を販売していた。
どの筆が良いのか、さっぱり分からない私は、図録を買い求める。
別会場でのこの展覧会を観に行けなかった母に、明日送ろう。

【鳥取】 アジア博物館・井上靖記念館

2009年01月18日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
8月15日(金)
当日の行程:(車) → 【出雲大社〔出雲大社御本殿特別拝観〕 〔出雲大社境内〕 】 → 【出雲教北島国造館】【聖地★巡礼 ―自分探しの旅へ―(島根県立古代出雲歴史博物館)】【出雲阿国の墓】【美保神社】【アジア博物館・井上靖記念館】



出雲大社からの帰り途、偶然見つけて入ってみることにした。
閉館の時刻まであとわずか。
慌しく観てまわる。

敷地内には、「ペルシャ錦館」「染料繊維植物園」「染織工房棟」「かすり館」「モンゴル館」「中国館」「中国館」「迎賓館」「井上靖記念館」と数々の建物が建っている。


井上靖記念館

井上靖と鳥取と、どんな繋がりがあるのだろうと思ったら、パンフレットに書いてあった。
戦時中、井上靖の妻子は鳥取県日野郡日南町に疎開していて、作品中にも日南のことを「天体の植民地」と書いているのだという。


書斎(再現)
応接間や書斎が再現されている。

アジア博物館・井上靖記念館の館長は井上靖夫人である井上ふみさん、会長は講道学舎の創立者・横地治男氏である。
それで、館内には、井上靖の手書きの原稿などのほかに、柔道に関する展示品もある。

【島根】 美保神社

2009年01月17日 20時00分00秒 | 旅 - 島根県
8月15日(金)
当日の行程:(車) → 【出雲大社〔出雲大社御本殿特別拝観〕 〔出雲大社境内〕 】 → 【出雲教北島国造館】【聖地★巡礼 ―自分探しの旅へ―(島根県立古代出雲歴史博物館)】【出雲阿国の墓】【美保神社】【アジア博物館・井上靖記念館】



二の鳥居

事代主神(ことしろぬし)と三穗津姫命(みほつひめ)を祀る。
事代主神(ことしろぬし)は、漁業・商業の守護神である「えびすさま」として知られている。
美保神社は、全国にえびす社の総本社。



神門

神門には、大きな注連縄がかかっている。
神門の左右は、回廊になっている。



拝殿

昭和3年(1928)建立。
総檜造り。



本殿(重要文化財)

現在の本殿は、文化10年(1813)に建立された。
大社造りを2棟並べた美保造り(比翼大社造)。
事代主神(「男神」)が祀られてる左の社の千木は垂直に切られ、三穗津姫命(「女神」)が祀られている右の社の千木は水平に切られているのがわかる。



折れ梶

折れ梶が奉納されていた。
この折れ梶には、こんなエピソードがある。
京都府加佐郡岩瀧の寶栄丸は、明治29年、水晶と但馬牛を積んでウラジオストックに向かう途中、能登沖で遭難してしまう。
船の梶は折れてしまい、乗組員は美保大神に祈願しながら漂流していると、波間から大鯛が現れ、その鯛に導かれて美保の岬までたどり着いたという。
報賽として、その折れ梶が奉納されたのだそうだ。



美保神社の御朱印



青石畳通り

美保神社から仏谷寺までの約250メートル、「青石畳通り」が続く。




「青石畳通り」には、この辺りを詠んだ俳句や和歌がたくさん掲げられている。
写真は高浜虚子の句。
「烏賊の味 忘れで帰る 美保の関」
虚子もこの地を訪れたらしい。
焼き烏賊をひとつ買ってみる。



男女岩

美保神社の近くの海岸には、夫婦岩がある。

【島根】 出雲阿国の墓

2009年01月16日 20時00分00秒 | 旅 - 島根県
8月15日(金)
当日の行程:(車) → 【出雲大社〔出雲大社御本殿特別拝観〕 〔出雲大社境内〕 】 → 【出雲教北島国造館】【聖地★巡礼 ―自分探しの旅へ―(島根県立古代出雲歴史博物館)】【出雲阿国の墓】【美保神社】【アジア博物館・井上靖記念館】



出雲阿国の墓

出雲大社からほど近く、歌舞伎の創始者・出雲阿国のお墓がある。
「歌舞伎の始祖・出雲阿国の墓」と彫られた灯籠の脇の階段をのぼる。
急な雨。
ほかにもひとり、お参りする人とすれ違う。

お墓には、次のような説明があった。
「日本を代表する芸能・歌舞伎の始祖として知られている出雲阿国は、大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったと伝えられています。
 天正の頃、出雲大社本殿の修復勧進のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。
 豊臣秀吉や徳川家康の御前でも、この歌舞伎踊りを披露するほどに名をあげ、世に『天下一阿国』として知られました。
 また、阿国と名護屋山三との熱愛ぶりも今の世に語り継がれています。」




すぐそばには、ABCミュージカル「阿国」成功記念の碑も建っている。

【島根】 出雲大社

2009年01月15日 20時00分00秒 | 旅 - 島根県
8月15日(金)
当日の行程:(車) → 【出雲大社〔出雲大社御本殿特別拝観〕 〔出雲大社境内〕 】 → 【出雲教北島国造館】【聖地★巡礼 ―自分探しの旅へ―(島根県立古代出雲歴史博物館)】【出雲阿国の墓】【美保神社】【アジア博物館・井上靖記念館】




出雲大社は、大社の総称社として知られる旧官幣大社。
祭神は、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)。



参道の松並木



「因幡の白兎」をモチーフとした『御慈愛の御神像』


 
『ムスビの御神像』

『ムスビの御神像』は、大国主大神が「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」を拝戴する由縁を象徴しているという。



銅鳥居

銅鳥居は、寛文6年(1666)、毛利輝元の孫・綱広が寄進によるもの。



拝殿

銅鳥居を入ると、拝殿が建っている。
現在の拝殿は、昭和34年(1959)に再建されたもの。
注連縄は、太さ3メートル、長さ8メートル、重さ1500キログラムもあるそうだ。



八足門

拝殿の奥、御本殿を囲む瑞垣(みずがき)の正面に、八足門(やつあしもん)が建っている。
お正月5日までに限って八足門は開き、参拝者はその奥の楼門前まで進むことができるが、通常は、八足門の前で参拝する。
出雲大社での参拝の仕方は、二礼四拍一礼。



御本殿(国宝)

延享元年(1744)建立。
大社造り。
千木は7.9メートル、棟上には長さ5.4メートルの勝男木(かつおぎ)が3本置かれている。
参拝した日は「出雲大社御本殿特別拝観」が行われている期間で、御本殿に参拝者の姿が見える。
「出雲大社御本殿特別拝観」のときの記録はこちら



神楽殿


注連縄

神楽殿の注連縄は、長さ13メートル、太さ9メートル、重さは3トンもある。
注連縄に向かって硬貨を投げている人を見かける。
注連縄に目を向けると、たくさんの硬貨が刺さっている。
注連縄の下から硬貨を投げて、うまく刺さると願いが叶うのだそうだ。



祖霊社



北島国造館・神楽殿

出雲大社の宮司の千家家と北島家は、同じ兄弟から分かれたという。
出雲大社の創建の精神を基にして、その本質である出雲大社とその御神徳を布教する出雲教とを分離しつつ、出雲大社を護っているのだそうだ。


  
出雲大社の御朱印         神楽殿の御朱印



出雲教・北島国造館の御朱印

【千葉】 岡山県立美術館所蔵 雪舟と水墨画 (千葉市美術館)

2009年01月14日 20時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
1月12日(月)


つい先日、岡山を旅した。
備中高松城跡の近くに、雪舟の生家があったが、あまりに盛りだくさんな旅の計画を立てていたため、生家を訪れることなく先を急いだ。
岡山県立美術館では、岡山ゆかりの芸術家に焦点をあてたコレクションで充実しているそうである。
とりわけ雪舟には力を入れていて、雪舟の作品のみならず、弟子や、その流れを受け継ぐ画家たちの作品も多く収集しているらしい。
その岡山県立美術館所蔵の「雪舟と水墨画」展を、千葉市美術館にて観る。

ところで、岡山県立美術館と千葉市美術館は、2年前に、浦上玉堂展を共同で開催している。
それ以降、この2つの美術館は、それぞれのコレクションを貸し合っての展覧会が開かれているそうである。
今回の展覧会は、昨年、千葉市美術館から岡山県立美術館へ浮世絵を貸したお返しなのだという。


牧谿(もっけい)「老子図」には、足利義満の鑑蔵印が捺されている。
鼻毛ぼうぼうで、おかしな顔だ。


雪舟等楊「山水図(倣玉澗)」(重要文化財)


宮本武蔵「布袋竹雀枯木翡翠図」

ほかに、浦上春琴の「名華鳥蠢図」「花卉図巻」は印象深い。
虫、蝶、花々が緻密に描かれていて美しい。

【大阪】 住吉大社

2009年01月13日 20時00分00秒 | 旅 - 大阪府
7月27日(日)
当日の行程:(南海:住吉大社駅) → 【住吉大社】 → (南海:住吉大社駅~JR:桜島駅)…(舞洲アクティブバス:桜島駅前~舞洲スポーツアイランド) → 【第90回全国高校野球選手権記念南大阪大会決勝(舞洲球場)】




十四代仲哀天皇の妻である神功皇后が新羅に出兵したとき、住吉大神の御加護を受け、戦勝凱旋の後、神託により創建されたのが住吉神社のはじまり。



反橋

慶長年間(1596~1615)に、淀君が奉納架替したと伝わる橋。
半円形の橋の勾配はかなり急である。

境内に、川端康成の『反橋』の碑があった。
『反橋』には次のように書かれている。
「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです
 私は母に抱かれておりました」

明治以前までは、反橋を渡ることができたのは住吉大神(神輿)に限られていたという。
自由に渡ることができるようになった今、毎年、お正月の三ヶ日で300万人以上の参拝客がこの橋を渡るのだそうだ。



手水舎の兎

手水舎には兎がいる。
住吉大社の創建が、神功皇后摂政11年(211)、辛卯年の卯月卯日であった縁である。



神馬・白雪

住吉大社の神馬は、代々白馬で、平安時代以降、白河天皇や源頼朝たちが奉納していたという。
江戸時代以降は、大阪炭屋仲間の神馬講が黒い炭の反対の色の白馬を奉納することになったそうだ。



住吉鳥居と幸寿門

反橋を渡ると、住吉鳥居と幸寿門がある。
これをくぐると、第三本宮と第四本宮が目の前に建っている。
住吉鳥居は四角柱であり、大変珍しい。
鳥居の形から、角鳥居(かくとりい)とも呼ばれるそうだ。



第三本宮(国宝)〔手前〕と第四本宮(国宝)〔奥〕

第49回式年遷宮のため、第三本宮の御神体・表筒男命(うわつつのをのみこと)
と第四本宮の御神体・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・神功皇后  (じんぐうこうごう)は第一本宮に遷されていた。



第二本宮(国宝)


第二本宮の千木


第一本宮(国宝)

第二本宮では中筒男命(なかつつのをのみこと)が、第一本宮では底筒男命(そこつつのをのみこと)が祀られている。
本殿は全て文化7年(1810)建立。
いずれの建物も造りと大きさは同なのだそうだ。



住吉御文庫

住吉御文庫は、大阪最古の文庫。
享保8年(1723)に大阪、京都、江戸の書店が建立したのだという。


  
夫婦楠                  千年楠

夫婦楠は樹齢約800年、千年楠はその名の通り樹齢約1000年らしい。



五所御前


「五」「大」「力」の石

第一本宮の南側に五所御前がある。
鳥居の内側、囲われた五所御前には、玉石が敷き詰められている。
玉石のなかには、「五」「大」「力」の文字が記されたものがあり、3つ揃えると心願成就のお守りになるという。



車返しの桜

後醍醐天皇が大社行幸の折、車駕を再び返して、桜花を賞でたことからこの名がついたという。
現在の桜は、平成11年(1999)に植えられたもの。



石舞台(重要文化財)

日本三舞台(住吉大社・厳島神社・四天王寺)のひとつ。
毎年5月の卯之葉神事では、舞楽が行なわれる。



大海神社・本殿(重要文化財)

大海神社は、住吉大社の摂社。
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られている。



誕生石

源頼朝の妻・丹後局が出産した場所と伝わる。
ここで誕生した子が、島津氏の始祖・島津忠久公。
安産を祈る人々が訪れるのだという。



住吉大社の御朱印

【京都】 桓武天皇柏原陵・明治天皇伏見桃山陵・昭憲皇太后伏見桃山東陵

2009年01月12日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
7月26日(土)
当日の行程:(京阪電車・伏見稲荷駅) → 【伏見稲荷大社】 … (自転車) → 【鳥羽伏見戦跡石碑】【城南宮】【鳥羽離宮跡公園】 → 【戊辰戦争東軍戦死者之墓(悲願寺墓地)】【寺田屋】【月桂冠大蔵記念館】【鳥羽伏見戦の弾痕】 → 【伏見奉行所跡】【伏見桃山城】【桓武天皇柏原陵】 → 【明治天皇伏見桃山陵】 → 【昭憲皇太后伏見桃山東陵】


【桓武天皇柏原陵】




桓武天皇は、延暦25年(806)に崩御する。
桓武天皇の遺志により、山城国葛野郡宇太野(現・京都市右京区宇多野)に葬る予定だったが、京の周辺で不審火が相次ぐ等、たびたび異変が起こったため、天皇の陵は山城国紀伊郡(現・京都市伏見区)柏原山陵(柏原陵)に改められたらしい。
南北朝~室町時代の争乱では、桓武天皇陵の所在地が分からなくなってしまう。
江戸時代後期の陵墓探索では、桓武天皇陵の所在地について諸々の説があったようだが、幕末に紀伊郡堀内村字三人屋敷(伏見区桃山町永井久太郎)を桓武天皇陵と定め、現在に至るという。


【明治天皇伏見桃山陵】



東西127m、南北155mもある広い陵墓。
上円下方墳で、墳丘はさざれ石に覆われているという。
驚くほどの大きさで、まるで森のようだ。
人が多い。
お参りをしているのではなく、皆、ジョギングをしたり、ストレッチをしたり。



振り返ると、町が一望できる。
急な階段は230段もあるそうだ。


【昭憲皇太后伏見桃山東陵】



明治天皇陵の東に、明治天皇稜と同じ形の昭憲皇太后伏見桃山東陵がある。
こちらも巨大だ。