大倉草紙

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【大阪】 住吉大社

2009年01月13日 20時00分00秒 | 旅 - 大阪府
7月27日(日)
当日の行程:(南海:住吉大社駅) → 【住吉大社】 → (南海:住吉大社駅~JR:桜島駅)…(舞洲アクティブバス:桜島駅前~舞洲スポーツアイランド) → 【第90回全国高校野球選手権記念南大阪大会決勝(舞洲球場)】




十四代仲哀天皇の妻である神功皇后が新羅に出兵したとき、住吉大神の御加護を受け、戦勝凱旋の後、神託により創建されたのが住吉神社のはじまり。



反橋

慶長年間(1596~1615)に、淀君が奉納架替したと伝わる橋。
半円形の橋の勾配はかなり急である。

境内に、川端康成の『反橋』の碑があった。
『反橋』には次のように書かれている。
「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです
 私は母に抱かれておりました」

明治以前までは、反橋を渡ることができたのは住吉大神(神輿)に限られていたという。
自由に渡ることができるようになった今、毎年、お正月の三ヶ日で300万人以上の参拝客がこの橋を渡るのだそうだ。



手水舎の兎

手水舎には兎がいる。
住吉大社の創建が、神功皇后摂政11年(211)、辛卯年の卯月卯日であった縁である。



神馬・白雪

住吉大社の神馬は、代々白馬で、平安時代以降、白河天皇や源頼朝たちが奉納していたという。
江戸時代以降は、大阪炭屋仲間の神馬講が黒い炭の反対の色の白馬を奉納することになったそうだ。



住吉鳥居と幸寿門

反橋を渡ると、住吉鳥居と幸寿門がある。
これをくぐると、第三本宮と第四本宮が目の前に建っている。
住吉鳥居は四角柱であり、大変珍しい。
鳥居の形から、角鳥居(かくとりい)とも呼ばれるそうだ。



第三本宮(国宝)〔手前〕と第四本宮(国宝)〔奥〕

第49回式年遷宮のため、第三本宮の御神体・表筒男命(うわつつのをのみこと)
と第四本宮の御神体・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・神功皇后  (じんぐうこうごう)は第一本宮に遷されていた。



第二本宮(国宝)


第二本宮の千木


第一本宮(国宝)

第二本宮では中筒男命(なかつつのをのみこと)が、第一本宮では底筒男命(そこつつのをのみこと)が祀られている。
本殿は全て文化7年(1810)建立。
いずれの建物も造りと大きさは同なのだそうだ。



住吉御文庫

住吉御文庫は、大阪最古の文庫。
享保8年(1723)に大阪、京都、江戸の書店が建立したのだという。


  
夫婦楠                  千年楠

夫婦楠は樹齢約800年、千年楠はその名の通り樹齢約1000年らしい。



五所御前


「五」「大」「力」の石

第一本宮の南側に五所御前がある。
鳥居の内側、囲われた五所御前には、玉石が敷き詰められている。
玉石のなかには、「五」「大」「力」の文字が記されたものがあり、3つ揃えると心願成就のお守りになるという。



車返しの桜

後醍醐天皇が大社行幸の折、車駕を再び返して、桜花を賞でたことからこの名がついたという。
現在の桜は、平成11年(1999)に植えられたもの。



石舞台(重要文化財)

日本三舞台(住吉大社・厳島神社・四天王寺)のひとつ。
毎年5月の卯之葉神事では、舞楽が行なわれる。



大海神社・本殿(重要文化財)

大海神社は、住吉大社の摂社。
豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祀られている。



誕生石

源頼朝の妻・丹後局が出産した場所と伝わる。
ここで誕生した子が、島津氏の始祖・島津忠久公。
安産を祈る人々が訪れるのだという。



住吉大社の御朱印

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