大倉草紙

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【三重】 三井家発祥地 

2009年10月10日 21時00分00秒 | 旅 - 三重県
7月19日(日)
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何の番組だったか忘れたが、関東では「デパート」、関西では「百貨店」という言い方が主流だとやっていた。
そう言われてみれば、そうかも。
私が気になっていたのは、関西では「○○店」の「店」を「てん」ではなくて「みせ」と読むこと。
地方のニュースなどで、「大丸心斎橋『みせ』では……」などと言っているのが耳に入ってくると、一瞬「あれっ?」と思ってしまう。

私はお買い物があまり好きではないので、デパートや百貨店にはよっぽどの目的がなければ行くことはない。
デパートや百貨店で開かれる展覧会に足を運ぶこともあるが、大概、エレベータで目的の階まで上がり、展覧会を楽しんだ後は、そのまままたエレベータで下りて地下鉄に乗る。
そんな私が言うのもナンだが、三越と伊勢丹は比較的愛している。
あ、経営統合したんだっけ。
現在、大阪に三越はない。
かつてはあったそうだし、また、2011年に「JR大阪三越伊勢丹」ができるようだが。

難波橋にはライオンがいて、大阪に来た当初は、三越と関係があるのだろうか?と思ったが、そんな事実はないようだ。

さて、その三越であるが、創業は延宝元年(1673)、当時は「越後屋」といった。

無款(奥村政信)「駿河町越後屋呉服店大浮絵」(1745年頃)
駿河町越後屋本店は、今の日本橋三越。
「現金かけねなし」の文字が、正面右の柱の看板と鴨居の貼紙に書かれている。
「現銀掛値無し」のほかにも、「店前現銀売り」や「小裂何程にても売ります」といった画期的な商法を用いて成功し、三井財閥(現在の三井グループ)の礎を築いた。

越後屋の創業者・三井高利が生まれたのは、現在の三重県松阪市。
現在も、三井家発祥地として残されている。

三井家発祥地
公開はされていないので、見ることができるのは、この門だけ。
傍に建っている碑文には次のようにある。
「松阪の生んだ大商人、三井家の家祖、三井高利は、一六二二年この地に生れた。
 高利は父祖伝来の士魂と母の商才を継承し、幼少より刻苦勉励して当地第一流の商人となった。一六七三年に至って宿志を遂げるべく江戸に越後屋呉服店を開店し、以後、三井家は発展を続け、江戸、京都、大阪に呉服店、両替店を経営するわが国商業史に残る大商人となった。高利の定めた三井家の店章『丸に井桁三文字』は、現在も日本経済の発展に大きく寄与している三井系企業各社に受け継がれている。(以下略)」

どうでもいいようなことなのだけれど、「高利」さんの妻は「かね」さんというそうで、お二人ともすごい名前だなあ、と。

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