7月20日(月)
当日の行程:(車) → 【高山神社】 → 【津城】 → 【伊勢上野城跡】 → 【神戸城】 → 【大黒屋光太夫記念館】 → 【心海寺(磯吉の菩提寺・大黒屋家の菩提寺)】 → 【大黒屋光太夫らの供養碑】 → 【宝祥寺(小市の供養碑)】 → 【白子新港(大黒屋光太夫出帆の地)】 → 【伊賀亀山城】 → 【関宿旅籠玉屋歴史資料館】 → 【関まちなみ資料館】 → 【芭蕉翁生家】 → 【芭蕉翁記念館】 → 【伊賀流忍者博物館】 → 【伊賀上野城】 → 【蓑虫庵】 → 【鍵屋ノ辻】 → 【御斎峠】 → 【多羅尾陣屋跡】
【芭蕉翁生家】
松尾芭蕉は、正保元年(1644)、現在の伊賀市上野赤坂町で生まれた。
芭蕉生家の内部
釣月軒(ちょうげつけん)
生家の裏庭に建っている。
ここで芭蕉は、『貝おほひ』を執筆したのだそうだ。
釣月軒の内部
無名庵跡
無名庵は、伊賀の門人たちが芭蕉に贈るため、生家の裏庭に建てた庵。
【芭蕉翁記念館】
芭蕉翁記念館は、伊賀上野城が聳える上野公園内にある。
企画展「季語を楽しむ」が開かれていた。
芭蕉自筆の短冊や、芭蕉生誕三百年祭記念大会の際に高浜虚子が旧上野市に贈った俳句などが並ぶ。
季語のおもしろみを味わえるのは勿論のこと、短冊や掛軸の美しさも楽しめた。
俳聖殿
同じく上野公園内には、芭蕉の旅姿を表わした聖堂・俳聖殿が建っている。
丸い屋根は旅笠、八角形の廂は袈裟、柱は杖、「俳聖殿」の木額は顔を表わしているのだという。
【蓑虫庵】
芭蕉五庵(蓑虫庵、無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵)のうちで唯一現存しているのが蓑虫庵。
門弟・服部土芳の草庵。
その名は、貞享5年(1688)、庵開きのお祝いに芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」に因む。
古池塚
「古池や蛙飛こむ水の音 はせを」
丸窓は、蕉風開眼を表わす。
蛙の浮き彫りが愛らしい。
みの虫塚
「みの虫の音を聞ばやとこの庵 黄小園」
若菜塚
「卒度往て若菜摘はや鶴の傍 土芳」
なづな塚
「よく見ればなづな花咲く垣ねかな はせを」
わらじ塚
芭蕉が帰郷の際に脱ぎ捨てた草鞋を、土芳が貰い受けて塚にしたのだという。
芭蕉堂
服部土芳供養墓所
当日の行程:(車) → 【高山神社】 → 【津城】 → 【伊勢上野城跡】 → 【神戸城】 → 【大黒屋光太夫記念館】 → 【心海寺(磯吉の菩提寺・大黒屋家の菩提寺)】 → 【大黒屋光太夫らの供養碑】 → 【宝祥寺(小市の供養碑)】 → 【白子新港(大黒屋光太夫出帆の地)】 → 【伊賀亀山城】 → 【関宿旅籠玉屋歴史資料館】 → 【関まちなみ資料館】 → 【芭蕉翁生家】 → 【芭蕉翁記念館】 → 【伊賀流忍者博物館】 → 【伊賀上野城】 → 【蓑虫庵】 → 【鍵屋ノ辻】 → 【御斎峠】 → 【多羅尾陣屋跡】
【芭蕉翁生家】
松尾芭蕉は、正保元年(1644)、現在の伊賀市上野赤坂町で生まれた。
芭蕉生家の内部
釣月軒(ちょうげつけん)
生家の裏庭に建っている。
ここで芭蕉は、『貝おほひ』を執筆したのだそうだ。
釣月軒の内部
無名庵跡
無名庵は、伊賀の門人たちが芭蕉に贈るため、生家の裏庭に建てた庵。
【芭蕉翁記念館】
芭蕉翁記念館は、伊賀上野城が聳える上野公園内にある。
企画展「季語を楽しむ」が開かれていた。
芭蕉自筆の短冊や、芭蕉生誕三百年祭記念大会の際に高浜虚子が旧上野市に贈った俳句などが並ぶ。
季語のおもしろみを味わえるのは勿論のこと、短冊や掛軸の美しさも楽しめた。
俳聖殿
同じく上野公園内には、芭蕉の旅姿を表わした聖堂・俳聖殿が建っている。
丸い屋根は旅笠、八角形の廂は袈裟、柱は杖、「俳聖殿」の木額は顔を表わしているのだという。
【蓑虫庵】
芭蕉五庵(蓑虫庵、無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵)のうちで唯一現存しているのが蓑虫庵。
門弟・服部土芳の草庵。
その名は、貞享5年(1688)、庵開きのお祝いに芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」に因む。
古池塚
「古池や蛙飛こむ水の音 はせを」
丸窓は、蕉風開眼を表わす。
蛙の浮き彫りが愛らしい。
みの虫塚
「みの虫の音を聞ばやとこの庵 黄小園」
若菜塚
「卒度往て若菜摘はや鶴の傍 土芳」
なづな塚
「よく見ればなづな花咲く垣ねかな はせを」
わらじ塚
芭蕉が帰郷の際に脱ぎ捨てた草鞋を、土芳が貰い受けて塚にしたのだという。
芭蕉堂
服部土芳供養墓所