奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

三又花咲く高畑山ほか No290

2022-03-27 22:15:39 | 山登り

花咲く高畑山ほか 471m 1/5万地図[彦根東部(名古屋ー9)]

2022年 3月27日(日)6人

 今日の参加者、皆、山を予定していたが雨で中止、しかし一昨夜の予報で今日は晴予報、で6人集まり、三又花咲く多賀町高畑山に行くことになりました

 

9:11 ミツマタ

 

9:13 ミツマタを山側から撮影

 

9:14 ミツマタ花咲く登山道を歩く

 

9:45 山頂・・臨時駐車場から45分で山頂に到着~そして下山 

 

~ 勝楽寺城跡へ移動 ~

 

10:43 勝楽寺見取り図

 

11:17 勝楽寺城跡説明書き

 

城跡に行く道、私はいつも背中が曲がって歩いています

 

上ろう落とし(上記説明書き参照)から琵琶湖と比良山系

 

行程 8:00 笹尾山駐車地集合=8:50 高畑山臨時駐車場 9:00~山頂 9:45~10:15 駐車地(移動)10:30 勝楽寺駐車場 ~11:00上ろう落とし(昼食)11:30~11:50帰途=13:30 笹尾山駐車場 

 

☆ 今日の反省など

・三又は五分咲きか!!、5日ほど早かった?

・こんなのんびり山行もたまにはいい

・旧藤橋村に三ツ又(1100.3m)の名の三等三角点がある(俗名はミノマタ)。旧藤橋村(現揖斐川町)は紙漉きの里(藤橋歴史民俗資料館にその歴史を紹介)であり三ツ又の名は紙漉きの材料三ツ又からきていると思っていましたが、旧徳山村戸入(現揖斐川町)に”三ツ又”(1/2.5万地図[美濃広瀬(岐阜11-1参照)]という谷があるので谷の名から来たのが正解か!、私は、三角点の測量をした陸地測量部の人は、戸入の旅館(※)に泊まったと私は思っていますので!

 

9:10 ミツマタと美人カメラマン

 

※ 想像でモノを書くのはタブーと思いますので測量部の人が戸入に泊まったかはまた調べます。徳山村史p725に明治33年~41年戸入藤丸屋旅館に泊まった人の名簿(職業欄)がありましたので紹介します

 生鯖商、繭商、蚕種業、古物商、太物商、小間物、薬屋、薬種業、商用、遊芸、イカケ、材木屋、提灯屋、竹細工、ヌシヤ、下駄、金物、青物商、時計師、月琴業、臼屋、桑苗、牛馬、木挽、木地業、タバコ、行者、畳屋、土工、蓄音機、鋸商

 遊芸が11件26人泊まっていました。イカケ、ヌシヤって?

 上記で現代では見られなくなったとありますが、私が子供のころ(昭和30 年代)鋳掛屋が家に来たことを覚えています。ヌシヤは塗師屋と書き、漆器を製作・販売する人。またその家と・・(ネット調べ)、月琴は中国の楽器ですが、(〃)   

 昭和に入ると同じ藤丸屋名簿に募集人という職業があり、これは女工さんを斡旋する職業かと思われます(想像はダメです)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする