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旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

桜山日光館

2024年07月14日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。
 桜山日光館は屋台会館に付属しています。日光東照宮の本殿、陽明門、拝殿、鳥居など28の建造物を精巧な10分の1の模型で再現しています。33人の技術者が15年の歳月をかけて造ったそうです。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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桜山八幡宮屋台会館

2024年07月13日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。
 桜山八幡宮の敷地内に屋台会館があります。高山祭の実物屋台を常設展示しています。 神楽台、鳳凰台、布袋台、金凰台など11台のうち4台の屋台が交替で展示されています。それぞれの屋台に、それぞれ固有の歴史があり、一位一刀彫の彫刻も見事です。これらは国指定重要有形文化財に指定されています。

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桜山八幡宮

2024年07月12日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市桜町に桜山八幡宮があります。
 仁徳天皇の頃、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という顔が前後にある怪物が現われ、天皇の命に背いたため、難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)に討伐を命じました。武振熊命が応神天皇の御霊を勧請し戦勝祈願したのが桜山八幡宮の始まりと伝えられています。
 大永年間(1521-1527)に京都の石清水八幡宮から分霊を勧請し合祀しました。その後戦乱の時代が続き一時荒廃しました。元和9年(1623)、高山藩2代藩主金森重頼が再興し、神領を寄進し、高山の安川以北の産土神に定め、神事を管理高山府の総鎮守府としました。
 金森氏が移封された後も、歴代代官、郡代の篤い崇敬を集め社運が隆盛しました。明治の神仏分離令により神社として独立し、明治4年(1871)郷社に指定されました。明治8年(1875)の大火で類焼し、秋葉社を除き灰燼に帰しましたが、明治33年(1900)に再建されています。
 例祭の「秋の高山祭」は金森氏が再興時に奉行祭として奉納したもので現在でも受け継がれて、大勢の人が訪れます。境内には巨石の手洗鉢や逆さ桐の灯籠などがあって名物になっています。

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日下部家住宅

2024年07月11日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市大新町に日下部家住宅(日下部民藝館)があります。
 日下部家住宅は日下部家住宅は明治12年(1879)に建てられたもので、名工棟梁・川尻治助が江戸時代の建築を見事に再現したものといわれています。日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。
 嘉永5年(1851)には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。当時の邸宅は明治8年の大火で類焼し、再建されたのが現在の住宅です。明治時代に入り軒の高さや用材の規制が取れたため江戸時代に比べ軒が高く檜材をふんだんに使用されています。
 主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行17.4m、梁間17.3m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。梁と束柱の力強い木組みがすばらしく、10mある吹き抜けはなんとも美しい空間をつくりだしています。隣の吉島家住宅は女性的で、日下部住宅の大胆な構造は男性的といわれています。
 文庫倉は土蔵2階建、桁行10.2m、梁間5.8m、切妻造り、桟瓦葺きです。新倉は桁行9.5m、梁間7.6m、土蔵2階建、切妻造り、桟瓦葺きです。主屋、文庫倉、新倉は昭和41年(1966)、明治建築の民家として初めて国の重要文化財に指定されました。(板塀、門、火垣、板塀、板絵図が附指定)。以後、日下部民藝館として公開されています。

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平田記念館

2024年07月10日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。その中に平田記念館があります。
  平田記念館は「打保屋」(うつぼや)の屋号でびんつけ油、ろうそく屋を家業として財をなした平田家の住宅です。主屋は明治時代に建てられた典型的な高山の町屋建築とされ、贅を尽した飛騨商人の旦那衆の暮らしぶりがうかがえます。12代にわたって愛蔵してきた美術品、調度品を江戸期の土蔵3棟で公開しています。

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飛騨高山の町並み

2024年07月09日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。
 金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。
 この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。
 三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。
 有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しましたが、その地理的な問題により近代化が遅れました。建物の建材や造作がしっかりしていたので建替えることがなく、伝統的建造物が林立する古い町並みが残ったのでした。
 三町の北半分である下之町に越中街道沿いの町並みを加えた範囲もまた、高山市下二之町大新町という名で平成16年(2004)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
 上三之町では3、4mほどの狭い通りの両側に、統一された意匠の町家が途切れなく連なっています。これらの町家の多くは、板葺の切妻屋根で平入で、軒高は低く抑えられています。これは高山陣屋より低くしているためです。
 その反面、内部は商家の繁栄を物語るように大変立派な作りです。これらの町家は、いずれも黒っぽい色彩で統一されています。これは柿渋にベンガラとすすを混ぜた塗料で着色されているためです。
 格子が多用されていて、一階部分では目の細かい千本格子や吹寄せ連子格子、または高山格子と呼ばれる升目状に組まれた格子となっています。二階部分は板連子や板格子がはめられています。飛騨の匠と称される飛騨大工の腕の結晶です。

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飛騨高山美術館

2024年07月08日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨高山美術館があります。
 飛騨高山美術館は平成9年(1997)にオープンしたガラス工芸作品と家具を展示する私立の美術館です。小高い丘にあり、高山の町並みや北アルプスを見渡すことができます。
 16世紀から20世紀の世界中から収集したガラス工芸と、アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス工芸品、19世紀末の家具や照明器具などを収蔵展示しています。

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旧吉真家住宅

2024年07月07日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。
 豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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旧田中家住宅

2024年07月06日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 旧田中家住宅は、高山市冬頭町にあった田舎(でんしゃ)だった建物です。田舎とは、田畑の管理や年貢の徴収、農産物の作納状況などを主人に代わって行った所で作業所・休憩所のような場所でした。建てられたのは江戸時代中期ごろです。
 桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造り、榑葺き(板葺き)です。屋根は勾配が緩やかで、榑板の上には石が置かれています。東面に一間の庇(ひさし)がついています。一之町で薬種商を営む「田中屋」の建物で、国学者田中大秀の実家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。

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旧田口家住宅

2024年07月05日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 旧田口家住宅は、飛騨と美濃との国境に位置する下呂市金山町卯野原にありました。代々名主を務めた大きな農家です。桁行25.2m、梁間13.3m、切妻造り、鉄板葺き(建築当時は榑葺き)です。家の前から右横へ雨戸の外に濡れ縁がまわっていて、雪深い地域の民家と比べると開放的な造りです。
 旧田口家住宅は文化6年(1809)の建立です。規模が大きくて質が良く、大きな修繕などもなかったようで、江戸後期の上級農家の貴重な遺構です。昭和45年(1970)、飛騨民俗村に移築され、昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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旧若山家住宅

2024年07月04日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 旧若山家住宅は、御母衣ダムの建設にともなって水没した荘川村下滝に建っていた民家です。昭和34年(1959)に高山市に移築され「飛騨民俗館」として一般公開されました。飛騨の古い民家・農山用具などの保存の足がかりとなり、後に作られた飛騨の里に平成8年(1996)から約3年かけて再移築されました。
 宝暦年間(1751-1764)の初め頃の建立とみられ、桁行16.9m、梁間14.3m、合掌造り、茅葺きです。背面に1間半程の「ミンジャ、フロバ」などが出でいます。4階建てのうち、1階は居住用に使い、2階から上は養蚕のためのカイコの飼育場として活用されました。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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飛騨民俗村・飛騨の里

2024年07月03日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 飛騨民俗村・飛騨の里は豪雪に耐えてきた合掌造りや榑(くれ)葺き(木の幹を裂いた榑板で屋根を葺くやり方)の屋根など、飛騨の代表的な民家群が立ち並び、昔の農山村風景を形づくる民家の博物館です。
 また、飛騨の伝統産業である一位一刀彫、飛騨春慶塗、草木染めなどの伝承保存や、飛騨地方の民具なども展示されています。
 昭和30年代、御母衣ダムにより水没する荘川村の合掌造り民家の矢篦原家(やのはらけ)住宅が横浜市の三渓園に移築されました。
 旧若山家住宅も、御母衣ダムの建設にともなって昭和34年(1959)に高山市に移築された民家です。「飛騨民俗館」として一般公開され、飛騨の古い民家の保存の足がかりとなりました。
 昭和46年(1971)には「飛騨民俗村」がオープンしました。飛騨民俗村と飛騨の里を合体させたものでした。旧若山家は「飛騨民俗館」の最初の建物でしたが、平成11年(1999)に再移築され、その後、国の重要文化財に指定されました。
 他に旧田中家、旧吉真家 、 旧田口家が国の重要文化財に指定され、旧西岡家、旧新井家、旧富田家、旧道上家、旧前田家、旧中薮家、旧野首家が県の重要文化財に指定されています。
 民家の他、土蔵、和紙漉小屋、バッタリ(唐臼)小屋、車田があり、国の登録有形文化財に指定されている山岳資料館(旧高山測候所)などもあります。
 工芸集落内では、わら細工、刺し子、壁飾り、草木染め、さるぼぼ、版画の製作の体験教室や、わら細工、刺し子、機織り、ひのき笠、バンドリ(雨や雪用の蓑のことです。バンドリ「飛騨弁でムササビ」に由来しています)、ショウケ(ザルの一種)など民芸品作りの実演が行なわれています。

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飛騨国分寺大イチョウ

2024年07月02日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。
 飛騨国分寺本堂の前にある大イチョウは「乳イチョウ」とよばれ、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウです。国の天然記念物に指定されています。

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飛騨国分寺三重塔

2024年07月01日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。
 飛騨国分寺の三重塔は寛政3年(1791)に暴風雨で倒壊し、文政3年(1820)に再建された三重塔です。天平の七重塔の跡に建てられています。飛騨地方唯一の三重塔で、全国の国分寺の中でも塔建築としてはここだけといわれています。間口、奥行ともに4.24mで、高さ22m、屋根は鋼平板葺き(建立当初はこけら葺き)です。三重塔は岐阜県の重要文化財に指定されています。

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