岐阜県高山市上三之町・上二之町に飛騨高山の昔の町並みが残されています。
金森長近は天正16年(1588)より高山城の築城を開始し、同時に城山の麓に城下町の整備を進めました。三本の道路を通し、そこを町人の住む三町(さんまち)としたのです。また、寺院は京都を参考に東山へ集められ、城下町高山は形作られました。
この三町と呼ばれる町割を基礎として、江戸から明治にかけて建てられた、洗練された意匠の商家町家が連なっています。特に上三之町付近は、狭い通りに沿って、往時の町並みが良く保存されています。
三之町を中心とした一帯、南北約420m、東西約150mの範囲が「高山市三町」として重要伝統的建造物群保存地区に選定され、商家町として栄えた当時の様子をそのまま今に伝えています。
有力な商家が数多くあり、高山は商家町として発展しましたが、その地理的な問題により近代化が遅れました。建物の建材や造作がしっかりしていたので建替えることがなく、伝統的建造物が林立する古い町並みが残ったのでした。
三町の北半分である下之町に越中街道沿いの町並みを加えた範囲もまた、高山市下二之町大新町という名で平成16年(2004)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
上三之町では3、4mほどの狭い通りの両側に、統一された意匠の町家が途切れなく連なっています。これらの町家の多くは、板葺の切妻屋根で平入で、軒高は低く抑えられています。これは高山陣屋より低くしているためです。
その反面、内部は商家の繁栄を物語るように大変立派な作りです。これらの町家は、いずれも黒っぽい色彩で統一されています。これは柿渋にベンガラとすすを混ぜた塗料で着色されているためです。
格子が多用されていて、一階部分では目の細かい千本格子や吹寄せ連子格子、または高山格子と呼ばれる升目状に組まれた格子となっています。二階部分は板連子や板格子がはめられています。飛騨の匠と称される飛騨大工の腕の結晶です。
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