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旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

建仁寺方丈

2019年03月15日 | 旅 歴史

京都府京都市東山区大和大路四条下ルに建仁寺(けんにんじ)があります。
 建仁寺の方丈は文明19年(1487)に広島の安国寺に建立された建物です。安国寺恵瓊が慶長4年(1599)に建仁寺に移築しました。東側には大玄関があり、本坊とつながっています。襖と荿欄間とで仕切られていて、仏間、書院、室中、礼の間、檀那の間、衣鉢の間があります。
 方丈は間口27.6m、奥行20.7m、単層、入母屋造り、銅板葺きです。四周に広縁を巡らせ、広縁は幅が一間半と広く、落縁付で西縁まで続いています。 天井は二重折上格天井で、正面広縁境には三口の桟唐戸を備えています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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建仁寺法堂

2019年03月14日 | 旅 歴史

京都府京都市東山区大和大路四条下ルに建仁寺(けんにんじ)があります。
 建仁寺の法堂(はっとう)は「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれ、仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(講堂にあたる堂)を兼ねています。明和2年(1765)の建立で、本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。空白だった天井に平成14年(2002)、創建800年を記念して小泉淳作筆の「双龍」が描かれました。

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建仁寺三門

2019年03月13日 | 旅 歴史

京都府京都市東山区大和大路四条下ルに建仁寺(けんにんじ)があります。
 建仁寺の三門は仏道修行の悟りを示す「空門」「無相門」「無作門」の3つの門を表しています。また「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」(ぼうけつろう)と名づけられています。建仁寺、南禅寺の住持であった瑞巌龍惺(ずいがんりゅうせい)(1384‐1460)の「春眺」の詩の中に「望闕楼高くして帝城に対す」と記されています。
 建仁寺の三門には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。三門は静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から大正12年(1923)に移築された建物で、江戸時代末期の建築です。

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建仁寺勅使門

2019年03月12日 | 旅 歴史

京都府京都市東山区大和大路四条下ルに建仁寺(けんにんじ)があります。
 建仁寺の勅使門は寺の南側正面、八坂通りに面しています。平清盛の嫡男・重盛の六波羅の門を移したとも、平教盛の館門を応仁の乱後に移築したともいわれています。様式的には鎌倉時代後期(1275-1332)の建築とみられています。
 建仁寺勅使門は切妻造り、銅板葺きの四脚門です。かってはこけら葺きだったようです。柱や扉に矢の痕があり、矢の根門とか、矢立門と呼ばれています。勅使門は明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。

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建仁寺

2019年03月11日 | 旅 歴史

 祇園の繁華街近くにある東山(とうざん)建仁寺は、臨済宗建仁寺派の大本山です。建仁2年(1202)将軍源頼家の帰依を受けた明庵栄西(みょうあんえいさい・ようさい)禅師が宋の百丈山にならって建立した、京都最初の禅寺です。当時の寺域は鴨川の東、南は五条通り、北は四条通りにいたる広大な敷地だったそうです。

 寛元・康元年間の火災などで境内は荒廃しましたが、正嘉元年(1258)、東福寺開山の円爾弁円(えんにべんえん)が10世として入寺し、境内を復興させ、禅も盛んとなりました。

 正元元年(1259年)には宋の禅僧で建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が11世として入寺し、禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ、純粋に禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、至徳3年(1386)には第3位に列せられ、五山禅林文学の中心として繁栄しました。

 戦乱と幕府の衰退により再び荒廃しますが、天正年間(1573-1592)に東福寺退耕庵の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築して復興し、豊臣秀吉、徳川幕府から保護を受けました。明治に入り政府の宗教政策により臨済宗建仁寺派としての分派独立し、その大本山となりました。

 勅使門(国重文)、放生池、三門、法堂(仏殿)、方丈(国重文)・庫裏が禅寺の型どおり一直線にならんでいます。約10万平方mの境内には、他にも開山堂、安国寺塔、鐘楼、摩利支天堂、塔頭などが点在し、寺観も名刹らしく整っています。

 建仁寺は寺宝を多く所蔵しています。国宝に指定されている風神雷神図もその一つで俵屋宗達の代表的な作品です。京都の豪商・打它公軌(うだきんのり/糸屋十右衛門)が建仁寺派の妙光寺再興の記念に宗達に描かせたもので、その後、妙光寺から建仁寺に寄贈されました。(現在は京都国立博物館に寄託されています)

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八坂神社忠盛灯籠

2019年03月10日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の境内には忠盛灯籠(ただもりとうろう)があります。平清盛の父・平忠盛ゆかりの燈籠です。忠盛が祇園女御の許に赴く白河法皇の供をして付近を通った時、鬼のようなものが見えたことから討ち取るよう命じられました。正体を見定めてと生け捕りにしてみると、蓑をまとい油壺と松明を持ち灯籠に灯りを献じようとしていた祇園社の僧だったそうです。

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八坂神社美御前社

2019年03月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の境内には末社の美御前社(うつくしごぜんしゃ)があります。宗像三女神である市杵島比売神(いちきしまひめ)・多岐理比売神(たぎりひめ)・多岐津比売神(たぎつひめ)を祀っています。素戔鳴尊が天照大神と誓約された時、素戔鳴尊の持っていた十挙剣を振りすすいで生まれたといわれています。

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八坂神社悪王子社

2019年03月08日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の境内には摂社の悪王子社(あくおうじしゃ)があります。八坂神社の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらみたま)を祀っています。悪王子町などから、明治10年(1877)にここに遷座されたものです。

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八坂神社蛭子社

2019年03月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の境内には末社の蛭子社(えびすしゃ)があります。北向きに社を構えていることから「北向蛭子社」とも呼ばれています。こけら葺きで、間口3間、奥行3間の流造り、両側と背面に庇を付けています。現在の社殿は江戸前期の正保3年(1646)に建てられたもので、明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。

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八坂神社舞殿

2019年03月06日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の舞殿(ぶでん)は本殿のすぐ南にあり、舞踊などの各種奉納行事や結婚式などが行われます。沢山の提灯は、祗園の御茶屋や料亭から寄進されたものです。祇園祭の際には3基の神輿が置かれ儀式が行われます。幕末の慶応2年(1866)の火災で焼失し、現在の建物は明治36年(1903)に再建された建物です。

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八坂神社本殿

2019年03月05日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の本殿は間口7間、奥行6間、祇園造りで屋根は入母屋造り、檜皮葺きです。現在の建物は承応3年(1654)、徳川幕府4代将軍の徳川家綱によって再建された建物です。日本最大級の神社神殿といわれ明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。平成14年(2002)に40年ぶりに修復しています。
 本殿は平安時代に神殿と礼堂(拝殿)を仏教建築様式で一体化させたもので、祇園造りと呼ばれます。本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆っています。京都御所の紫宸殿を模して建てられたといわれ東側には小さな御車寄(玄関)があります。本殿の下に竜穴があり、神泉苑や東寺まで通じているという言い伝えが残っています。

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八坂神社南楼門

2019年03月04日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の南楼門は本殿の南にある八坂神社の正門です。入母屋造り、重層の三間一戸の楼門です。屋根は檜皮葺きだったものを昭和56年(1981)に銅板葺きに替えています。慶応2年(1866)に火災で焼失し、明治12年(1879)に再建されたものが今ある南楼門です。

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八坂神社西楼門

2019年03月03日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の西の楼門は 本殿の西、四条通りの突き当たりに建てられています。切妻造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門は明応6年(1497)に再建された建物です。古くは夜叉門(やしゃもん)、籠門(かごもん)と呼ばれていました。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。楼門には、蜘蛛の巣が張る事がなく、また雨だれの跡も付かないといわれています。

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八坂神社石鳥居

2019年03月02日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社の石鳥居は南の入口である南楼門の前に建てられています。高さ9.5mあり、現存する石造りの鳥居では最大といわれ、日光東照宮や鎌倉の鶴岡八幡宮とともに日本3大石鳥居に数え上げられています。正保3年(1646)に建立され、寛文2年(1662)に地震で倒壊、その後、寛文6年(1666)に再建されました。大正2年(1913)に国の重要文化財に指定されています。

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八坂神社

2019年03月01日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区祇園町北側に八坂神社があります。
 八坂神社は「八坂さん」「祇園さん」の名で親しまれ、古くから厄除けの神さまとして有名です。全国各地に約3千もの分社を持っています。明治維新までは祇園社または感神院と称したそうです。花街の祇園がすぐそばにあるせいか、たたずまい、雰囲気とも艶やかで独特の香気をただよわせています。

 創建には諸説ありますが、上代に高麗からの帰化人・八坂氏が牛頭天王を祀ったのが初めという説もあります。八坂神社の祭神は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこかみ)です。

 斉明天皇2年(656)に素戔嗚尊を祀ったのが起源で、素戔嗚尊は祇園精舎の守護神である牛頭(ごず)天王と一体視され、祇園社と呼ばれるようになりました。元慶3年(879)、陽成天皇が堀川の地十二町を神領地として寄進、藤原基経は、邸宅を寄進、道長もたびたび参詣したそうです。

 円融天皇は、天延3年(975)、走馬・勅楽・御幣を奉られ、これ以後、祇園祭が行われるようになったそうです。長徳元年(995)には、王城鎮護の社として尊崇された21社のうちの1社となり、延久4年(1072)には後三条天皇が行幸されました。

 平清盛は田楽を奉納、源頼朝は狛犬を奉納しています。足利将軍家も社領の寄進や修造を行うとともに社務執行は将軍家代々の祈祷も務めました。豊臣秀吉は母大政所の病気平癒を祈願し、焼失していた大塔を再建し、一万石を寄進しています。

 徳川家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営、数多くの神宝類を寄進しました。明治初期に八坂神社と改称され、明治4年(1872)に官幣中社に列格、大正4年(1915)には官幣大社に昇格しています。

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