熊本市水前寺公園にある古今伝授の間です。
水前寺成趣園内に建つ、茅葺きの風雅な茶室です。細川藤孝(幽斉)が慶長5年(1600)、後陽成(ごようぜい)天皇の弟宮智仁親王に「古今和歌集」の秘伝を伝えたところから、この名がついたといわれています。昭和39年には熊本県の重要文化財 に指定されました。
この建物は、もとは京都御所にあり、長岡茶室と呼ばれていましたが、明治になって細川家に返され、大正元年(1912)現在地に再建されました。杉戸の「雲竜」は狩野永徳、襖の「竹林の七賢」は海北友松の作と伝えられています。
紀貫之ら4人の選者による、日本初の勅撰和歌集である「古今和歌集」。平安時代、和歌を研究しその解釈の奥義を確立した藤原定家以来、この奥義は「古今伝授」として代々その子孫に伝えられていました。戦国時代、古今伝授を受け継いだ三条西実枝(さねき)は、細川藤孝(幽斎)に伝授を託しました。関ヶ原の合戦の年、智仁親王に伝授を始めました。
藤孝(幽斎)の当時の居城、京都・丹後の田辺城は石田方の軍勢に包囲され、平安時代以来の正当な古今伝授そのものが途絶える危機を迎えました。天皇御自らの勅諚が発せられ、回避されました。この一件で古今伝授と細川藤孝の名が公家や大名に知られるようになったといわれています。智仁親王は桂宮家の初代で、「桂離宮」を造りました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/

水前寺成趣園内に建つ、茅葺きの風雅な茶室です。細川藤孝(幽斉)が慶長5年(1600)、後陽成(ごようぜい)天皇の弟宮智仁親王に「古今和歌集」の秘伝を伝えたところから、この名がついたといわれています。昭和39年には熊本県の重要文化財 に指定されました。
この建物は、もとは京都御所にあり、長岡茶室と呼ばれていましたが、明治になって細川家に返され、大正元年(1912)現在地に再建されました。杉戸の「雲竜」は狩野永徳、襖の「竹林の七賢」は海北友松の作と伝えられています。
紀貫之ら4人の選者による、日本初の勅撰和歌集である「古今和歌集」。平安時代、和歌を研究しその解釈の奥義を確立した藤原定家以来、この奥義は「古今伝授」として代々その子孫に伝えられていました。戦国時代、古今伝授を受け継いだ三条西実枝(さねき)は、細川藤孝(幽斎)に伝授を託しました。関ヶ原の合戦の年、智仁親王に伝授を始めました。
藤孝(幽斎)の当時の居城、京都・丹後の田辺城は石田方の軍勢に包囲され、平安時代以来の正当な古今伝授そのものが途絶える危機を迎えました。天皇御自らの勅諚が発せられ、回避されました。この一件で古今伝授と細川藤孝の名が公家や大名に知られるようになったといわれています。智仁親王は桂宮家の初代で、「桂離宮」を造りました。
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