カーディン大佐はある日、森の中で、森の妖精げんちゃんに出会い、「稲葉軍がはんばーがー帝国のロッカーを奪おうとしている」との忠告を受け、散歩どころではなくなり、2/23(土)に杉本町に向け軍を派遣した。しかし道半ばで矢守軍の精鋭部隊の攻撃によりほぼ壊滅、生き残ったミキヤスヒロも姫野軍に買収され、誰一人杉本町にたどり着かなかった。
そもそも稲葉軍とカーディン大佐の確執はなかなか深いものである。それを振り返っていこう。
昨年9月稲葉軍がハンバーガー帝国に大砲発射、この時はカーディン大佐の賢明な判断により被害はなかった
同年10月稲葉帝国が結成され、カーディン大佐は頭を悩める。11月の丹後駅伝では両国間の国交は回復し、タスキをつなぐ感動的な場面があった。しかしそれは感動的な場面に見えただけである。カーディン大佐はタスキをまるめた状態で渡し、このことに激怒した稲葉帝国は水面下で稲葉軍の強化を計る
そして昨年12月稲葉帝国は10000mのnational recordではんばーがー帝国のそれを抜く。
カーディン大佐は堺市民駅伝で反撃に出ようと試みるも直前に1区をクビになり反撃の機会を失う
大阪ハーフマラソンでは世界的ケニア人マラソンランナー、ヒローキ・タナーカーと2068年稲葉帝国オリンピック100m銀メダリスト平松先生に8kmまで先行するも無事吹きました、はいすいません。そのあと稲葉軍とたかHEROにボコボコにされカーディン大佐は無事死亡(享年22)
だがしかしカーディン大佐は生き返り、ふたたび稲葉帝国と戦うべく、毎日近所のジムのトレッドミルで時速をMAXの18km/hにして走っている
いつかロッカーを取り返し、渋谷でトラックひっくり返してるチャラ男のまきお、総理大臣北村、銀座のママをやってる小松、彼らの笑顔を取り戻すのだ
その様子をそりたつ壁は黙ってみていた…
・・・to be continued・・・