目黒駅前のウェンディーズが閉店しました。
ウェンディーズは日本から撤退するようです。
これで当院の場所を説明するのが難しくなりました。
「駅前にウェンディーズがあってそこがバスロータリーになっています。ロータリーの三井住友銀行のとなりのビルで、、、、、、、、。」
ウェンディーズはいいランドマークでした。
若い人には、目黒駅東口は「ウェンディーズとマックがある方」と浸透していたようです。
ウェンディーズ跡地は駅前の一等地ですから、次に何が入るのか楽しみです。
ところでマクドナルドの入っているビルも駅前の一等地ですが、上の階はずっとテナントが入っていないそうです。
現在の不況がいかにたいへんなものかうかがい知れます。
そのロータリーからすぐのビルにはサーティワンアイスクリームが開店しました。
夜はその辺りが明るくなりました。
ウェンディーズの後にも活気のあるお店が入って欲しいものです。
院長
感動しました。
「エチカの鏡」「スポーツ大陸」で取り上げられていましたが、長野オリンピックのスキージャンプのテストジャンパーたちの物語にです。
ラージヒルのスキージャンプでは原田選手の挫折と栄光に感動を覚えましたが、その裏にも感動の物語が隠れていたのです。
テストジャンパーとはジャンプ台の安全を確認したり、その日の天候がジャンプに適しているかどうか確認するために試験的にジャンプ台を飛ぶ人たちです。
試験的といってもオリンピックに出てもおかしくない実力の持ち主たちです。
長野オリンピックでは前半を終えて日本勢は4位でした。
原田選手の1回目のジャンプは猛吹雪にさらされて80mも飛べませんでした。
誰もがリレハンメルの失速ジャンプを思い出しました。
VTRでは白く曇って原田選手の姿がよく見えないほどの悪天候でした。
そして選手全員の一回目のジャンプを終えてあまりの悪天候のため競技が中断しました。
そのまま競技が中止になってしまうと1回目のジャンプで勝敗が決まり、日本はメダルが取れません。
競技が続行可能かどうかテストジャンパーのジャンプで決まることになったのです。
リレハンメルのスキージャンプ・ラージヒルのメンバーは
西方 仁也
岡部 孝信
葛西 紀明
原田 雅彦
でした。
原田選手が105m飛べば金メダルを獲得できるという状況で、97,5mの失速ジャンプになり惜しくも銀メダルになってしまいました。
長野のスキージャンプ・ラージヒルのメンバーは
岡部 孝信
斉藤 浩哉
原田 雅彦
船木 和喜
でした。
リレハンメルのメンバーで、長野に出られなかった西方選手がテストジャンパーのリーダーでした。
テストジャンパーたちが、競技が安全にできること競技が成り立つレベルの飛距離が出ること、を証明できなければ2回目のジャンプが中止されてしまいます。
テストジャンパーたちにミスなく飛距離を出すジャンプが求められたのです。
25人のテストジャンパーの最後が西方選手でした。
24人のテストジャンパーは安全に飛べることを証明しました。
最後の西方選手は飛距離が出ることを証明しなければなりません。
そのジャンプは
123m
このジャンプによって競技再開が決定しました。
そして原田選手の2回目のジャンプ、137mの大ジャンプが記録されたのです。
金メダルを授与された後、原田選手を胴上げしたのがテストジャンパーたちでした。
感動的な金メダルの蔭に25回の記録に残らないジャンプがあったなんて、いい話ですね。
院長