昨日だったか、松江歴史館から電話があり、どうされますか?的な感じ。
5月4日に予定している「古典日本髪で皐月の千鳥城を楽しむ会」、歴史館で地毛で江戸期の髪形に結い上げ、江戸時代の衣装を着て内堀通りから大手門、千鳥城(松江城)本丸まで練り歩こうというイベント。
中止など全く想定していないので、もちろん予定通り!と答えましたが、、
先ほど、今日の新聞に目を通すと、「感染リスク低ければ 松江市イベント4,5月開催へ」という見出し!へえっ、松江市さんにも実行委員会に加わっていただくことになっているので、これに該当するじゃないですか~
てな記事のあった今日、監修してくださる先生と松江歴史館に下見。
大体のことがほぼ見えたかな?
昨日は、滋賀から来ていただいた先生に古典日本髪の結髪を指導していただきましたが、練習を重ねる地元の皆さんの溢れる熱意がよ~く伝わったご様子。
指導講習の様子、結局見れずじまいでしたが、会の代表の石原さんが写真を撮ってFacebookに投稿してくださっていたので、ちょっと拝借。
初めて見る髪型ばかりですが、本当に熱心な皆さんですから、腕を磨いて市民の皆さんや観光客の皆さんに喜んでいただけること間違いなし、でしょう(*^^*)
当日まで一月と10日ほど、万全を期していかなきゃ。
みなさん、ぜひお越しください!
自毛で島田を結い上げた花嫁、とてもお似合いで、とてもステキでした。
おばあさまのご実家が江津だったとか、で、江津で結婚式を挙げたお母様と同じ神社で式を挙げた東京にお住いの女性の式に立ち会う機会を頂きました。
このステキな話は、明日にでも紹介することとして、、、
いけずご王国、カムの宿などでとてもお世話になっている新庄の森脇さん、ここの氏神である久良彌神社の宮司さんでもあるんですね。
先日の交流会の折、参加した皆さんと森脇さんの久良彌神社の奥宮を訪ねようとの話がまとまっていました。
お役目上、日程調整をして昨日の本番を迎えたのですが、、、
佐陀川から手角までがその領分であったというくにびき神話に登場する闇見の国、その地の総社だったと伝えられる久良彌神社、江戸時代の水害で、谷筋の多くの家が流された時に元宮も流され、現在の地に移ったのだとか。
聞けば、もう何年も行ったことがない、藪こぎ必死につき、参加者は長靴、軍手、帽子、鉈ガマ持参のこととの注意事項を流し、昨日。
曲折があり決死隊志願者は5名、倒木の枝を打ち、倒れた竹の伐採や片付けもしながら進みました。
結果的には、決死隊というほどの気負いがなくても行けたぞ~~!という感じでしたが、女性や好齢者中心でしたから、まあそれなり?
ここらしいという場所に着くと、雑木が覇を競い、杉の倒木が何本も倒れ込んでいました。
50年ほど前に森脇さんのお父さんが植えたという目印の檜も確認し、回りの雑木を切り少しは見られるように整備。
参加者の関心であった土地のエネルギーは、植林されたであろう木々の中でひときわ大きな三本の木に囲まれた地点、感じる方は感じた?そこで、感動の余波がジワリ。
そこの写真、僕が撮ったものではありませんが、さて。
歯医者の長~~い時間から解放されて我が家に帰ってくると、庭の隅で出迎えてくれた黄色の水仙、心が和みました。
今日もいろいろあったけど、石か猫になりたいと言っているというお嬢さんに出会いました。
特別なことがあったわけではないけど、高校2年生から学校に行けなくなり、宍道高校を卒業したという彼女、目がキラキラ輝き、とっても良い子なんですよ。
お母さんと話していると、彼女からたくさん学ばせてもらえて本当にありがたい、だけどそう思えるようになったのは最近からなんですよ、って。
きっとそうなんだろうなあ、家庭教育、学校教育で培われてきた社会通念って、そんなドロップアウトする子って目線の先にないも同然かも。
そんな子は、特別支援だったり、福祉だったりの特別の枠で囲い込みたいのだから。
カムの宿で若い人たちで火を囲む晩餐の夕べを計画しているので、彼女にも声を掛けました。
来ると言ってくれたので、きっと、新たな面白い世界が広がるんだろうなあ。
彼女はどんな未来を開いていくんだろう?島根にとってとても貴重で、大切な人になるような気がしています。
オレンジの匂いが部屋中に広がり、指を見ると爪の間がオレンジ色(^^;;
そのうえ、しっかり抱え込んで歯のない歯茎で一生懸命かじっています。
ということで、オレンジ救出作戦は断念せざるを得ず、、、
きいちゃんが遊びに来たのは昨日のこと。
この子に会うたび、どんな子に成長するんだろうって、思わず目が垂れるのを感じます。
我が子や孫でもこんなことはなかったのに、、、
幸ノ神信仰、見事ですね
話は変わって、天宮山山登りを前にした一昨日、やはり古代出雲の精神の源流を訪ねて大山山麓を走りました。
一昨日の山麓は道路を除くと一面の雪景色。
道中、雪景色の中の桜、早咲きの桜ですが、例年はどうなんでしょうか?
思わぬ雪に、花弁を閉じようとしたのでしょうか。
さて、古代出雲の幸ノ神信仰、見事だなあと思います。
ぜひ案内して欲しいと請われていた何カ所かを巡りましたが、ここまで徹底していると思わず笑っちゃいます。
でも、乳幼児の死亡率が今とは比べ物にならない高さだった古代のことですから、本当に真剣だったんだろうなあ。
それに引きかえ、結婚したくない、子ども欲しくない若者が巷にあふれる今の時代、時代による意識の落差に、ある意味あんぐりですね。
この写真がここ天宮山を一番象徴しているんじゃないか、なんて思ったのですが。
昨日、東京からのお客様を案内して、難行苦行、雪の残る松江市八雲町の天宮山(天狗山とも)に登ってきました。
古代出雲の指導者たちの祖霊が眠るのが天宮山ですが、古代出雲の祖神は幸ノ神三神で、子宝に恵まれ、子孫繁栄が何よりの願いだったと言われています。
天宮山山頂に立つ、男女和合するような姿のこの木こそ、その象徴のように感じ、一望できる松江市の市街とともに苦労して登ってきた深い満足感を感じました。
松江市内から八雲町の県道53号線を走り、熊野大社の前を過ぎてしばらく行くと天宮山参道入り口の看板を左折、細い道をしばらく走らせると駐車場看板、オフロードが走れる車ならそこから登山道入り口まで車も入れますが、、、
歩くこと30分程度で登山道入り口。
実は、登山道に残る雪を見て躊躇しましたが、登ろう!何て元気な声に気圧されて、登り始めました。
雪のないところはぬかるんでいるし、結構な急こう配(^^;;
暫くすると意宇川(王の川、おうの川と呼んだらしい)の源流、水がうまい!
もうしばらく登っていくと、ガレ場が開けてきて「不思議な構築物」の支柱。
石垣が2段積まれていますが、建物跡だった様子ではなし、何の目的だったのか?
やはり祭祀場?
更に急坂、雪の残る道を一歩一歩、足場を確かめながら登っていくと、もう一か所のガレ場が開けてきました。
今回一番行っておきたかった斎場跡と磐座に到着、一番上に見える磐座まで行きたかったけど、足元の悪さもあり今回は断念。
次回、気候のいい時節には、古代出雲の私たちの祖先が浴したであろう磐座のエネルギーを感じたいものだと思っています。
ここを過ぎて最後の胸突き八丁、雪に足を取られながら頂上に。
頂上への平坦な道の途中、とてもエネルギーの高い場所がありました。
杖を調達し、一歩一歩杖を突きながら下った帰り道でしたが、登り道以上に厳しかったかもしれません。
ただ、ご覧のような好奇心を湧き立たせたり、心を和ませるモノたちに出会いながらでしたから、靴の中はビショビショドロドロ、下着は汗でぐっしょり、最後には、ひざはガクガク、大笑いしていましたが、深い爽快感を味わうことができました。