良くも悪くも、我が国の古代史の大きな画期を担った人物だと思っていますが、、、
特に、古代出雲にとってはそうだろうと思いますし、日本の歴史にとっても注視すべき、というか、巨大な存在じゃないかと思います。
日本の古代史に関わる本を読み漁っているのですが、最近その事蹟が特に気になっている人物なんですよね。
それは、死を賭す覚悟で秦の始皇帝に取り入り、巨費を投じさせ、数千人の童男童女と百工を連れて“不老不死の妙薬”を得るミッションを持って日本に来たという徐福。
司馬遷の史記に何度か登場する徐福の足跡、中国では関係する多くの地域に徐副会があり、全土の徐副会を統括する?中国徐副会まであり、関係する地域の徐福を冠する事蹟がワンサカ、それぞれの徐副会の活動もビックリ(@@)
東渡の途中で経由したという事蹟がいくつかある韓国でも、徐福熱は僕の創造を絶するものかも。
ところが、我が国の徐福事情は、、、
最初に手に取った徐福関係の本、気鋭の研究家の本ですが、事蹟はあくまでも伝説扱いで、関係する地域の活動や思いなどを纏めたと思える内容で、1/5ほど拾い読みしてさっさと閉じましたが、、、
なぜ???本当に伝説のレベルなのか??
気を取り直して借りてきたもう一冊、池上正治著「徐福」を開いて読み始めました。
事蹟を含めた中日韓の徐福事情、我が国の徐福事情が事細かく拾い上げられ、実在した徐福を確信する関係者の熱気が伝わってくるものです。
ただ、歴史書じゃないから?この本から徐福の実在を確信できませんし、出雲と徐福との関係、ヤマトの歴史の端緒となったという角度は見えません。
“徐福”と言う名は、原初の皇統を根底から揺さぶるものであるが故、記紀でも一切触れられず、研究者の間でも“伝説”の棚に置いておく方が当たり障りがない、という認識なのかなあと穿って見たりして。
それと、出雲に残る口伝では、“徐福”は出雲凋落の大きな要素であるのに、研究者は一切触れていません。
僕には、そこに触れることで出雲の価値観に大きな激震が走るのかも、と穿って見えるので、臭いものに幾重にも蓋がしてあるのかと思ったり。
徐福、我が国に足跡があるとしたら、、、2,200年余まりの間大きな宿題を残し続けているのかも。
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