見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

読書百遍義おのずからあらわれる

2019-07-12 20:12:39 | 房仙会

 “岩盤を穿つ”、結構印象的な書名で、奥歯を穿られながらそんな言葉を思い出していました。
 昨夜は、奥歯が痛くてほぼ一晩中寝付くことができず、今までだましだまし来ていたんですが、これは歯医者に行くしかない!と予約の間に挟んでいただきました。
 その治療、目をしっかり開けてと叱咤されながら、自分の舌を歯鏡で押さえさせてもらい(^^;; 歯と歯茎が穿られていくのを見つめていたんですから、そんな気にもなるってものです。

 お陰で、歯の痛みはほぼ雲散霧消状態になりましたが、今日の書道のお稽古日は参加取りやめ。
 ただ、先日の東京に闖入させてもらったおかげで、鳩居堂出品作品完成したそのお礼と、欠席の連絡はしたものの、それでも生きている顔を見てもらおうと会場を覗きました。
 行ってみると、いつもの会場に誰一人姿がない???フロントで聞くと7階、3方すごい眺望!


 実は、わざわざ行ったのにはもう一つ理由があって、先日読んでいた本で「読書百遍義おのずからあらわれる」という言葉に出会ったからで、これって、書道そのものじゃないか!と思ったから。
 書道のお稽古会場では、「お稽古はお湯を沸かすがごとく」という言葉で盛り上がったので、この言葉は飲み込みましたが、お湯は冷たくならないうちに火にかけるとすぐに沸く、つまるところは似ているかなあ。
 この本では、使っている身体性ってごくごく僅か、膨大な可能性が秘められているとありましたが、歯医者で舌の使い方を指導されたことも一緒で、たかが舌だってこんな使い方、動かし方があるんだ!って。

 きっと、道のつく日本の伝統技能やスポーツなども一緒なんでしょうね。
 理解できなくても、思うように身体が動かなくても、愚直に求め続けていると“おのずからあらわれる”ものなんじゃないかと、自らを慰めています。
 まあ、それほど筆は、それを動かす手は、それを動かす脳は自分の思うようには動いてくれません。

コメント
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