気になっていたのですが、あの雪以来初めて畑の様子を見に行ってきました。
去年は、一昨年の寒波で全滅でしたから、今シーズンはトンネルで守るぞって、トンネルに守られて順調に成長していたそら豆、この雪でトンネルが潰れたかもと、最悪も考えていましたがこれなら大丈夫!一部は、茎が折れたりしていましたが、100%の収穫はできなくても70%とかは行けそうです。
その上、弱いのは両端ということも学習させてもらって、次のシーズンは大丈夫だろうって。感謝ですね。
そんな僕の畑の回り、結構ハウスが潰れているんですね。すぐ近くのハウスもご覧の通り。
古かったり、部材が小さかったりなんでしょうが、自然との上手な付き合い方を考えちゃいますね。
カニはカニじゃない
さて、その自然ってすごく不思議なんですね。
昨夜、新日本風土記の再放送「越前の冬」に、越前ガニが水揚げされる港近くの海端の料理旅館の美人若女将が登場し、「カニはカニじゃない」と話していたのがとても印象的でした。
この旅館の主人は、漁から帰ってくる漁船を双眼鏡でチェックして石川沖で獲れたカニを仕入れ、10日から2週間程度旅館のいけすで泥を吐かせ熟成させる。その役は若女将の担当。味が全く違ってくる。
そろそろかなあと思って生簀から取り出す時、大人しくすくわれるカニとそうでないカニがいて、そうでないのは、もう一度戻す。カニは食べられ時を知っていると。
そして、カニはカニじゃないんです。今も手に取ったカニがTVカメラを意識してますよ、だって。
動物や植物と話ができる(意識が通じる)人がいますが、人とカニも意識が通じるんですね。
物質や自然は非常にあいまい
この夜読んでいた量子論の本に、「量子論は、物質や自然がただ一つの状態に決まらず非常にあいまいであることを、そしてあいまいさこそが自然の本質であることを示している」と。
僕の好きでない言葉の一つは“エビデンス”。ちょっぴり嫌な思い出があるんですが、社会システムはそういう類で動いているんですね。お役所とか権威のあるところは特にそうかな?
で、エビデンス的には、カニはカニなんでしょうね。カニはカニじゃない何て、“権威”には通じないですね。
ところが、量子論からすると、カニはカニじゃないって当たり前なんです。ちょっと飛躍はありますが。
昼、そばを食べながら続きを読んでいたら、量子論に突き付けられた「シュレーディンガーの猫」というパラドックスへの解は「多世界解釈」なんです。「君の名は」の世界観ですね。
そういう意味では、ジョージ・ルーカスやジェームス・キャメロンはじめ数多のアメリカ映画の監督たちはすごいですよね。入口はUFOだったかもしれないけど、背景には最先端物理学があるんでしょうね。
今日、とても楽しい方と話が弾み、学校の話になりました。カニはカニじゃない、と思っている子どもたちが増えているんだけど、既存の仕組みの中には受け皿はないに等しいのかもしれません。
今、そんな子どもたちの受け皿を自分たちで作る動きが広がっているように思います。
面白い時代ですが、そんな時代の中で、自分を100%楽しめたら最高ですね。