ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

4ヶ月目

2011-07-11 | 経済・政治・社会
今日で東日本大震災から4ヶ月。


こんなにたくさんの事が起きて、世の中が変わってもまだ4ヶ月。
過酷な事実がなかなか過去に遠ざからないのは、放射能問題が現在も進行しているからなのでしょうか。あまりにも問題が巨大で深刻すぎて、時が消化できないからなのでしょうか。


今になって家畜に放射能が検出され、そこで家畜を育てている方や暮らしている方、消費した可能性のある方の思いは、いかばかりかと思います。


ちょうど2ヵ月前の5月11日に、「少しでも何かのお役に立てれば」と、足を踏み入れたことのない福島に行くことを思いつき、夫や義母の賛成を得て、初めての家族5人国内旅行を決定しました。(リンクはコチラ


しかし、数日前になって義母が突然、
「疎開先の渋温泉にいってみたい。」
と言い出し、夫婦でビックリ!


東京生まれ東京育ちの義母に、疎開暮らしは大変辛かったようで、
「二度と思い出したくない。」
というようなことをかつて言っていたので、それが長野だったことも温泉だったことも記憶にありませんでした。


義母は11年前から未亡人で脚が悪く誰かと一緒でないと旅行には行かれません。ここ数年は親しい人に誘われても「迷惑になるから」と行かなくなってしまいました。


なので今回の福島行きに同意したときは、内心驚きつつも貴重な機会を嬉しく思っていました。その義母が自分からさらに別の場所に、
「行きたい」
と言い出すとは、本当に驚きでした。
「なんかこう、そういうタイミングなんだろうか?」
夫も神妙な顔です。


ちょうどその日、福島の現状について詳細をお教えくださる方もいて、言いだしっぺの私としては家族や義母ともう一度きちんと話し合ったほうがいいと思っていた矢先でした。


福島行きについて、家族の意見はややバラバラでした。
夫:大賛成で大変楽しみに
義母:賛成(決定以降話し合っていなかったので、その後の詳細は不明)
善(14歳):反対(ながら親が行くのでついて行くという状態)
温(17歳):なんでもOK(特に自分の意見なし)


もう一度話し合い、最終的に福島行きの代わりに、長野の渋温泉に行くことにしました。被災県の「少しでも何かのお役に立てれば」という気持ちに今も変わりはありませんが、ぜひ別の形で、できたら息長くできるものでお役に立とうと思い直しました。


今回は義母の希望を優先することにします。



被災者・避難者、同じく非日常を強いられているペットや家畜の動物にも、
1日も早くいつもの生活が戻ることをお祈りしています。

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