ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

アデレード2回目行:アデレードアーケード

2021年08月20日 | オーストラリア:アデレード

2019年3~4月のアデレードも
11日目、最終日となりました。


最後にアデレードアーケード

1885年の完成当時は南半球最
大のショッピングアーケード
で、シドニーやメルボルンを
凌いだ華やかなりし時代


滞在中に何回となく行ったり
通り抜けをしたりしました。

グレンフェルという大通りと
恒久ホコ天のランドルモール
を繋ぐ造りになっているので
通路代わりにもなって便利。


ちょうど復活祭の時期で飾り
もイースター一色(多色か)



出入口の1915年創業の老舗
ヘイグスチョコレートで前回
同様におみやげも購入



定番のイースターエッグ



さ、魚
ココはカエルモチーフも有名

どうも購買欲がそそられない
のは気のせいではなさそう💦
(※お財布に優しい店かも)


イースター名物ホットクロス
バンのチョコレート版発見



うろうろしている時に小さな
アーケードの博物館発見

開業時はバルコニーと地下の
ティールームが話題になり、
創業を祝してポルカも作曲さ
れ、みんなで踊ったのかな


アーケードに住み着いている
といわれる、かつての管理人
だったフランシスの亡霊



1991年まであった毛皮専門店
ホダーズの帽子にあったロゴ

ハロッズ風なのは気のせいか


とはいえアーケードそのもの
がミラノのガレリア(1877年
開業)やロンドンのバーリン
トン(1818年開業)を参照して
設計され〇〇風あるある(笑)

左:ガレリア 右:バーリントン


ドームも15世紀イタリア風
を模した八角形なんだそう。

左:フィレンツェのドゥオーモ
右:ローマのサンピエトロ大聖堂


で、アデレードアーケード

国旗とコートオブアームズ
が掲げられオフィシャル感


アデレードアーケード紋章は
1880年代の数々のコンペを
経て決定されたそうです。

初代はエミューとカンガルー
がそっぽを向いていました。


アーケードはこれをオースト
ラリア全体の紋章に推してい
たのですが1901年に拒否され


1908年に決定した国の紋章は

エミューとカンガルーの位置
が入れ替わっただけで激似


それがアーケードとしては悔
しいやら自慢やら説明の行間
を読み取った〇〇風の時代


現在のコートオブアームズ

時代とともにデザインは変わ
っても2匹の位置だけは同じ


1976年にホコ天としてランド
ルモールが開業したときに、
この噴水がリアルシャンペン
タワーになったんだとか



1万人が集まったそうで、ヘ
ルメットですくう人も

1976年はもう中学生でしたが
そんな素朴な時代だったっけ?


1980年には火災が発生。隣接
するガイズアーケードが全焼
し両アーケードで200万豪ドル
の甚大な損失を出したそう💦



現在のガイズアーケード



床の市松模様が異なります

白黒がガイズ


ネットショッピングもなんの
その、19世紀の買い物の殿堂
は今も街の中心で威風堂々



最後の最後に駆け込んだのは
前回目を付けていたカフェ

チャオ・コーヒーバー


アデレードの最後の1杯と



古風なアーケードに似つかわ
しい、古風なマーマレード



目の前の手芸店のディスプレ
ーで19世紀にタイムスリップ

ティーコージー


今はコーヒーがぶ飲みのオー
ストラリア人がお茶を飲んで
いた頃を彷彿とさせる代物

多様性の時代に金髪の女の子


コアラは永遠なり



また来るね、アデレード

チャオ


アデレード2回目旅行記終了
長々とお付き合いありがとう
ございました~




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。