ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

アデレード行:一等地のシムチョン家

2020年05月03日 | オーストラリア:アデレード

このブログに限っては
前科があるので止まっては
イケナイのにまた止まって
しまい、失礼しました💦


4月の仕事が終わったので
「5月の仕事はどうする?」
というのはさておき再開


=============


アデレードで大成功を収めた
シムチョン家の第一世代
シムチョンと妻ソーユンムーン
で、2人は1891年に広東省から
移住してきました。
(↑ググったら出生地判明)


当時の南オーストラリアは
中国生まれの男性357人に
対し、女性わずか6人という
対比で、ソーユンムーンは
中国人女性移民のパイオニア
だったと言えそうです。


2人は4人の子どもに恵まれ、
オーストラリア生まれの4人は
それぞれのビジネスで開花し、
一家はアデレードの名家として
その名を知られていくものの
白豪主義にも翻弄されます。


右から長男ジョージ(1901年生)
ソーユンムーン
長女ドロシー(1904年生)



次女グラディス(1905年生)



次男ゴードン(1910年生)



一家はアデレードの目抜き通り
ランドルストリートに住み、
1906年から青果やナッツ類、
中国雑貨や花火を売る事業を
始め、投石などの嫌がらせを
受けながらも成功しました。

(※1909年。今も昔も一等地)


1924年にジョージは事業の
高級化路線、リブランド化
に乗り出し、中国のお茶や
雑貨販売に力を入れます。

(※大人気だった花火販売)


1926年には姉妹が高級雑貨
やギフトを売る店をはじめ
チャイナギフト・ストアは
すぐに一大人気店となり、
1928年にオープンした、
今ならモールに相当する
リージェントアーケードに
2号店を出す勢いでした。

当時のラッピング
物が限られた時代にあって
さぞやエキゾチックだった
であろうイラストに字体


1930年にドロシーが結婚し
シドニーに転居してからは
グラディス1人が経営を続け
中国や香港への買い付けも
こなし、20代でアデレード初
の女性実業家となりました。


姉妹が中華雑貨を専門にした
ため、ジョージの店はナッツ
お茶、自家製ピクルス、花火
に的を絞り営業を続けました。


しかし、1929年に末っ子の
ゴードンがランドル近くの
ユニオンストリートに出店。

ゴードンSチョン・ナッツ
という兄が経営する家業と
そっくりな事業を開始💦



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