このブログに限っては
前科があるので止まっては
イケナイのにまた止まって
しまい、失礼しました💦
4月の仕事が終わったので
「5月の仕事はどうする?」
というのはさておき再開![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0184.gif)
=============
アデレードで大成功を収めた
シムチョン家の第一世代は
シムチョンと妻ソーユンムーン
で、2人は1891年に広東省から
移住してきました。
(↑ググったら出生地判明)
当時の南オーストラリアは
中国生まれの男性357人に
対し、女性わずか6人という
対比で、ソーユンムーンは
中国人女性移民のパイオニア
だったと言えそうです。
2人は4人の子どもに恵まれ、
オーストラリア生まれの4人は
それぞれのビジネスで開花し、
一家はアデレードの名家として
その名を知られていくものの
白豪主義にも翻弄されます。
右から長男ジョージ(1901年生)
ソーユンムーン
長女ドロシー(1904年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/2a/08b2325baca21428b02a64a73f37fd96.jpg)
次女グラディス(1905年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/ab/d4b3c8cb0fc3933669d876a8d22c240b.jpg)
次男ゴードン(1910年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/36/927c984c50fbecbb7fc8ba4822ec35e7.jpg)
一家はアデレードの目抜き通り
ランドルストリートに住み、
1906年から青果やナッツ類、
中国雑貨や花火を売る事業を
始め、投石などの嫌がらせを
受けながらも成功しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c4/290ee0e722ba8ea5115bbeac5a2cbca0.jpg)
(※1909年。今も昔も一等地)
1924年にジョージは事業の
高級化路線、リブランド化
に乗り出し、中国のお茶や
雑貨販売に力を入れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/1a/ca1af50401a86c36bcc2713500959211.jpg)
(※大人気だった花火販売)
1926年には姉妹が高級雑貨
やギフトを売る店をはじめ
チャイナギフト・ストアは
すぐに一大人気店となり、
1928年にオープンした、
今ならモールに相当する
リージェントアーケードに
2号店を出す勢いでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/17/eec0b23c4ce98d69441e5cfbe4d0c15b.jpg)
当時のラッピング
物が限られた時代にあって
さぞやエキゾチックだった
であろうイラストに字体![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)
1930年にドロシーが結婚し
シドニーに転居してからは
グラディス1人が経営を続け
中国や香港への買い付けも
こなし、20代でアデレード初
の女性実業家となりました。
姉妹が中華雑貨を専門にした
ため、ジョージの店はナッツ
お茶、自家製ピクルス、花火
に的を絞り営業を続けました。
しかし、1929年に末っ子の
ゴードンがランドル近くの
ユニオンストリートに出店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/de/790ad0a16b721788510032b25f92b5e9.jpg)
ゴードンSチョン・ナッツ
という兄が経営する家業と
そっくりな事業を開始💦
前科があるので止まっては
イケナイのにまた止まって
しまい、失礼しました💦
4月の仕事が終わったので
「5月の仕事はどうする?」
というのはさておき再開
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0184.gif)
=============
アデレードで大成功を収めた
シムチョン家の第一世代は
シムチョンと妻ソーユンムーン
で、2人は1891年に広東省から
移住してきました。
(↑ググったら出生地判明)
当時の南オーストラリアは
中国生まれの男性357人に
対し、女性わずか6人という
対比で、ソーユンムーンは
中国人女性移民のパイオニア
だったと言えそうです。
2人は4人の子どもに恵まれ、
オーストラリア生まれの4人は
それぞれのビジネスで開花し、
一家はアデレードの名家として
その名を知られていくものの
白豪主義にも翻弄されます。
右から長男ジョージ(1901年生)
ソーユンムーン
長女ドロシー(1904年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/2a/08b2325baca21428b02a64a73f37fd96.jpg)
次女グラディス(1905年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/ab/d4b3c8cb0fc3933669d876a8d22c240b.jpg)
次男ゴードン(1910年生)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/36/927c984c50fbecbb7fc8ba4822ec35e7.jpg)
一家はアデレードの目抜き通り
ランドルストリートに住み、
1906年から青果やナッツ類、
中国雑貨や花火を売る事業を
始め、投石などの嫌がらせを
受けながらも成功しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c4/290ee0e722ba8ea5115bbeac5a2cbca0.jpg)
(※1909年。今も昔も一等地)
1924年にジョージは事業の
高級化路線、リブランド化
に乗り出し、中国のお茶や
雑貨販売に力を入れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/1a/ca1af50401a86c36bcc2713500959211.jpg)
(※大人気だった花火販売)
1926年には姉妹が高級雑貨
やギフトを売る店をはじめ
チャイナギフト・ストアは
すぐに一大人気店となり、
1928年にオープンした、
今ならモールに相当する
リージェントアーケードに
2号店を出す勢いでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/17/eec0b23c4ce98d69441e5cfbe4d0c15b.jpg)
当時のラッピング
物が限られた時代にあって
さぞやエキゾチックだった
であろうイラストに字体
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)
1930年にドロシーが結婚し
シドニーに転居してからは
グラディス1人が経営を続け
中国や香港への買い付けも
こなし、20代でアデレード初
の女性実業家となりました。
姉妹が中華雑貨を専門にした
ため、ジョージの店はナッツ
お茶、自家製ピクルス、花火
に的を絞り営業を続けました。
しかし、1929年に末っ子の
ゴードンがランドル近くの
ユニオンストリートに出店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/de/790ad0a16b721788510032b25f92b5e9.jpg)
ゴードンSチョン・ナッツ
という兄が経営する家業と
そっくりな事業を開始💦