ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

メルボルン行:またいつか

2019年09月22日 | オーストラリア:メルボルン
2017年10月の初メルボルン
とうとう最終日を迎えました。


メルボルンの迷子と化したので
別のカフェを試すでもなく

再びマーケットへ行き、


マーケットレーンカフェへ。

2回目は念押しをしてマグで。


日曜日だったので、マーケットの
出店も人も多く、



華やいでみえました。



最後の最後まで街歩き

交差点の中で一時停止する


不思議な曲がり方



ちょうど同性婚の是非を巡る
国民投票が始まっていたので

街中至るところで見かけた



には圧倒されました


11月15日の結果はもちろん、
YES



最後に移住博物館へ。



いつの時代であっても
どの民族、家族、個人でも

移民にはみな物語がある


迫害され続けた原住民にも。



1851年にメルボルンで
金が見つかると、10年間に
50万人という爆発的な
人口増が起き、ヤラ川岸に
テント村ができたそう。



1854年には中国人採金者
3,000人が到着して反発を招き、


1855年には人種差別の象徴である
悪名高い中国人人頭税10ポンドが
課されるようになりました。


1857年には人頭税を免れるために
南オーストラリアに中国人を
乗せた船が入港するようになり、


そこから金鉱まで何百キロも歩く



後にグレートウォークと呼ばれた
過酷な旅が始まりました。



1888年に「白豪主義」が唱えられ、
反中国人政策が廃止される中でも
有色人種全体への差別が続き、



なんとかイギリスからの移民だけを

受け入れようとあの手この手。


白豪主義の提唱から100年以上を経て

国籍を取る人たちの顔ぶれも多彩に。


中国人たちの暮らしぶりも



時代の経過とともに



変わっていきました。



最後にここで腹ごしらえ



周波数を合わせるのが



難しい街でしたが



4日間楽しみました。



また、いつか