第43代紫組要領次第

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オセロの講義

2007-10-12 16:56:29 | 演劇
10月11日 (2007年、彩の国芸術劇場)
「オセローを観る」イベント。観劇後のアフタートーク記録。
司会:河合先生(東大)
ゲスト:吉田鋼太郎様

【オセロー全般、蜷川さんのオセロの演技指導について】
・吉田さんは以前子供のためのシェイクスピアでイアーゴーを演じたことがある。
・蜷川さんは「オセローは、アフリカの乾燥したひび割れた大地で、すべてを失ってぶるぶる震えていて、家族もいない、そういう少年時代を過ごしたイメージなんだよ。そういうのが伝わるような演技。」を求めたそうだ。これは吉田さん自身今まで考えたことがないオセロ像だった。
・美しいオセロを演じることを要求された。痙攣の演技も美しさを要求された。蜷川さんは、痙攣を自分でやって見せて演出指導をした。吉田さんいわく「あのひと上手いんだよ。」
(美しさに関して)「スター性、とか、情緒なんだよ。暴力親父はもういいんだよ。」これはオセロのイメージについての注文でもあり、またスターである吉田さん自身に対しての注文でもあった。
(痙攣に関して)首が痛くなった。蜷川さんとやるといつもどこかに後遺症が残る(笑)。タイタスの時は、麻美レイさんを抱っこしていたら腰痛めたし。床をダンダン叩いて指の骨折ったこともある。
・全編を通して、今回はテキストを細かく解釈したらしい。テキストはほとんどそのままで切った部分はほとんどない。

【イアーゴー・高橋洋さんについて】
・蜷川さんはイアーゴーについてはかなり沢山の指示をした。
・逐一、蜷川さんが演技をして見せた。例えば、笑ったすぐ後に別の表情に変わるとか。結果として、本公演のイアーゴーは蜷川さんのイメージを忠実に具現化したものといえるそうだ。
・このような、狂人イアーゴー。「悪いことしてやるぞぉ」みたいな単純な悪役ではない、わけの分からない「狂人」としてのイアーゴーは今まで無かった。

【蒼井優さんについて】
・吉田さんいわく「演技経験は、蜷川さん演出の『渋谷~~』以来の2度目なんじゃないかな。始めはテレビスケールの演技で大丈夫かなって思ったけど、稽古の間に一気に変わった。大竹しのぶさんのような天才だね。他の人に対しての指導も全部吸収していく。海綿だよ(笑)」
・柳の歌のシーンについての最初の稽古で、まぁ少し泣きながら演じてください、という指示があったのだけど、優ちゃんと馬渕はぼろぼろ泣き出しちゃって、すごい女優だと思った。

【質問タイム】
自分がしたQuestion:吉田さんは演出もなさるということですけれども、蜷川さんのオセロー解釈と吉田さんの解釈で違った箇所ってありましたが?具体的にお聞かせください。
Answer:たくさんあったなぁ。たくさんあった。
例えば、ヴェニス本国から帰還命令の手紙が来るシーンがあるよね。あのとき、俺の解釈だと、手紙を読むときは冷静に、デズデモーナに非難を浴びせるときは怒りを、という風だと思っていた。というのも、オセロにとっては帰還命令は仕事のことであり、仕事は冷静にこなすものだと思っていたから。しかし、蜷川さんはどっちも怒るように解釈していた。どのような解釈というと、「俺(オセロー)は本国からいいように使われている。行ってこいと言われたり、帰れといわれたり、黒人がゆえに軽くあしらわれている、という風にオセロは思っている。だから、ここでも出自に対する劣等感から怒るところなんだ。」その結果、どちらも怒る演技になった。途中からデズデモーナに対する嫉妬だけに注意が行っちゃうんだけど、オセローの持つ劣等感を常に意識して演技させる蜷川さんの視点に、と気づいた。

もう一つはロダリーゴーに鈴木豊さんというイケメンを使ったことかな。普通、ロダリーゴーはどうしようもないようなやつが演じるんだけど、あえて鈴木さんを使うことで、絶倫な雰囲気が出て、ロダリーゴーのデズデモーナに対する恋が、無理な妄想ではなくて実現可能なレアリティを持ってくる。山口マキヤと張り合える見た目。

Q:ハンカチをもってこいとデズデモーナを叱責するシーンで、「あのハンカチは魔法のハンカチなんだ」と「魔法」を持ち出したのはなぜか。というのも、劇の冒頭で、魔法について言及される箇所があり(ブラバンショーが「魔法を使ったのか」と問いをオセロに投げかけた際「オセロはいいえと答える」)、その段階ではシェイクスピアはオセローに魔術的なイメージを持たせていない。しかし、このハンカチシーンでは魔法について言っている。(なお河合先生が披露した解釈では、ここは、オセローが理知の世界から狂気/魔術の世界に入り込んでしまった箇所となっている。)
A:吉田さんは、ここは、親の形見であるハンカチに、一層の付加価値を持たせて、それで脅しをかけているだけ。と思っている。

Q:演技が真に迫るのはなぜか?
Answer:
・具体的になってしまうけど、今回で言うなら、髪をそる、全身を黒く焼く、体を鍛える、こういう具体的なことで異人種になることが出来る。衣装を着ることもそう。勿論、稽古初日から衣装が揃ってしまうことで、「モノは揃っているのに自分は準備できてるのかなぁ」と不安になることも(笑)
・台詞の言い方を探すということ。これも大事。(役に入りきれば自然と台詞が出るのかと思っていた。けど、同じ台詞を色んな言い方で言ってみて、最も良い言い方を探している、という点は初めて知って驚いた。逆に言えば、神がかったセンスで演技しているわけではないのかもしれない。とにかく努力なんだな。努力が感じ取れるコメントで感動した。)
例えば、として、オセローの一番初めの台詞「何もしなくていい」の言い方について3通りほどおっしゃってくれた。

Q:翻訳劇なのからかもしれないが、観客として台詞がすっと頭に入ってこないことがある。吉田さんは演技していて、そういう経験はありますか?
A:しょっちゅうある。すんなり出来ないことと闘う。(確かにおっしゃるとおりだな。常に完璧に役になりきってすんなり台詞を喋れたら凄いけど、それが出来ないからこそ、苦労するんだろうな。凄い人に見えるけど、こうした困難とも向き合って、こつこつ練習しているんだろうな。その努力を感じ取れるコメントで、さすが!と感動した。)

Q:戯曲の解釈に関して
演技している本公演の間は、一応戯曲に対して疑問は無いということにして演技している。そうでないと、お客さんに失礼だから。でも終わった後に、「あの台詞はもっと弱く言うべきだったんではないか」とかいろいろ考えが出てくる。(解釈が変わる理由は)自分が成長しているからなのか衰えているからなのか分からないが。

Q:なぜシェイクスピアかなのか?(吉田さんは昔からシェイクスピア劇をやっている)
A:いつも聞かれる質問なのに、そのたびにいつも詰まってしまう。
・世界が大きい。役者としての自分が試される作品だと思える。というのも、例えばオセローで言うと、オセローがデズデモーナを怒るまでは分かる。しかし、ここからデズデモーナを殺すというところまで行くのは、日常ではありえない。ここを自然に演技しないと不自然。自然に演じられるかどうか試されている。
・やるたびに微妙に変わる。ぜんぜん変わるというわけではないけど。(解釈が変わる理由は)自分が成長しているからなのか衰えているからなのか分からないが。(それが面白いというようなことをおっしゃっていた。)

【他】
・4時間もやるのは大変。しかも今度の土曜日には初めて一日二公演がある。8時間だよ。最後のほうは台詞が出なくて「ごめんなさい」といいながらやることになるかも(笑)
・階段のエピソード。(稽古初日に階段が登場したときには)あー(また)階段か。という風に驚かなくはなったけど。コリオレイナスのときもずっと階段の演技だったし。鍛えられる。
階段について。初めの内は服が階段に引っかかって、びりびり引っ張ったりしながらやっていた。今はもう大丈夫。
・オセローは前回のコリオレイナスのような群集劇ではない。コリオレイナスのときは群集が右から左へ左から右へという勢いの劇だった。
・体力は衰えてきている。声も出なくなっている。だから技術的な面でカバーする演技に切り替えたりする必要も感じる。
・暗い劇なんだけど、笑えるシーンもあって、そういう時にちゃんと笑ってくれる今日のお客さんは大人だったのではないかな。

自分の感想
閉幕直後で疲れているところなのにしっかりトークしてくださった。知的なイメージを感じた。自分の質問の際は、目をずっとそらさず答えてくれて感激。

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