第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

「映像の世紀」回顧

2005-10-31 14:41:28 | Weblog
先日の「国際機構論」の講義では、
教授が「映像の世紀(DVD)」を流しました。

見終えて、僕はうるうるしてしまいました。
少々、歳をとったのかもしれません。
周りはみな僕よりも若い人でしたし。

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NHKがこれを放送した時、
僕はこの番組を食い入るように見入っていました。
そして世界にこんなにつらい出来事が起こっていたことを知りました。

そうしたつらい歴史の上に今の自分達の平和な生活が築かれているということに感動したりもました。

将来はこういう問題を解決する人になりたい、
そういう気持ちを抱いたと記憶しています。

ただ、その当時涙を流したりはしませんでした。

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久しぶりにみて、
あの有名な音楽を聴いて、
僕は不覚にも泣いてしまいました。

周りに知り合いが一人もいなかったので
たがが緩んでいたのかもしれません。

どうでもいいですが、
「たが」というのは
木の板の組み合わせでできている、昔風の桶を
しっかりとめておく部品のことです。

なぜ、今あの番組が僕に強いインパクトを与えたのかよくわかりません。
そういう目標を少なからず諦めかけている自分に情けなくなったからかもしれません。

でもあきらめているわけではありません。
自分の能力でできる範囲で何か関係ある仕事ができればと思っています。

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てゆーか大学って長げーよ。

La Fable(寓話)

2005-10-30 18:58:17 | Weblog
La Fable

中畑明君は僕の昔の同級生である。中畑君は鉄仮面の男である。彼に鉄仮面というあだ名がついたのは、僕と彼が机を並べていた時期のことであるから、大分小さかった時のことだ。なんとなく鉄仮面という恐ろしげな響きが、彼の雰囲気とぴたり一致するような気がしたから、知らぬ間にそういうあだ名が彼につけられてしまった。彼がそのあだ名を好いていたのかは知らない。彼は鉄仮面の男だったからそういう感情を表に出さなかった。

鉄仮面の性格について述べないと、以上述べてきたことがどうも判然としないであろうから、これから少し書いてみようと思う。

彼は鉄仮面の男であるが、実はある話題になると感情がほとばしる時があった。だから注意が必要だった。多分、彼がどんなときもクールであったなら、鉄仮面と命名されなかったろう。あだ名とはそういうものではないか。残念ながらその「ある話題」がなんだったか、どうも思い出せない。

最近鉄仮面に会った。この寓話はそのとき会った顛末を仔細に述べるために書くものである。

国連活動

2005-10-28 11:33:18 | Weblog
今回は
スイスにあるWHO本部に行って来た人間として、
国連の活動について思うことを書きます。

ちなみに
そのジュネェーヴ滞在を要約すると

「インターンシップの説明を受けた。
でも君の能力じゃ無理だろうな、と言われて眼が醒めて、
自分のやりたいこと&やれること、を見つめなおすことになった」
という感じです。

この「やれること」ってのが結構「眼からうろこ」なわけで。
国際公務員になりたいんだ!という熱い自己の意思だけではなく、
自分の能力、今の状況、とも相談しながら将来のこと決めようよ。
という風に丸くなれたんですよ。
あの滞在以来。

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さて少し思い出に浸ったところで、
今日は暇つぶしにPKOのことを書いてみましょう。
といっても昨日受けた講義「国際機構論」の受け売りですが。

WHOとかんけーねー。
まいいや。

んとPKOには限界があります。
何回か前のブログに「国連システムの限界」みたいなこと書いたけど、
このPKOも限界がある。

だって、紛争の間に割って入るだけだもん。
自衛のための武器程度しか持っていなく、
紛争してる主体を黙らせる力は一切持っていません。

でもね、この「限界」ってのは結構素敵なことなんですよ♪

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「限界がある」、
すなわち、
「なにができてなにができないか、はっきりと分かっている。」
ということ。

ともするとanarchyとも言われがち(国内の法体系と異なり、国際舞台においては、国家を裁く司法組織がないので)な国際政治システムにおいて、
なにが起きるか分からない不安定性というのは、あまり好まれない。
怖いもんね。
予想できないと。
怖いから、不信感が生まれ、ついには戦争が起きる。
これが大体の戦争の構図。


PKOには限界があるが、その反面
「PKOを派遣すれば、こうなる。これが起きる。」みたいに予想ができる。

これが安定をもたらす。

だから素敵。
PKO万歳かっこわらい。
限界を持っているからこそPKOには存在価値があると思う。

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出かける前に急いで書いて文なので、一貫性がないです。
ごめん。

on the disabled (ついに英語ブログ開始!?)

2005-10-27 15:42:08 | Weblog
When my family first started living in London,
we were all surprised by the number of disabled in the city.
Much more disabled people were walking around, shopping and having good time with their families in the city than in Japan.
We attributed the reason of this experience to the higher birthrate of disabled in England.

But that's not the case.

The birthrate of babies who have congenital abnormalities are not so different between races.

So then why?

Now I have understood the background.

In Japan, families which have a disabled member are very pessimistic about their future.
And they are too couscious about what their neighbors are thinking.
Japanese are too afraid of being different from their neighboring majorities.

They do not like go out with the disabled in public place.
The reason of seeming less number of disabled in Japan is just this : they do not appear in public place.

Actually, one of my relatives have congenital abnoemalities. I have analyzed this social problem from my close observation.

In England and most of the Western countries,
people do not think in Japanese way.
They take it for granted that each individuals naturally be differnt,
so they can think wheather being a disabled or being a "normal" is just a matter of extent.

Of course, the disabled in England may live a hard life to achieve normal quality of life and may get pessimistic about their future. But not to the extent of the Japanese.

I experienced English culture and Japanese culture, so I can analyse the difference between the two cultures.

題名次第

2005-10-25 16:39:33 | Weblog
題名次第でアクセス数が変わるという事実に驚愕。

この前、ノーベル医学生理学賞のこと書くとき
あえて、そういう題名にしなかったわけさ。
したら、アクセス数伸びず。

んで、
今回
「集団的安全保障」なるごつい題名つけたら
ぐっとアクセス数伸びたよ。

内容だけみたら、ノーベル賞の書き込みのほうが結構充実してたんだけどね。

いやー、奥深いね。

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より深い番組制作のため鋭意取材&資料調査中であります。

集団的安全保障

2005-10-23 06:20:20 | Weblog
どうも国際政治のことを久しぶりに書いてみましょう。

徹夜明けなのであんまり本格的な文章は書けません。

集団的安全保障の話。。。

集団的安全保障というのは国連みたいなものです。
集団的自衛権とは違うので注意して。

でその集団的安全保障というのは、
いくつかの国家がみんなで仲良くチームを組んで、
チーム内のルールを破った奴に制裁を加えるという感じです。

ちなみに似ているものとして、同盟があります。
同盟というのは徒党を組んで、
同盟の外の敵に対して、一致団結するというコンセプトです。

内なる敵と戦うのが集団的安全保障、外の敵と対峙するのが同盟、
と覚えましょう。

んで、この集団的安全保障の典型が国連です。
まぁ、約束破った国に制裁が加わるわけでその辺は分かるよね。

はい。さらにおしすすめて。

集団的安全保障の欠点。
約束を破った国の力が、それ以外の国全体の力の和より強い場合、
はその約束を破った国の暴走を防ぐ上で、集団的安全保障は機能しない。
たとえば国連において、アメリカの強さが90でほかの国の強さを合わせても10だとすると、
アメリカの好き勝手な行動には集団的安全保障は歯止めにならない。かも。


ということで、現在の国連中心とした集団的安全保障による、
大国の暴走を止め平和を実現するという発想には、限界があると思います。

それよりもむしろ、
アメリカと対抗できるような第2の大国もしくは同盟国群が出現し、
その国or同盟国群とアメリカが対峙し、勢力が均衡するような、バランスオヴパワーによって平和を希求するのが21世紀で一番ありえる戦略なのではないでしょうか?

その中で日本はどういう方向を選ぶのでしょうか?

角膜奇譚

2005-10-22 16:45:45 | Weblog
角膜ってのは黒目の部分の表面のところです。
なんとそこは血液が通っていません。
いくら白目の部分が充血していても、黒目の部分って充血しないよね。
血管が無いからです。

血液が通っていないのにそこの細胞君たちはどうやって酸素をgetしているのでしょうか?酸素が無いと人間の細胞君はすぐ死んでしまうのに、、、。

答え:空気にじかに触れてるのでぜんぜん大丈夫。そっから直接酸素getしてる。

はぁ、そうですか、、、と言った感じですが。

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これ、コンタクトレンズつけてると話が違ってきます。

始終コンタクトで黒目をバリアーし続けると、外との呼吸が出来なくって、黒目君大変困ります。

これがひどくなると、眼玉君は、「よし黒目に血管を送ってやろう」と張り切ってしまい、
白目の血管がぐいぐいと黒目の部分にまで伸びていきます。

これがかなりひどくなると、黒目が血管で覆われて、眼が、、眼が、、、
、、、
あまりいい状態にならないらしいですが、
今、教科書も見ないで、
昔の授業の記憶をたどりながら適当に書いているので、迂闊なことは言えないのでこの辺でやめときます。

でも自分もコンタクトレンズです。
普通はだいじょぶです。もし、コンタクトだけで簡単にそんな重篤な状態になるんだったら、コンタクトレンズがこんな普及しているはず無いので、心配しないようにしましょう。

トリビア程度の知識としてご参考にしてください。

乱視とコンタクト

2005-10-22 16:35:45 | Weblog
「乱視はコンタクトレンズでは矯正できません。」

なんて、眼鏡屋さんに言われたことありませんか?
僕は依然言われました。
「一応ねぇ、乱視対応コンタクトレンズというのもあるんだけど、装着感が良くないよぉ、」とも言われたりして。
実際つけてみたけど、確かにごろごろしてイケてなかったです。

なんで普通のコンタクトレンズでは乱視は矯正できないの?

その理由の説明には乱視のメカニズムを説明しなくちゃいけません。
興味ある人はしばしお立会い。

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(以下のお話はすべて片方の眼についての話です。「右」とか「左」とか出てくるけど、それは右眼・左眼の話じゃないよ。ひとつの眼の中での右とか左ってことね。)

人は外界の映像情報を、目玉にあるレンズで光を屈折させて、網膜上で像を結ぶようにします。網膜上にピントがちゃんと合ってれば、はっきり見える目がいい人。ピントが合わないと、出来の悪いスライドショーみたいなもんで、かすれて見えてしまいます。

近視や遠視の人はレンズの具合がどうもよくなくて、ピントが合わないんです。でもね、かすれてるとはいえ、網膜に映っている映像はひとつなんです。

でも乱視の人はそうはいかない。網膜に二つの映像が映っちゃっているのです。
なぜなら、レンズがゆがんでいるから。

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さらに説明します。興味のある人はさらにお付き合いお願いします。

「レンズの焦点距離」。小学校の時、理科の教科書で習いましたよね。
レンズの焦点距離はひとつのレンズに当然一個。ま、売ってるレンズは頑丈ですからなら大体そうでしょう。

でも人のレンズはそんなごつくない。

何らかの障害を受けているうちに、上下の平行光線が目玉に入ってきたときの焦点距離と、左右の平行光線が目玉に入ってきたときの焦点距離がずれてしまうことがあるんです。出来の悪いレンズと言ったところでしょう。

(上下の平行光線ってのは、理科の教科書のレンズの章に書いてる光と向きと同じ。左右の平行光線ってのは、「まえへならえっ!」した時の腕と同じ方向の2本の光と思ってください。図無しでこういう説明するの難しいな。わかんなかったらコメント欄で突っ込んでください。)

こうして、一つの眼が二つの映像を結んでしまうのです。

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これを矯正するには、眼のゆがみにあった向きで矯正しないといけない。でもコンタクトレンズは眼の中でくるくる回っちゃうからそんな芸当は出来っこない。
眼鏡の場合は、向きが常にかっちり固定されているから、人間の目玉レンズのゆがみにあわせて乱視も矯正できる。

ちなみに、乱視対応コンタクトレンズってのは、コンタクトレンズの一部分が重くなっていて、眼の中で常にその部分は下に来るようになっています。だからくるくる回らない。なので、常に同じ向きになっている。よって、矯正できる。
あ、でも、装着感は悪いですよ。

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間違いあったら突っ込んでください。自分もいまいち自信ないのに書いてるんで。

ヘリコバクターピロリ

2005-10-19 22:40:34 | Weblog
Robin Warrenという生理学者とBarry Marshallという臨床医師の2名がゲット。

内容は
「ヘリコバクターピロリ」ってゆう、ふざけた名前のばい菌が体の中に入ると胃とか腸が荒れちゃうよね。
っという話です。

今の時代だと、医療系の学生なら不勉強の自分でも知っている話ですが、
最初に発見したのが彼らで、そのおかげで治療法がどんどん発展した。
だから偉い、ということで評価されました。

詳しく言うと
Robin Warrenさんは生理学者です。
生理学というのは、人体の中でなにが起きてるのか、についての学問です。
ペプシンとかアミラーゼとかそういう分野と言えば分かりやすいはず。

で彼のしたことは、
腸とか胃を観察していたら、
なんか変なばい菌がいるなぁー。と気づいて。
その菌が存在する近くで炎症や潰瘍が発生しやすいことを発見。
このばい菌はなんだ?となる。

でBarry Marshallというお医者さんが、
その学者さんの発見に興味を持って、
その学者さんと一緒に、患者さんの炎症やら、潰瘍やらから組織を切ってきた。
んで、その変なばい菌の培養に成功!
こういうばい菌の発見をする時って、
発見するだけではあんまり評価されない。
この「培養に成功する」ってのは結構大事なことです。

んでヘリコバクターピロリっていうふざけた名前を命名。
これでおしまい。多分大体あってる筈。

ちなみにそのお医者さんは当時31歳!!
若いー。

ということで、われらが仲間も運さえ良ければ、ノーベル賞!
お医者さんたちに言いたいのは、
日々のルーティーンにbeing overwhelmedしちゃだめ。

このお医者さんみたいに、面白い研究を見つけたら、
「一緒にやろーぜー」みたいなノリが大事だと思った。

そうそう、二人ともオーストラリアの人。
そういうつながりって大事だよね。

ん?

2005-10-19 21:42:49 | Weblog
アクセス数が倍増したぞ。なんでかな?

とりあえず番組制作に必要な最低限の作業は出来るようになりました。

もっと高い技術が必要になったら、
そういう道の達人をtechnicalメンバーとしてチームに加えるしかないでしょう。

後はコンテンツ。

基本的には
「ネットでラジオを聴くような世代」
を対象にした番組作りを目指します。